寸法の欄に、見え掛かりとある——象牙に描く細密肖像
題が、人の名になる
九件の題を並べてみる。
五件は、写された人の名である。
残る四件は、紳士の肖像、婦人の肖像といった書き方だ。
つまり、誰かが分からない。
肖像でありながら、名が伝わっていない。
細密の肖像は、家族のあいだで受け継がれる。
受け継がれるうちに、誰かが分からなくなる。
そして、市場に出るときには、もう名がない。
館は、分からないものを分からないまま書く。
紳士の肖像、という題は、そのための言い方である。
前の回の記事で、題が短くなる例を何度も見てきた。
情報がなければ、題も短くなる。
白黒の四件と、彩色の五件
九件の画像を、色で分けてみる。
白黒が四件、彩色が五件である。
白黒の四件は、いずれも1931年から1939年の受入だ。
彩色の五件は、1895年から1985年に散らばる。
つまり、受入の年と画像の色は対応していない。
1895年の受入にも、彩色の画像がある。
撮り直されたかどうかの差だろう。
前の回の記事で、同じ話を何度か書いてきた。
画像の質は、その作品が受けた注目の量を映す。
展示されれば、撮り直される。
されなければ、古い写真が残る。
楕円という形
九件のうち六件は、絵が楕円である。
長方形の象牙を、楕円の窓から見せている。
なぜ、楕円なのか。
顔を描くのに、余白が少なくて済む。
四角い画面では、四隅が余る。
楕円にすれば、その余りが消える。
そして、身に着けるときに角が当たらない。
用途と、画面の形が結びついている。
館の記録は、形について何も書かない。
寸法の欄には、縦と横しかない。
楕円か長方形かは、写真を見るしかない。
前の回の記事で、記録の欄が形を書かない例を何度も見た。
寸法だけでは、輪郭は復元できない。
覆いの内側が、記録される理由
見え掛かりの寸法を書くことには、手間がかかる。
枠を外して測る必要がある場合もある。
それでも、館は書く。
なぜか。
見えている部分だけを書けば、実際の大きさが分からないからだ。
そして、修理や貸し出しのときに困る。
枠の内側の寸法が分からなければ、扱えない。
記録は、鑑賞のためだけにあるのではない。
保管し、動かし、貸すためにもある。
前の回の記事で、掛軸を巻いたときの太さが書かれる例を見た。
同じ理由である。
実務のための数字が、欄に混じっている。
大きさが、四倍に散らばる
九件の寸法を並べてみる。
いちばん小さいのが縦3.2センチ。
いちばん大きいのが縦13.3センチ。
四倍以上の差がある。
小さいものは、身に着けるためだろう。
前に見た赤い石の枠の一件は、飾りとして使える。
大きいものは、机の上に置くか、壁に掛ける。
大きさが、使われ方を示している。
館の記録は、用途を書かない。
数字だけを置く。
数字から用途を読むのは、読む側の仕事である。
同じ画家が、別の分野で知られる
九件のうち二件は、同じ作者の作である。
その人は、細密の肖像で知られているわけではない。
別の分野の絵で、はるかによく知られている。
しかし、若いころには細密の肖像を描いていた。
館の記録は、その事情を書かない。
作者の欄に名と生没年があるだけだ。
二件の年は、1827年と1830年ごろ。
その人が、別の仕事を始める前の時期にあたる。
年の欄と生没年を突き合わせれば、そこまで読める。
前の回の記事で、複数の欄を突き合わせる読み方を何度も書いた。
一つの欄だけでは、決して見えない。
一件だけ、生没年が細かい
九件の作者の生没年を見てみる。
多くは、生まれた年と没した年だけである。
しかし一件だけ、生まれた都市と没した町まで添えられる。
その人は、別の分野でよく知られた画家だ。
知られた人ほど、記録が細かい。
前の回の記事で、家具の意匠者について同じことを書いた。
情報量の差は、その人の知られ方の差である。
同じ作者の欄に並びながら、書かれる量が違う。
九件のうち二件は、作者の生没年が活動期でしか分からない。
その二件は、あまり知られていない画家である。
欄の長さが、そのまま名の重さになっている。
一枚に、何人が関わったか
九件の作者の欄には、六つの名がある。
いずれも、描いた人の名である。
しかし、象牙を薄く削った人がいる。
枠を作った金工がいる。
箱を作り、布を張った職人がいる。
赤い石を留めた人もいる。
その名は、どこにもない。
技法の欄に箱が書かれた一件でも、作った人の名はない。
前の回の記事で、名が残る条件を何度も見てきた。
絵の作者だけが、作者の欄に入る。
容れ物を作った人は、入らない。
そして、九件のうち三件は、写真に容れ物が大きく写る。
写真では、容れ物のほうが面積を占めている。
最後に、九件の年の欄をまとめておく。
1769年ごろから1856年まで、八十年ほどに収まる。
細密の肖像が盛んに作られた時期と、ほぼ重なる。
そのあと、この形式は急に廃れる。
写真が現れたからである。
小さな肖像を持ち歩きたいという求めは、そちらへ移った。
館の記録は、その事情を書かない。
しかし、年の欄が八十年で途切れていることが示している。
前の回の記事で、写真の技法について書いた。
あちらの年の欄は、1839年から始まっていた。
二つの記事の年の欄が、そこで重なっている。
重なりの十数年が、形式の入れ替わった時期である。
九件の枠と箱を、もう一度見比べてみる。
赤い石で囲んだ枠が一件。
金色の縄目の枠が一件。
赤い革の箱が一件、緑の布の箱が一件。
紫の布の箱が一件。
黒い台に金の枠が一件。
同じ形式でありながら、外側はすべて違う。
内側の絵より、外側のほうが多様である。
外側は、持ち主の好みで作られたからだろう。
絵は注文して描かせ、枠は自分で選ぶ。
館の記録は、その選択を書かない。
技法の欄に箱が入った一件だけが、例外である。
外側を選ぶことも、その作品を作ることの一部である。
しかし、記録の欄はそれを作者と呼ばない。
呼ばないから、選んだ人の名は残らない。










