日付のある画帖——メアリー・N・サージェントの航海
水彩と鉛筆を、使い分ける
材料も見ておきたい。所蔵館の記録では、頁ごとに材料が違う。
「紙に黒鉛と水彩」と書かれた頁と、「紙に黒鉛」だけの頁がある。
つまり、色を塗った頁と、鉛筆だけの頁がある。
時間があれば水彩を加え、なければ線だけで済ませたと考えられる。
材料の記載から、制作の条件が推測できる。
鉛筆だけの頁
その例を見たい。

この見開きには、色がない。
薄い鉛筆の線で、水平線と岸が引かれる。左に木立が並び、右に舟らしき形がある。
紙の大部分は白いままである。
つまり、輪郭だけを取った状態で止まっている。
しかし、地名と日付は書き込まれている。記録としては成立している。
船の速さと、描く速さ
制作の条件を考えたい。船は止まらない。
見えている景色は、刻々と変わる。だから、その場で仕上げる時間はない。
輪郭を取り、色の調子を一、二層だけ置く。その程度で次の景色になる。
つまり、この画帖の省略は、好みではなく条件から来ている。
素早く描く技術については、別のコラムでも扱った。
記録の最小単位
ここで整理したい。この画帖の頁には、三つの要素がある。
第一に、形の記録。輪郭線である。
第二に、色や明るさの記録。水彩の薄い層である。
第三に、言葉の記録。地名と日付である。
三つのうち、最も確実に残っているのは第三の要素である。
つまり、絵が未完成でも、いつどこかは分かる。
樹の形を、線で取る
主題の幅も見ておきたい。

海の景色ではない。木立を描いた一枚である。
太い幹が数本、画面の中央に並ぶ。表面が捻れ、瘤のような形が重なる。
オリーブの古木だと考えられる。枝は上へ広がり、葉の塊が丸く描かれる。
右下に文字がある。「Garden of Gethsemane」と、11月の日付らしきものが読める。
線は速い。輪郭を追い、内部は最小限の陰影で済ませている。
建物も、線で取る
同じ日の別の頁を見たい。

こちらは建築である。画面の上部に城壁が横に伸びる。
壁には小さなアーチが等間隔に並ぶ。左にドームらしき丸い形がある。
その下に斜面が広がり、手前に木が数本。
右下の文字には「Golden Gate from Garden of Gethsemane」と読める箇所がある。
つまり、どこから見たかまで記されている。
巡礼と観光のあいだ
旅の性格にも触れておきたい。1904年の地中海航路には、複数の目的が混じっていた。
保養、観光、そして聖地への巡礼である。
エルサレムを訪れ、ゲッセマネの園を描いていることは、そのいずれとも結びつく。
ただし、この画帖に旅の目的は書かれていない。
だから、目的の推測は控えたい。分かるのは、行った場所と日付だけである。
視点の位置を、書き添える
この書き方は重要である。「どこを描いたか」だけでなく、「どこから見たか」が記録されている。
視点が分かれば、後から同じ場所に立てる。
旅の記録に自分の位置を書き添える意味は、
別のコラムでも扱った。
百年後に読む側にとって、この一行は大きい。
山を、色で描く
最後に、水彩の一枚を見たい。

山の輪郭が、画面の中央にある。
左の稜線は緩やかに上り、頂で切れる。右へ長く裾を引く。
山肌には濃い灰色が置かれ、頂の周囲は薄い。噴煙だと考えられる。
麓には白い部分が横に連なる。町の建物だと考えられる。
手前は海で、横の刷きが数本引かれる。
右下に「Vesuvius」と、12月5日らしき日付がある。
紙の色を、使っている
材料をもう一度見たい。この一枚は「淡い色の織紙」に描かれている。
つまり、白い紙ではない。わずかに色の付いた紙である。
その色が、そのまま中間の明るさになる。白い絵具を置けば、明るい部分が作れる。
紙の色を活かす方法は、別のコラムでも扱った。
旅先で使う画帖でも、紙の選択がなされている。
公開画像は、白黒である
ここで、画像そのものについて触れたい。
この98点の公開画像は、いずれも白黒である。水彩の頁も、色が写っていない。
つまり撮影が古い時期に行われ、そのまま公開されていると考えられる。
所蔵館の記録には「水彩」と書かれている。しかし画像では色が見えない。
記録と画像が食い違うのではなく、画像が情報を落としている。
画像の差は、作品の差ではない
この点は繰り返しておきたい。公開画像の質は、作品ごとに違う。
新しく撮り直された作品はカラーで、古い記録写真しかない作品は白黒である。
つまり、画像から受ける印象には、撮影の事情が混じっている。
同じ問題は、別のコラムでも扱った。
色の話をするときは、画像の出所を確かめたい。