同じ宿場が、三度出てくる——歌川広重の東海道
荒井が、二館にある
九点の最後の組は、少し性格が違う。
同じ宿場の別の絵ではない。同じ絵が、二つの館にある。
版画は同じ版木から何枚も摺る。だから同じ図が各地に散る。当たり前のことだが、並べて見る機会は多くない。

左に、水辺の建物と柵が描かれる。屋根は低く、板葺きに見える。
中央に松が二本、大きく枝を広げる。その根元に、灯籠のような白い構造物が立つ。
奥は湖で、白い帆が三つ浮かぶ。対岸は細い線で、山が薄く連なる。
手前の道を、荷を担いだ人と黒い衣の人が歩く。十人ほどが列をつくる。
荒井は、浜名湖の渡しで知られる宿場である。今切の渡しと呼ばれた。
湖と海がつながる場所で、船で渡る必要があった。帆が描かれるのは、その事情による。
画面の左端には、関所らしい建物の一部が入る。柵の縦線が細かく摺られている。

同じ図である。松の位置も、帆の数も、人の並びも変わらない。
違うのは色である。こちらのほうが空の黄が濃く、地面の色も強い。
摺りの回数か、絵具の濃さか、あるいは退色の差か。画像だけでは決められない。
もう一つ違うのは、右端に細い柱のようなものが立つ点である。前の一枚では、その位置が縁で切れている。
紙の裁ち方が違うのだと思われる。版画は、摺ったあとで縁を落とすことがある。
落とし方が違えば、同じ版から出た紙でも見え方が変わる。額装や台紙の都合もある。
同じ図であることは、松の配置と帆の数で確かめられる。細部まで一致している。
寸法の書き方が、逆になる
二館の記録を並べると、数字の並びが合わない。
一方は、縦21.6センチ、横16.5センチと読める順で書く。もう一方は、縦17.1センチ、横22.9センチと書く。
しかし公開画像は、どちらも横長である。縦のほうが短い。
つまり片方の館は、大きい数を先に書いている。向きにかかわらず、長辺を先に置く書き方だと考えられる。
断定はできない。紙の裁ち方が違えば、実寸も違う。
ただ、同じ図の二枚で数字の順が入れ替わるのは、記録の書式の差として見ておきたい。
寸法の欄は、単純な数字の欄に見える。しかし、どちらを先に書くかという約束が要る。
その約束が館ごとに違えば、機械で比べたときに食い違う。人が見れば分かることが、機械には分からない。
当サイトは記録をそのまま取り込んでいる。だから、この食い違いもそのまま残っている。
受入の番号が、まとまっている
もう一つ、記録から分かることがある。
中判の五点は、いずれも同じ基金による購入で、受け入れは1914年である。番号も近い並びに入る。
これは、五点がばらばらに集まったのではないことを示す。まとまりとして館に入り、まとめて番号を振られた。
大判の二点は事情が違う。一点は1918年の購入、もう一点は1911年に別の個人蒐集から入っている。
同じ画家の同じ街道の絵でも、館に届いた道筋は別である。
このことは、館の所蔵が地層のようにできていることを示す。買った年ごとに層がある。
層が違えば、記録の書き方も揃わないことがある。年代の書き方や題の詳しさに差が出る。
九点の題を並べてみると、その差がよく見える。詳しい題と、素っ気ない題が混ざる。

九点の最後は、街道の終点である。
橋が画面を斜めに横切る。欄干には擬宝珠が並び、その上を人が渡る。
橋の向こうに、屋根が密集する。京の町である。屋根は同じ形の繰り返しで示される。
さらに奥には山が重なる。中央の山は東山であろう。空は上端が青く、下は薄い赤である。
ここにも狂歌が入り、赤い枠に京の字が見える。
橋を渡る人の数は、二十人を超える。組の中でも人の多い画面である。
終点だから賑やかにしたのか、実際に賑やかだったのかは分からない。どちらとも読める。
五十三の宿場を数え終えた場所を、同じ判型で締めくくっている。
色の違いをどう見るか
荒井の二枚に戻る。色の差は、いくつかの原因が考えられる。
一つは摺りの時期である。初めのころの摺りと、後の摺りでは色が変わることがある。
一つは保存の環境である。光に当たれば、青や紫は褪せやすい。
一つは撮影と表示である。画像の色は、撮り方と画面によって変わる。
だから、画像だけを見て「こちらが古い」とは言えない。当サイトでは、そう書かないことにしている。
作り直すという仕事
同じ宿場を何度も描くのは、手抜きではない。
版木は摩耗する。売れれば版元が新しい組を欲しがる。判型を変えれば値段も変えられる。
そのたびに、同じ地名でまったく違う画面が作られる。距離を変え、天気を変え、季節を変える。
だから東海道は、一つの作品ではなく、作り直しの積み重ねである。
作り直しがあるから、名所は更新され続ける。同じ地名が、何度も新しい絵になる。
それは、いまの観光地の写真とも似ている。同じ場所が、時代ごとに撮り直される。
違うのは、版画には版元と絵師の名が入ることである。誰が作った眺めかが、紙の上に残る。
誰が並べ直すのか
当時の買い手は、一つの組をそろえて持っていた。
いま公開されている画像は、組の枠を越えて並ぶ。庄野の隣に、別の組の庄野が来る。
これは当時なかった見方である。館が集め、記録を公開したことで生まれた。
見え方が増えるのはよいことである。ただし、もとの組の順は見えにくくなる。
九枚が示すこと
この九枚は、名作の並びではない。
そのうち一枚だけがよく知られ、残りは知られていない。だが並べたときに見えるものは、一枚では見えない。
宿場の名が同じでも、絵は同じではない。館が違えば、数字の書き方も違う。受入の年も違う。
街道を売るという仕事の輪郭は、旅を売るという商売——歌川広重《東海道五十三次》にも書いた。ここではその輪郭を、九枚の重なりから見た。








