画家を知る

同じ宿場が、三度出てくる——歌川広重の東海道

荒井が、二館にある

九点の最後の組は、少し性格が違う。

同じ宿場の別の絵ではない。同じ絵が、二つの館にある。

版画は同じ版木から何枚も摺る。だから同じ図が各地に散る。当たり前のことだが、並べて見る機会は多くない。

荒井
歌川広重《荒井》1838年ごろ。木版、紙に墨と色。館の記録では、縦21.6センチ、横16.5センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金による購入、1914年。歌川広重《荒井》メトロポリタン美術館蔵

左に、水辺の建物と柵が描かれる。屋根は低く、板葺きに見える。

中央に松が二本、大きく枝を広げる。その根元に、灯籠のような白い構造物が立つ。

奥は湖で、白い帆が三つ浮かぶ。対岸は細い線で、山が薄く連なる。

手前の道を、荷を担いだ人と黒い衣の人が歩く。十人ほどが列をつくる。

荒井は、浜名湖の渡しで知られる宿場である。今切の渡しと呼ばれた。

湖と海がつながる場所で、船で渡る必要があった。帆が描かれるのは、その事情による。

画面の左端には、関所らしい建物の一部が入る。柵の縦線が細かく摺られている。

荒井(東海道五十三次のうち。狂歌入東海道とも呼ばれる)
歌川広重《荒井(東海道五十三次のうち。狂歌入東海道とも呼ばれる)》1837年から1842年ごろ。多色摺木版、中判。館の記録では、縦17.1センチ、横22.9センチとされる。シカゴ美術館蔵。クラレンス・バッキンガム・コレクション。歌川広重《荒井(東海道五十三次のうち。狂歌入東海道とも呼ばれる)》シカゴ美術館蔵

同じ図である。松の位置も、帆の数も、人の並びも変わらない。

違うのは色である。こちらのほうが空の黄が濃く、地面の色も強い。

摺りの回数か、絵具の濃さか、あるいは退色の差か。画像だけでは決められない。

もう一つ違うのは、右端に細い柱のようなものが立つ点である。前の一枚では、その位置が縁で切れている。

紙の裁ち方が違うのだと思われる。版画は、摺ったあとで縁を落とすことがある。

落とし方が違えば、同じ版から出た紙でも見え方が変わる。額装や台紙の都合もある。

同じ図であることは、松の配置と帆の数で確かめられる。細部まで一致している。

寸法の書き方が、逆になる

二館の記録を並べると、数字の並びが合わない。

一方は、縦21.6センチ、横16.5センチと読める順で書く。もう一方は、縦17.1センチ、横22.9センチと書く。

しかし公開画像は、どちらも横長である。縦のほうが短い。

つまり片方の館は、大きい数を先に書いている。向きにかかわらず、長辺を先に置く書き方だと考えられる。

断定はできない。紙の裁ち方が違えば、実寸も違う。

ただ、同じ図の二枚で数字の順が入れ替わるのは、記録の書式の差として見ておきたい。

寸法の欄は、単純な数字の欄に見える。しかし、どちらを先に書くかという約束が要る。

その約束が館ごとに違えば、機械で比べたときに食い違う。人が見れば分かることが、機械には分からない。

当サイトは記録をそのまま取り込んでいる。だから、この食い違いもそのまま残っている。

受入の番号が、まとまっている

もう一つ、記録から分かることがある。

中判の五点は、いずれも同じ基金による購入で、受け入れは1914年である。番号も近い並びに入る。

これは、五点がばらばらに集まったのではないことを示す。まとまりとして館に入り、まとめて番号を振られた。

大判の二点は事情が違う。一点は1918年の購入、もう一点は1911年に別の個人蒐集から入っている。

同じ画家の同じ街道の絵でも、館に届いた道筋は別である。

このことは、館の所蔵が地層のようにできていることを示す。買った年ごとに層がある。

層が違えば、記録の書き方も揃わないことがある。年代の書き方や題の詳しさに差が出る。

九点の題を並べてみると、その差がよく見える。詳しい題と、素っ気ない題が混ざる。

京 三条大橋之図
歌川広重《京 三条大橋之図》1838年ごろ。木版、紙に墨と色。館の記録では、縦21.6センチ、横16.5センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金による購入、1914年。歌川広重《京 三条大橋之図》メトロポリタン美術館蔵

九点の最後は、街道の終点である。

橋が画面を斜めに横切る。欄干には擬宝珠が並び、その上を人が渡る。

橋の向こうに、屋根が密集する。京の町である。屋根は同じ形の繰り返しで示される。

さらに奥には山が重なる。中央の山は東山であろう。空は上端が青く、下は薄い赤である。

ここにも狂歌が入り、赤い枠に京の字が見える。

橋を渡る人の数は、二十人を超える。組の中でも人の多い画面である。

終点だから賑やかにしたのか、実際に賑やかだったのかは分からない。どちらとも読める。

五十三の宿場を数え終えた場所を、同じ判型で締めくくっている。

色の違いをどう見るか

荒井の二枚に戻る。色の差は、いくつかの原因が考えられる。

一つは摺りの時期である。初めのころの摺りと、後の摺りでは色が変わることがある。

一つは保存の環境である。光に当たれば、青や紫は褪せやすい。

一つは撮影と表示である。画像の色は、撮り方と画面によって変わる。

だから、画像だけを見て「こちらが古い」とは言えない。当サイトでは、そう書かないことにしている。

作り直すという仕事

同じ宿場を何度も描くのは、手抜きではない。

版木は摩耗する。売れれば版元が新しい組を欲しがる。判型を変えれば値段も変えられる。

そのたびに、同じ地名でまったく違う画面が作られる。距離を変え、天気を変え、季節を変える。

だから東海道は、一つの作品ではなく、作り直しの積み重ねである。

作り直しがあるから、名所は更新され続ける。同じ地名が、何度も新しい絵になる。

それは、いまの観光地の写真とも似ている。同じ場所が、時代ごとに撮り直される。

違うのは、版画には版元と絵師の名が入ることである。誰が作った眺めかが、紙の上に残る。

誰が並べ直すのか

当時の買い手は、一つの組をそろえて持っていた。

いま公開されている画像は、組の枠を越えて並ぶ。庄野の隣に、別の組の庄野が来る。

これは当時なかった見方である。館が集め、記録を公開したことで生まれた。

見え方が増えるのはよいことである。ただし、もとの組の順は見えにくくなる。

九枚が示すこと

この九枚は、名作の並びではない。

そのうち一枚だけがよく知られ、残りは知られていない。だが並べたときに見えるものは、一枚では見えない。

宿場の名が同じでも、絵は同じではない。館が違えば、数字の書き方も違う。受入の年も違う。

街道を売るという仕事の輪郭は、旅を売るという商売——歌川広重《東海道五十三次》にも書いた。ここではその輪郭を、九枚の重なりから見た。

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