作品を知る

跪くには、相手が要る——サセッタ・エル・グレコ・ギュンターほか九点

立つのも座るのも一人でできる。跪くには、向かう相手が必要である。九点で、その相手を数えたい。人が二点、物が一点、器が一点。そして四点は、相手が画面に描かれていなかった。彫刻の三点は、いずれも箱や祭壇や机の部品として作られていた。単体では意味が完結しない。

十字架のキリストの前にひざまずく聖フランチェスコ
サセッタ《十字架のキリストの前にひざまずく聖フランチェスコ》クリーヴランド美術館蔵

十字架の下で、膝をついている

先の尖った形の板絵である。

上部がアーチになり、その頂きが尖る。

背景は、赤みのある一色で塗られる。

中央に、十字架が立つ。

その上に人がいる。

十字架の足元に、小さな人物が跪いている。

灰色の衣を着て、頭巾をかぶる。

両手を胸の前で合わせる。

顔は上を向く。

体の大きさは、十字架の人物の半分ほどしかない。

床は緑がかった色で、水平の線が引かれる。

十字架のキリストの前にひざまずく聖フランチェスコ
サセッタ《十字架のキリストの前にひざまずく聖フランチェスコ》1437年から44年。館の記録では、板にテンペラと金。画面81×40.2センチ。額を含めて91×46.5×4.5センチ。番号は1962.36。クリーヴランド美術館蔵。サセッタ《十字架のキリストの前にひざまずく聖フランチェスコ》クリーヴランド美術館蔵

館の記録は、寸法を二つ書いている。

画面が81×40.2センチ。

額を含めると91×46.5センチである。

額の厚みは4.5センチ。

板絵の額は、しばしば絵と一体で作られる。

尖った上部の形も、額の形に合わせてある。

第十九回で、額を含む寸法の話を書いた。

額の話で見たとおり、館は両方を測ることがある。

跪くという姿勢には、条件がある。

誰かの前で跪く、ということである。

立つのも、座るのも、一人でできる。

跪くのは、相手が要る。

だから、跪く人が描かれるとき、画面には相手がいる。

あるいは、相手がいると分かる何かがある。

九点を並べて、その相手を数えたい。

前の二回で、立つ姿勢と座る姿勢を見た。

座る話では、座る場所が問題だった。

跪くときは、場所より相手が問題になる。

同じ聖人が、百六十年後にもう一度

跪いて瞑想する聖フランチェスコ
エル・グレコ《跪いて瞑想する聖フランチェスコ》1595年から1600年ごろ。館の記録では、布に油彩。92×74センチ。額を含めて112.4×94.6×8.9センチ。番号は1935.372。シカゴ美術館蔵。エル・グレコ《跪いて瞑想する聖フランチェスコ》シカゴ美術館蔵

館の記録は、額の寸法も書いている。

112.4×94.6×8.9センチ。

厚みが8.9センチある。

絵そのものは92×74センチだから、額でひと回り大きくなる。

九点のうち、額の寸法が記録にあるのは二点だけである。

どちらも、この主題を描いた絵だった。

同じ聖人が、跪いている。

先の一点から、百六十年ほどあとの絵である。

場所は、岩に囲まれた場所である。

左上に、蔦の葉が垂れる。

右上に、青い空がわずかに見える。

人物は、褐色の粗い衣を着る。

腰に、結び目のある紐を巻く。

両手を胸の上で合わせている。

顔は上を向き、目は開いている。

右のほうに、平らな岩がある。

その上に、木の十字架が立てかけられる。

その手前に、頭蓋骨が一つ置かれる。

さらに、閉じた本と、紙が並ぶ。

先の一点と、姿勢は同じである。

膝をつき、手を合わせ、顔を上げる。

だが、相手が違う。

サセッタの一点では、相手は十字架にいる人だった。

こちらでは、相手は物である。

十字架と、頭蓋骨と、本。

いずれも、考えるための道具として置かれている。

第十九回で、持ち物が人の役を示すと書いた。

ここでは、置かれた物が場面の意味を決めている。

館の記録の技法も違う。

あちらは板にテンペラと金。

こちらは布に油彩である。

百六十年で、材料が変わっている。

頭を垂れる

聖者の前で頭を垂れる托鉢僧(サリーム王子アルバムより)
バサヴァナ《聖者の前で頭を垂れる托鉢僧(サリーム王子のアルバムより)》1585年ごろ。内側の縁は1602年ごろ、外側の縁はおそらく1900年代に加えられた。館の記録では、紙に樹脂を混ぜた顔料、墨、金。ページ全体32.7×21.1センチ。画面13.6×7.5センチ。番号は2013.296。クリーヴランド美術館蔵。バサヴァナ《聖者の前で頭を垂れる托鉢僧(サリーム王子アルバムより)》クリーヴランド美術館蔵

ページ全体と画面で、面積が大きく違う。

ページが32.7×21.1センチ。

画面が13.6×7.5センチである。

面積で比べると、画面はページの七分の一ほどしかない。

つまり、六分の五以上が縁である。

これは、この種の画帖に共通する作りだ。

絵を主役にせず、ページ全体を装飾として組む。

第十九回で、余白の取り方を扱った。

ここでの余白は、空白ではなく、模様で埋められている。

小さな画面が、豪華な縁で囲まれている。

いちばん外に、金地に花の模様がある。

その内側に、文字を書いた細い帯がある。

さらに内側に、細かい花の縁取りがある。

そして中央に、絵がある。

縦13.6センチ、横7.5センチしかない。

木の下に、長い衣の人物が立つ。

その足元に、もう一人が身をかがめている。

膝をつき、上半身を深く倒す。

顔は下を向く。

背景に、岩と草が描かれる。

館の記録は、制作の年を三段階で書いている。

絵が1585年ごろ。

内側の縁が1602年ごろ。

外側の縁が1900年代らしい。

つまり、この一枚は三百年以上かけて今の形になった。

第十七回で、一点の単位を扱った。

ここでは、中心の絵と、あとから足された縁が、一点として数えられている。

そして、縁を足した人の名は記録にない。

跪く姿は、はっきりしている。

相手は、目の前に立つ人物である。

上下の関係が、そのまま体の高さに出ている。

立つ者が上、跪く者が下。

跪く像が、箱を飾る