朝は、題の行で決まる——アルピニー・ビュオ・丁雲鵬ほか九点

高さ2メートルを超える紙に、岩の峰が積み上がっている。
黄山の天都峰である。
館の記録では、1614年に、ある人物の五十歳の誕生日の贈り物として描かれた。
草木には深い赤が点じられている。
不老不死の霊薬とされた辰砂を思わせる色だと、記録は読む。
そして画面の上部には、詩が書き込まれている。
「雲は谷から立ちのぼり、朝日は天都の峰の上にある」。
賛にはさらに、1614年の春、五十歳の祝いに描いたという事情まで書き込まれている。
黄山は険しく、明の末に石段が築かれるまで、画家の画題にもならなかったと記録は言う。
これはその最初期の一枚だという。
今日の黄山は名だたる景勝地だと、記録は付け加えている。
つまりこの朝日は、まだ誰も見に行けなかったころの朝日である。
贈られた人は、絵と賛で、登れない峰の夜明けを受け取った。
朝日そのものを塗るのではなく、朝日という文字を書く。
賛のある絵では、時刻は文字で画面に入る。
絵に文字が書き込まれる仕組みは署名の隅を数えた回でも見たが、これはそのいちばん豊かな形である。
祝いの贈り物に朝日を選ぶ気持ちは、説明されなくても分かる。
昇る日は、これからの歳月の言い換えである。
五十歳の朝である。
朝は、祈りの区切りの名でもある
時刻の朝が、制度の名になった例もある。

手のひらに載る大きさの一葉である。
赤い天蓋の下、青い衣の聖母に天使が告げている。
天使の翼は赤く、床には手すりの影が伸びる。
紫がかった桃色と黄緑が、小さな画面で強く光る。
館の記録では、時祷書から切り離された三葉のうちの一葉だという。
時祷書は、一日を八つの祈りの時に区切る本である。
朝課に始まり、夜の祈りで終わる。
その最初の区切りが朝課で、この受胎告知はその扉絵だった。
つまりこの本の持ち主は、毎朝この絵を開いた。
決まった時刻に決まった絵を見る、という暮らしがあったのである。
絵のほうに時刻が描かれていなくても、絵を見る時刻が決まっていた。
九点の中で、朝がいちばん確かなのは、この一葉かもしれない。
つまりこの絵の「朝」は、空の色ではなく、祈りの時間割の名である。
記録は、工房のことも書いている。
パリの工房が、富裕な顧客のために宝石のような時祷書を作っていた。
時祷書は持ち主の身分と趣味を映す贅沢品でもあったという。
紫がかった桃色と鮮やかな黄緑の取り合わせは、当時のフランスでは異例だとある。
人物を手前に寄せ、建築の枠で囲む構図だと記録は説明する。
来歴の欄には、十九世紀パリの蔵書家ピション男爵の名が最初に載っている。
本から切り離された一葉については、散逸した写本の回でも扱った。
朝課の絵は、毎朝開かれるために描かれた。
読む人の一日が、この小さな絵から始まった。
連作の名札としての朝
朝が、そろいの絵のラベルになることもある。

丸い画面に、夜明けの暗い雲が垂れこめている。
岩は人の顔のようにねじれ、鳥が群れ飛ぶ。
中央では、魔女が刃物を振るっている。
まわりには、嘴の鋭い鳥が寄り集まる。
館の記録では、この魔女はローザが描いた中で唯一の美しい魔女だという。
男を獣に変える力は、神話の魔女キルケーを思わせるとある。
だが作者は神話をなぞらず、露骨に暴力的な姿へ作り替えたと記録は読む。
穏やかな表情が、かえって手元の行いを不気味にしている。
館の記録では、魔術の情景を描いた連作の最初の場面だという。
明け方の暗雲と奇怪な岩が、陰鬱な空気を作るとある。
画面が円形なのは、魔術における円の役割を指すためだと記録は伝える。
来歴の欄によれば、1657年までにフィレンツェのニッコリーニ家にあった。
描かれてから十年ほどで、名家の壁に掛かっていたことになる。
魔女の絵は、怖がられながら、集められてもいた。
ここでの朝は、連作の順序を示す名札である。
朝の次に昼が来て、夜が来る。
同じ主題を繰り返す連作の回で見た仕組みが、三百年前にもある。
時刻の名は、絵を並べるための番号にもなる。
日記の朝と、歴史の夜明け
朝は、ひとりの人の言葉にもなる。

薄い桃色と緑だけで、庭が刷られている。
手前で、若い女がうつむいている。
その視線の先に、桃色の花束が差し出されている。
奥には水盤があり、木立の向こうに家の窓が見える。
画面の下の余白には、朝の花束、涙、という句が手書きで残る。
題は、この句のとおりである。
館の記録では、ドニは1889年に集まったナビ派の画家の一人だった。
この版は、妻マルトへの思いを主題にした連作に属する。
妻をさまざまな場面に置き、自分の日記から取った句を題に付けたという。
画面はあいまいで、見る人が連想を巡らすように作られたと記録は読む。
敬虔な画家で、妻の姿を聖母に重ねて見せることが多かったともある。
朝の花束が誰の花束で、涙が誰の涙なのかは、記録も決めていない。
確かなのは、これが画家の日記の中の朝だということである。
岸辺の朝が誰のものでもない朝なら、この朝はひとりの朝である。
ある一日の朝が、句のかたちのまま、題の行に写された。
題の行は、ここでは日記の一行の続きである。
比喩の朝は、彫刻にもある。