狩りの絵に、血は流れない——クラーナハ・カロ・陳居中ほか九点
銃身に、銀の線が入る
八点目は、銃である。

細長い道具である。
全体は110.2センチある。
銃身は83.2センチある。
口径は1.3センチである。
銃身は細く、まっすぐである。
金属は暗い灰色である。
床尾は木でできている。
木は褐色で、艶がある。
その面に、銀の線が入る。
線は細く、曲がりながら伸びる。
葉の形になる部分がある。
銀の板が、嵌め込まれた場所もある。
引金のあたりに、機構が見える。
歯車と、押さえの部品である。
館の記録では、銃身に二文字の印がある。
持ち主の頭文字だろうという。
床尾の紋章から、ある騎士団の一員と考えられる。
館は、そう説明している。
この道具に、獲物は描かれない。
飾りは、葉と線だけである。
重さについても書いておきたい。
館の記録に、重量の欄はない。
しかし全体110センチの鋼と木である。
片手で構える道具ではない。
歯車の機構は、火花を起こすためのものである。
鋼の輪を回し、石に当てる。
出た火花で、火薬に火を付ける。
仕組みが複雑なぶん、値は高い。
狩りのための道具は、身分の道具でもある。
銀の象嵌は、そのことを示している。
館の記録では、似た銃がもう一挺ある。
同じ騎士団の別の人のために作られたという。
道具にも、揃いの組があった。
象牙の小画に、狩人が座る
九点目は、小さな肖像である。

八角形の画面である。
70×83ミリしかない。
手のひらに載る。
金色の枠に嵌まる。
枠には、細かい刻みがある。
画面の中央に、男が座る。
男は若い。
顔はこちらを向く。
髪は短く、額に垂れる。
上着は淡い黄褐色である。
襟は立ち、白い布が巻かれる。
胸には、白いシャツが見える。
右腕は下へ伸びる。
その手が、銃を持つ。
銃身が、斜めに立つ。
左手は、膝の上にある。
その脇に、犬がいる。
犬は褐色で、耳が垂れる。
顔を上げ、男を見る。
背景は、木と空である。
空は青く、雲が薄い。
獲物は、どこにもいない。
館の記録では、題は犬を連れた狩人である。
狩りの最中ではない。
狩人であることを示す絵である。
象牙に描くのは、水彩である。
象牙は白く、下から光を返す。
そのため、色が明るく見える。
薄く削った板に、細い筆で置く。
塗り重ねると、濁ってしまう。
一度で決める描き方になる。
70×83ミリの中に、人と犬と空が入る。
顔の幅は、二センチもない。
それでも、目と口が描き分けられる。
八角形の枠は、持ち歩くための形でもある。
角があると、指で掴みやすい。
これは、飾るより持つための絵である。
数えてみると
九点を並べ直す。
獲物が描かれているのは、五点である。
鹿と犬の場面が二点、鷹と水鳥が一点である。
野牛が一点、猪が一点である。
このうち、獲物が倒れているのは一点だけである。
押さえられているのが、もう一点である。
残る三点では、獲物は走っている。
血が描かれた絵は、一点もない。
犬が描かれているのは、四点である。
十数匹の群れが二点、走る群れが一点である。
一匹だけが、一点である。
武器が見えるのは、五点である。
弩と、槍が二本と、銃が二丁である。
このうち一丁は、道具そのものである。
獲物も人もいない絵は、一点である。
さらに数える。
九点のうち、狩りの前を描くのは一点である。
支度をしている場面である。
狩りの後を描く絵は、一点もない。
技法でも数える。
油彩が二点、紙の絵が三点である。
絹が一点、陶が一点、金工が一点、象牙が一点である。
九点のうち、色の付いた絵は七点である。
色のないのは、版画と素描の二点だけである。
人が描かれるのは、八点である。
描かれないのは、銃の一点だけである。
その一点には、獣もいない。
人も獣もいない狩りの品が、一点ある。
九点のうちで、いちばん静かな一点である。
馬に乗る場面については、画面のなかの馬で扱った。
言えることと、言えないこと
言えるのは、狩りの絵が途中を選ぶということである。
九点のうち、七点は追っている最中だった。
倒れる一点も、まだ地面に着いていない。
支度の一点だけが、その前にある。
終わった後は、どこにもない。
獲物を運ぶ絵も、分ける絵もない。
血が一滴も描かれないのは、そのためだろう。
言えないのは、狩りの絵が獲物の絵だという話である。
九点のうち、二点には獲物がいない。
一点には、人もいない。
銃だけが、飾りを付けて残っている。
象牙の一点では、犬と銃が身分を示す。
狩りは、そこでは行いではなく肩書きである。
働く人の絵については、働く人びとで扱った。
最後に、はじめの一枚へ戻る。
クラーナハの画面では、順番が決まっていた。
領主が弩を構え、妻が最初の一矢を放つ。
犬も、角笛の合図で動く。
段取りの絵である。
九点を数え終えて残るのは、その段取りのほうである。
追う場面が多いのは、偶然ではないのだろう。
追っているあいだだけ、順番が見える。
倒れてしまえば、絵はそこで終わる。
終わった場面に、順番はもう要らない。
描く理由も、そこで消える。
九点が途中を選ぶのは、順番を見せるためだろう。
誰が先に射て、誰が後に続くか。
犬はどう動き、人はどこで待つか。
それが見えるのは、追っているあいだだけである。









