描きかけの仕上げ——ベルト・モリゾ
花の絵も、同じ調子である

小さな絵である。縦40.8センチ、横33センチ。
ガラスの器に、芍薬が三本ほど生けられている。
大きな花が二つ。桃色の花弁が重なる。
下に赤い蕾が一つ。葉は緑で、幅が広い。
卓の面は褐色。左手前に小さな器が置かれている。
背景は黄土色で、筆の跡が縦に走る。
そして、卓の縁に沿って黒い線が引かれている。
一本の線ではなく、走り書きのような繰り返しの線である。
つまり輪郭を線で示している。
塗り込めずに、線で位置を決める。素描に近い扱いである。
油彩でありながら、水彩や素描の作り方に近い。
花を主題にした理由も考えておきたい。
花は動かない。短時間で描く必要がなく、繰り返し観察できる。
そして季節ごとに手に入る。家の中で完結する主題である。
同時に、花の絵は売りやすい商品でもあった。
19世紀の市場では、家庭に飾る花の絵に需要があった。
同じ時期に花だけを描き続けた画家もいる。
その事情は別のコラムで扱う。
つまり花は、条件と市場の両方に合った主題である。
家の中を描く

室内の場面である。
若い女性が立っている。紺色の上衣に、白い前掛け。
両手を前で合わせ、こちらを見ている。
左には食器棚。ガラス扉の中に皿が並ぶ。
右には窓と、丸い卓。卓の上に果物の皿がある。
足元に小さな白い犬がいる。
床は青灰色で、光が反射している。
描かれているのは使用人と考えられる。
家事の場面が主題になっている。
19世紀の絵で、家の中の労働が主題になる例は多くない。
家庭は「描かれない場所」だった。
その場所を主題にできたことは、この画家の条件と結びついている。
外に出られない不利が、内側の主題の発見につながっている。
この一点の構成も見ておきたい。
画面の中央に人物を立たせ、左右に家具を配している。
視線は人物の顔から、左の食器棚、右の窓へと動く。
床の反射が、その動きを下でつないでいる。
つまり狭い室内でも、視線の道が設計されている。
限られた空間で構図を作る訓練は、室内画で磨かれる。
娘を、繰り返し描く

少女が椅子に座っている。
桃色の服。袖が膨らみ、襟は丸い。
髪は真ん中で分け、肩まで垂れている。
顔は正面。目は大きく、口を閉じている。
左には棚があり、その上に緑の鳥がいる。鸚哥である。
背景は青灰色で、筆の跡が縦横に走る。
描かれているのは画家の娘である。
当サイトの公開分の中でも、娘を描いた作品が複数ある。
身近な人を繰り返し描くのは、モデルを頼めない条件とも関わる。
同時に、繰り返しには利点もある。
同じ相手を何年も描けば、変化が記録される。
子どもの成長は、年ごとの絵に残る。
家族を描き続けた画家の作品は、家族の年表にもなっている。
肖像が家の記録として機能する話は
別のコラムでも扱った。

翌年の作である。
少女が立っている。紺色の上衣に、白い大きな前掛け。
髪は長く、肩に垂れる。顔は正面をやや外している。
背後には卓があり、花を生けた器が置かれている。
壁は淡い黄土色で、大きな筆の跡が残る。
前掛けの白は、ほとんど塗られていない部分がある。
画布の地の白を、そのまま白として使っている。
つまり水彩の作り方に近い。
塗らないことで明るさを得る方法である。
水彩の白の扱いについては別のコラムで扱った。
版画と素描も残っている
他の技法にも触れておきたい。
この画家は、水彩、パステル、素描、そして版画も手がけた。
油彩に比べて、これらは記録として残りにくい。
家族の手元に留まり、展示の機会も少ないためである。
しかし薄塗りの油彩と、水彩の作り方はよく似ている。
紙の白を残し、絵具を薄く置き、直しを重ねない。
つまり技法を横断して、同じ考え方が通っている。
材料が違っても、判断の順序は変わらない。
公開分の油彩を見るときにも、この共通性を頭に置いておきたい。
屋外の一点

庭の池である。
画面の上半分は緑の樹叢。細かい筆の点で埋められている。
中央に水面。青と白の短い筆で示されている。
小さな舟に、少女が乗っている。桃色の服が点のように見える。
手前の草地に、白い鵞鳥が四、五羽いる。
草は黄緑で、筆が縦に走る。
人物は小さく、風景の一部として扱われている。
つまり主題は人ではなく、光と水面である。
屋外の主題では、筆の点が細かくなっている。
樹の葉、水の反射、草。いずれも短い筆の反復である。
一方、室内画では筆が長く、面が広い。
つまり主題によって筆の長さを変えている。
同じ薄塗りでも、筆の単位が違えば見え方が変わる。
この一点は、庭の池を描いている。
自宅か、滞在先の庭だろう。
つまり屋外の主題であっても、行ける範囲は限られていた。
庭は、女性の画家が自由に使える屋外だった。
同じ時代の男性の画家が街路や酒場を描いたのとは、対象が違う。
主題の違いは、才能ではなく行動の自由の差でもある。