画家を知る

店の名が、題になる——歌川広重

七枚目は、庭

向島の大黒屋
歌川広重《向島の大黒屋》1835年から1842年ごろ。木版、墨と色、紙。館の記録では、縦23.7センチ、横36センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金による購入、1919年。歌川広重《向島の大黒屋》メトロポリタン美術館蔵

石灯籠が、二基立つ。

手前に、人々が歩く。

奥に、建物と松がある。

そして、水が流れる。

七枚目の大きさ

縦23.7センチ、横36センチ。

つまり、四枚目と同じである。

庭という主題

建物ではなく、庭が広く描かれる。

つまり、店の敷地を見せている。

人々の姿

手前に、四人ほどが歩く。

そして、縞の衣を着る。

七枚目の年

年の欄を見たい。

1835年から1842年ごろとある。

石灯籠

灯籠は、背が高い。

そして、段が重なる。

八枚目は、夕暮れ

両国柳橋の梅川
歌川広重《両国柳橋の梅川》1835年から1842年ごろ。木版、墨と色、紙。館の記録では、縦24センチ、横36センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金による購入、1919年。歌川広重《両国柳橋の梅川》メトロポリタン美術館蔵

左に、店の入口がある。

そして、格子と暖簾が見える。

手前に、人々が歩く。

奥に、白い塀が続く。

空が、下のほうで明るい。

八枚目の大きさ

縦24センチ、横36センチ。

つまり、中くらいである。

暖簾

入口に、暖簾が下がる。

そして、文字が入る。

空の色

空は、上が青く、下が黄色い。

つまり、夕暮れだろう。

空の高さ

空は、画面の上三分の一を占める。

つまり、広く取られる。

摺りの工夫

空の色が、上から下へ移る。

つまり、ぼかしの技法である。

手の仕事

ぼかしは、摺る人の腕による。

つまり、一枚ずつ違う。

ぼかしという技法

版木に絵の具を置き、布で伸ばす。

そして、濃淡を作る。

九枚目は、二階から

両国柳橋の大野
歌川広重《両国柳橋の大野》1835年から1842年ごろ。木版、墨と色、紙。館の記録では、縦25.1センチ、横37センチとされる。メトロポリタン美術館蔵。ロジャーズ基金による購入、1919年。歌川広重《両国柳橋の大野》メトロポリタン美術館蔵

大きな二階建ての建物がある。

二階に、人々が並ぶ。

手前に、川と舟がある。

そして、舟の上に人がいる。

奥に、橋が架かる。

九枚目の大きさ

縦25.1センチ、横37センチ。

つまり、六枚目と同じである。

二階の人々

二階の欄干に、人が並ぶ。

そして、外を見る。

建物の大きさ

建物が、画面の半分を占める。

つまり、店を大きく見せている。

舟の人々

舟に、三人ほどが乗る。

そして、傘を差す。

舟という手前

手前の舟が、奥行きを作る。

そして、人物が大きく描かれる。

九枚目の年

年の欄を見たい。

1835年から1842年ごろとある。

つまり、七枚と同じである。

九枚の主題

料理屋の内と外、そして庭と通り。

つまり、店を多方面から見せる。

名を、残す

店の名が版画に残る。

つまり、後の時代にも伝わる。

広告という性格

店の名を入れ、姿を描く。

つまり、宣伝の役目もあっただろう。

もっとも、館の記録はそう書かない。

だから、当サイトは断定しない。

版元という存在

版画は、版元が企画して売る。

もっとも、館の記録は版元を書かない。

誰が、注文したか

店が注文したのかもしれない。

あるいは、版元の企画かもしれない。

館の記録は、説明していない。

縦の並び

22.9、23.7、23.7、24、24.4、25.1が三枚。

つまり、二センチ二ミリの幅に収まる。

九枚の寸法

縦は22.9から25.1センチまで。

そして、横は35.2から37.5センチまで。

横大判という判型

横に長い判型である。

つまり、景色を入れやすい。

判型が、揃う

九枚とも、同じ判型である。

つまり、横大判だろう。

紙という材

紙は、手で漉かれる。

そして、大きさに幅が出る。

紙の切り方

紙は、手で裁つ。

つまり、寸法にわずかな差が出る。

横の差

35.2から37.5センチまで。

つまり、二センチ三ミリの幅である。

二センチの幅

縦の差は、二センチ二ミリである。

つまり、一割ほどの幅がある。

二つの書き方

七年の幅と、二年の幅。

つまり、二通りある。

九枚の年

七枚は1835年から1842年ごろ。

そして、二枚は1838年から1840年ごろ。

内側という関係

狭い幅が、広い幅の中にある。

つまり、両立する。

重なる幅

二枚の幅は、七枚の幅の内側にある。

つまり、矛盾はしない。

基金という仕組み

基金は、寄付されたお金である。

そして、その利息で作品を買う。

九枚の来歴

九枚とも、同じ基金による購入である。

そして、年は1919年。

一九一九年

九枚とも、この年に館へ入った。

つまり、同じときである。

一括して、館へ

つまり、まとめて買われている。

叢書という単位

同じ叢書の版画は、まとめて売られる。

そして、まとめて買われる。

六十一年

十八世紀の終わりから、十九世紀の半ばまで。

つまり、幕末までは届かない。

作者の生没年

館の記録は、1797年生・1858年没とする。

つまり、六十一年の生涯である。

描いた土地

九枚とも、江戸の場所である。

つまり、住む町を描いている。

生まれた町と、没した町

どちらも、江戸である。

つまり、同じ町で生涯を過ごしたのだろう。

働き盛り

三十代後半から四十代半ばまで。

つまり、活動の中心の時期だろう。

三十代から四十代へ

1835年は三十八歳のころ。

そして、1842年は四十五歳のころになる。

分かることと、分からないこと

分かるのは、寸法・技法・年・来歴である。

そして、分からないのは、七枚の叢書名と注文の経緯である。

空白を、空白のまま

当サイトは、空欄を推測で埋めない。

そして、そのことを書き添える。

当サイトの
雨は線で、雪は紙の白ででも、
この画家の版画を扱った。

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