画家を知る

雨は線で、雪は紙の白で——広重が天気を摺った方法

夜を、明るく摺る

天気の表現で、もっとも難しいのは夜である。

紙は白い。暗さは、絵具を載せることでしか作れない。しかし全部を暗くすると、何も見えなくなる。

東海道五十三次之内 蒲原 夜之雪
《東海道五十三次之内 蒲原 夜之雪》1833〜34年ごろ。雪の積もった宿場。空は上端が濃く、下へ薄れる。雪は紙の白のまま残されている。歌川広重《東海道五十三次之内 蒲原 夜之雪》メトロポリタン美術館蔵

《蒲原 夜之雪》の解決は明快である。

空だけを暗くし、地上は紙の白のまま残す。屋根の雪、道の雪、木の枝の雪——すべて摺っていない部分である。

摺らないことが、雪になっている。

そして雪は降り続けている。空の墨の上に、白い粒がいくつも置かれている。これは白い絵具を後から載せたものだ。

歩いているのは三人。うち二人は蛇の目傘、一人は蓑と笠。足元は雪に埋まり、道の形もあいまいである。

静かで、寒く、しかも明るい。夜の雪が実際にそう見えることを、この画面は正確に捉えている。

雪の夜が明るいのは、積もった雪が光を跳ね返すからである。街灯のない時代でも、雪の晩だけは道が見えた。

その経験を、紙の白と空の墨という二つの要素だけで組み立てている。引き算の絵である。

なお、この作品には空の摺り方が異なる版がいくつも知られている。上端だけを濃くしたもの、空全体を灰色にしたもの、明るい夕暮れのように摺ったもの。

「夜之雪」と題されていながら、どれが夜なのかは摺りによって変わる。これも、版画という媒体の性質である。

ひとつ付け加えておくと、蒲原は駿河湾に面した温暖な宿場で、雪の深く積もる土地ではない。

つまりこの雪景色は、見たままの記録ではない可能性が高い。広重は東海道を実際に旅したと伝えられるが、五十五枚すべてが写生に基づくわけではない。

先行する絵手本や名所案内から構図を借りた例も指摘されている。ここは、風景画が型で組み立てられるという話につながる。同じ問題は西洋の風景画でも起きていた——その事情は別のコラムで扱っている。

型としての「八景」

《唐崎夜雨》が入っている〈近江八景〉も、型の話である。

八景という枠組みは、もともと中国の瀟湘八景に由来する。晴嵐、夜雨、暮雪、秋月、帰帆、晩鐘、落雁、夕照。

要するに、天候・時刻・季節の八つの組み合わせが、あらかじめ決まっている。

日本各地で、その八つを土地に当てはめる遊びが行われた。近江八景はその代表である。

だから広重が夜の雨を描いたのは、その日の琵琶湖が雨だったからではない。「唐崎には夜雨を割り当てる」という約束が先にあったからだ。

近江八景之内 比良暮雪
《近江八景之内 比良暮雪》1835年ごろ。同じ八景の一枚。夕暮れの雪山を、遠景の薄墨だけで見せている。歌川広重《近江八景之内 比良暮雪》メトロポリタン美術館蔵

天気は、記録の対象ではなく、構成の要素だった。この理解は、広重を見るうえで欠かせない。

最後は、ほとんど抽象になる

晩年、広重は判型の大きな作品を手がけている。

木曽路之山川
《木曽路之山川》1857年。三枚続き。雪の山と谷。人物はほとんど見えず、白と藍だけが残る。歌川広重《木曽路之山川》メトロポリタン美術館蔵

1857年の《木曽路之山川》は、三枚の紙を横に並べた大画面である。

そこにあるのは、白い雪の塊と、藍の川と、点のような木々だけ。宿場も旅人も、ほとんど姿を消している。

雪は紙の白。空は薄墨。谷を流れる水は藍。三つの要素だけで、山国の冬が成立している。

同じ年の江戸の風景も見ておきたい。

名所江戸百景 目黒太鼓橋夕日の岡
《名所江戸百景 目黒太鼓橋夕日の岡》1857年。縦長の画面。橋の上を歩く人、降る雪、斜面の松。歌川広重《名所江戸百景 目黒太鼓橋夕日の岡》メトロポリタン美術館蔵

縦長の画面を大胆に使い、手前を大きく、奥を小さく取る。この構図の切り方が、のちにヨーロッパの画家たちを驚かせることになる。

この〈名所江戸百景〉は、広重の最後の大きな仕事だった。1856年から制作が始まり、彼の死をまたいで完結している。全体で百二十枚近くあり、うち数枚は門人の手による。

同じ江戸の景色を、雪の日、雨の日、夕暮れ、花の季節と、条件を変えて何度も描いている。

対象を固定して条件だけを動かす、という発想でいえば、半世紀後のモネの連作と発想が重なる。もちろん両者に直接の関係はない。同じ問いに、別の場所で別の答えが出た、というだけである。連作については別のコラムで扱っている。

広重の版画がフランスの画家に何を渡したかについては、別のコラムで詳しく扱っている。この百景のうち何枚かは、ゴッホが油彩で写している。

見立て——天気は、記号でしか描けない

ここからは書き手の見方である。

広重の天気は、写実ではない。雨は線、雪は白い粒、霧は薄墨、夜は上端の黒い帯。すべて記号である。

にもかかわらず、彼の版画は「本当にそう見える」という感覚を強く与える。

理由は、たぶん記号の選び方が、私たちの記憶の作り方に似ているからだと考えたい。

大雨に降られた日のことを思い出すとき、人は水滴の一粒ずつを覚えてはいない。前かがみに歩いたこと、視界が白くなったこと、道が急に暗くなったこと。

覚えているのは、そういう数個の特徴である。広重が紙に載せたのも、まさにその数個だった。

写しているのは現象ではなく、現象の記憶のほうだ——と読むことはできる。もっとも、広重自身がそう語った記録はない。ここは解釈として受け取ってほしい。

もうひとつ、この記号の体系には利点があった。誰にでも読めることである。

雨の線を線として理解するのに、教養は要らない。子どもでも分かる。だから版画は、身分や学歴に関係なく売れた。

美術館に入る前の浮世絵は、床の間ではなく、店先や旅の土産の束の中にあった。読み手を選ばない絵として作られている。

この「誰にでも読める」という性格は、いま私たちが画面越しにこれらを見るときにも、そのまま効いている。二百年前の江戸の雨が、説明なしに雨として届く。

そう考えると、記号であることは弱点ではない。むしろ、時間を越えるための条件だったことになる。

暮らしへ——窓の外を、線と粒で見る

次に雨が降ったら、窓の外を少し長めに見てほしい。

雨の線は見えるだろうか。おそらく、見える人と見えない人がいる。街灯の下や、暗い背景の前でだけ、線として見えることが多い。

雪はどうか。粒として見える。降り方が遅いからだ。

霧の日は、遠くのものから順に薄くなる。広重が薄墨でやっていたことと同じである。

この見方を一度覚えると、天気の日が少し楽しくなる。目の前の景色を、線・粒・階調に分けて眺められるようになるからだ。

飾るなら、雪の一枚が扱いやすい。白の面積が大きく、部屋の明るさを奪わない。

版画は紙の作品なので、直射日光と湿気に弱い。飾る場所の条件についてはこちらのコラムで扱っている。

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