画家を知る

麦畑に、軍服が脱ぎ捨ててある——ウィンズロー・ホーマー

三人が、三通りである

この絵の巧みさは、捕虜の描き分けにある。

若い男は反抗的。老人は疲弊。少年は無自覚。

戦争が終わったとき、負けた側にどういう人がいたか。その幅が、三人で示されている。

そして、勝った側の将校は一人だけである。しかも表情に勝利の喜びは無い。

地面の切り株も効いている。

戦争のために木が伐り払われた土地である。景色そのものが、消耗の結果として描かれている。

放り出された銃は、武装解除を意味する。だが誰も、それを片付けていない。

戦争画でありながら、英雄も、悪役も、劇的な場面も無い。

同じ時期、フランスではクールベが「絵になりにくいもの」を大画面で描いていた。別のコラムで扱っている。

ホーマーの選択は、それとは違う。彼は主題自体は劇的なもの——戦争——を扱いながら、劇的な瞬間を避けている。

戦闘は描かれない。勝利の場面でもない。

描かれるのは、戦いが終わったあとの、気まずい対面である。

この選び方は、彼が前線で見たものと関係しているだろう。実際の戦争の大半は、こういう時間でできている。

そして、この絵は発表と同時に高く評価された。翌年のパリ万国博覧会にも出品されている。

戦争が終わって間もない時期に、勝者を讃えない戦争画が受け入れられた。当時の観客の気分が透けて見える。

そして、子どもを描く

戦争の記憶が生々しい時期に、彼は突然、明るい絵を描きはじめる。

鞭を鳴らせ
《鞭を鳴らせ》1872年。油彩・画布。縦30.5センチ、横50.8センチ。草地を、少年たちが手をつないで走る。背後に赤い校舎。ウィンスロー・ホーマー《鞭を鳴らせ》メトロポリタン美術館蔵

草地を、少年が八人、手をつないで走っている。

先頭が方向を変えると、列の端が振り回される。「鞭を鳴らせ」と呼ばれる遊びである。

右端の二人が踏ん張り、左端では二人が転がっている。

全員が裸足だ。ズボンの丈も、上着の形もばらばらである。

背後には、赤い一部屋の校舎。田舎の学校の典型である。

手前の草地には、赤と白と黄の野の花。

空は曇りがちで、白い雲が広がる。

なぜ、子どもなのか

この転換は、当時のアメリカの気分と関係していると考えたい。

戦争は六十万人以上の死者を出した。その記憶から目をそらしたい、という需要はあっただろう。

田舎の学校、裸足の子ども、野の花。失われた、あるいは失われつつある素朴な暮らしの図である。

ただし、この絵を単なる懐古として読むのは早い。

よく見ると、遊びの構造そのものが不安定である。誰かが必ず振り落とされる。実際、二人が転んでいる。

楽しい絵に見えて、力の伝達と、その先で誰かが飛ばされる仕組みが描かれている。

深読みかもしれない。だが、戦争を見てきた画家がこの遊びを選んだことは、記憶しておいてよい。

もう一点、この絵には社会的な文脈もある。

背後の赤い校舎は、一部屋しかない田舎の学校である。

十九世紀後半のアメリカでは、こうした学校が急速に姿を消しつつあった。都市化と学校制度の整備が進んでいたからだ。

つまりこの画面は、当時すでに「失われつつあるもの」として見られていた可能性がある。

懐古の需要は、当時の観客の側にもあった。

同じ年に、二つの版がある

補足しておくと、この構図には別の版も存在する。所蔵館の記録がそれに触れている。

同じ主題を、大きさや背景を変えて描き直したものである。

売れる主題を繰り返すのは、当時の画家にとって当たり前の判断だった。

版画の世界で「当たった意匠は形を変えて何度も出す」と書いたのと、構造は同じである。

水彩を、本格的に始める

1873年、彼の仕事に大きな変化が起きる。水彩である。

夏をマサチューセッツの港町で過ごし、その年から水彩を大量に描くようになった。

水彩は速い。油彩のように乾燥を待つ必要がなく、紙も軽い。

そして紙の白を残せば、それがそのまま明るさになる。

塗らないことで明るさを作る、という考え方である。日本の版画が雪を紙の白で表したのと、原理は同じだ。別のコラムで扱っている。

以後、彼は生涯にわたって水彩を描き続けた。油彩と並行して、対等の仕事として扱っている。

海が、主題になる

1880年代に入ると、彼は人の少ない場所へ移っていく。

イギリス北東部の漁村に一年ほど滞在し、帰国後はメイン州の海辺に居を構えた。

以後、亡くなるまでそこで暮らしている。

メイン州のプラウツ・ネックという岬である。

家は海に面しており、窓から直接波が見えた。制作のための小屋も建てている。

つまり彼は、主題のただ中に住むことを選んだ。

ピサロが目の病気のためにホテルの窓から描いたのとは、動機が逆である。あちらは制約、こちらは選択だった。別のコラムで扱っている。

ナッソーの岸と波
《ナッソーの岸と波》1899年。紙に水彩と鉛筆。縦約38センチ、横約54センチ。荒れた海と、手前の黒い岩礁。奥に汽船が一隻。ウィンスロー・ホーマー《ナッソーの岸と波》メトロポリタン美術館蔵

冬にはバハマなど、南の島へ出かけた。

この一枚には、人が一人も描かれていない。

手前は黒い岩礁である。濃い墨色と褐色が、乾いた筆で置かれている。

その向こうに、崩れかけた波。白の帯が横に走り、その手前で盛り上がった波が青緑に透ける。

海の色は三段階に分かれている。手前が明るい青、中ほどが濃い群青、遠くがまた明るい。

空は灰色の雲でほぼ埋まる。左端に小さく灯台らしき白い塔。

そして水平線の中央に、汽船が一隻。黒い煙を上げている。

穏やかな南の海ではない。風の強い日である。

水彩でこれだけの重さを出せることに、まず驚いてほしい。