麦畑に、軍服が脱ぎ捨ててある——ウィンズロー・ホーマー
最後は、水そのものになる

晩年の一枚では、カヌーが急流を下っている。
赤褐色の細長いカヌーが、画面を横切る。乗っているのは三人。
先頭の男は立ち上がり、櫂を高く構えている。後ろの二人は坐ったまま、身を低くしている。
背後には、白く泡立つ水の壁。絵具を厚く盛り、乾いた筆で掻き上げるように置かれている。
手前の水面は、逆に暗い。灰色と黒褐色で、うねりだけが示される。
白い泡と、暗い水。その境目にカヌーが乗っている。
この作品は、所蔵館の記録によれば未完成のまま残されたものである。画布にチョークの線が残っている。

もう一枚、夜の海を描いた作品がある。
画面はほとんど暗い。黒に近い青と、灰。
手前の中央から左に、石造りの砲台がある。丸い見張り塔と、古い大砲が一門。木の砲架に載っている。
その向こうが海である。
画面の中央から右上へ、探照灯の光が一条、斜めに立ち上がる。細い三角形の光である。
左上には、雲間に月。
米西戦争のときの記憶にもとづく画面だと説明されている。
面白いのは、手前の大砲が古い時代のもので、探照灯が新しい技術だという点だ。
古い兵器と新しい光が、一つの画面に並んでいる。
戦争の絵から出発した画家が、四十年後にまた戦争に触れた。ただし、人は描かれていない。
見立て——人が、減っていく
ここからは書き手の見方である。
ホーマーの生涯を通して見ると、はっきりした傾向がある。
画面から、人が減っていく。
1866年の《前線からの捕虜》には、四人が向かい合っている。関係が主題である。
1872年の《鞭を鳴らせ》には、八人がいる。ただし顔はもう小さい。
1899年の《ナッソーの岸と波》には、誰もいない。
1902年の夜の海にも、人はいない。
四十年かけて、人物が消えていった。
この変化を、私は「関心が関係から現象へ移った」と読みたい。
若いころの彼は、人と人のあいだに何があるかを描いた。勝者と敗者、子どもたちの列。
晩年の彼が描いたのは、波と光と水である。誰の関係でもない。
一人で暮らした画家
伝記的な事実も、これと符合する。
彼は生涯結婚せず、四十代の後半からはメイン州の海辺で、ほとんど一人で暮らした。
来客を嫌い、取材も断ったと伝えられる。
人が減った画面と、人を減らした生活。両者を安易に結びつけるのは慎むべきだが、並べておく価値はある。
もっとも、孤独を悲劇として読む必要もない。彼は最後まで精力的に描き続けている。
そして晩年の海の絵は、少しも寂しくない。むしろ、力に満ちている。
もう一つ、別の読み方も置いておきたい。
人が減ったのではなく、人の位置が変わったという読み方である。
初期の絵では、人物は画面の中にいた。見る側は、外から彼らを眺める。
晩年の海の絵では、人物がいない。すると見る側が、その場所に立つことになる。
岩礁の前に立ち、波を見る。その位置を占めるのは、画面の中の誰かではなく、私たち自身である。
人を消すことで、見る人を画面に入れた。そう読むこともできる。
もっとも、これも解釈である。決めつけずに置いておきたい。
水彩という選択について
技術面でも、留保を一つ置いておきたい。
ホーマーの水彩は、いま非常に高く評価されている。油彩より上とする見方も珍しくない。
ただ、当時それは「軽い」媒体だった。油彩より安く、旅先で描くもので、正式な作品とは見なされにくい。
素描や水彩が制度上どう扱われてきたかは別のコラムで扱っている。
彼はその軽い媒体で、本気の仕事をした。結果として、後世の評価がひっくり返った。
こういう逆転は、美術史でしばしば起きる。
なぜ彼にそれができたのかを考えると、やはり出自に行き着く。
美術学校を出ていないので、媒体の序列を教え込まれていない。
版画工房で育った人にとって、絵は「印刷される図」でもあった。油彩だけが本物という感覚が薄い。
制度の外にいたことが、媒体の選択を自由にした。
同じ構造は、他の画家にも見られる。バニスターも正規の教育を受けていない。別のコラムで扱っている。
暮らしへ——「消したもの」を探す
最後に、見方の提案をひとつ。
冒頭の《新しい畑の復員兵》では、鎌が描き替えられていた。
絵には、こういう変更がしばしば残っている。近年は赤外線やX線で調べられるようになり、下に隠れた形が見つかることも多い。
もちろん、私たちが画面越しにそれを見ることはできない。
だが、作者が何を消したかという問いは持っておける。
不自然に空いている場所。妙に厚い絵具。輪郭のあたりのぼやけ。
そういう箇所には、変更の痕跡があることがある。
もっとも、素人が画面から判定するのは難しい。専門の調査が必要になる。
だからここで提案したいのは、断定することではなく、問いを持つことである。
「これは最初からこう描かれたのだろうか」
そう思いながら見ると、絵は制作の過程を持つものとして見えてくる。完成品としてではなく。
美術館の解説や作品記録に、こうした調査結果が書かれていることも多い。読んでみると、絵の見え方が変わる。
飾るなら、ホーマーの水彩は明るい壁によく合う。紙の白を活かした絵なので、周囲も明るいほうが効く。
飾る場所と光についてはこちらのコラムで扱っている。紙の作品なので、直射日光は避けたい。






