作品を知る

朝は、題の行で決まる——アルピニー・ビュオ・丁雲鵬ほか九点

夜明けの狩人を描いた水彩は、かつて午後の狩りという題で売られた。朝の光は夕方と区別がつかない。朝の語を記録に持つ九点を並べ、朝がどこに宿るかを数えた。光に四点、街の営みに一点、祈りの名に一点、比喩に二点。そして人名の中の朝が一点である。

岸辺の朝
エドワード・ミッチェル・バニスター《岸辺の朝》スミソニアン協会蔵

岸辺の朝、と題にある

潮の引いた岸に、二人の人影が腰をかがめている。

足元の岩は、黄色い海藻に覆われている。

沖には、白い帆を上げた小舟が浮かぶ。

空は白っぽく、雲と光の区別がつかない。

影は、どちらへも長く伸びていない。

題は《岸辺の朝》という。

だが、画面のどこが朝なのか。

向こう岸の木立は、低くかすんでいる。

朝靄と言われれば、そう見える。

夕方だと言われても、うなずいてしまいそうである。

岸辺の朝
エドワード・ミッチェル・バニスター《岸辺の朝》1892年。館の記録では、厚紙に水彩と鉛筆。22.4×35.7センチ。スミソニアン・アメリカ美術館蔵。エドワード・ミッチェル・バニスター《岸辺の朝》スミソニアン協会蔵

描いたのは、バニスターという画家である。

この作品の記録は短い。

作者と題と年と技法と寸法で、ほぼ終わる。

土地の欄には、ニューポートとあるだけだ。

朝であることの説明は、どこにもない。

手がかりは、題の四文字だけである。

岸辺という場所と、朝という時刻。

一枚の風景に付けられる情報は、これでほぼ全部になる。

場所は、画面の岩と水に写っている。

時刻のほうは、どうか。

考えてみれば、不思議な話である。

絵は時計を持たない。

日時計も暦も、画面の外にある。

写された光が何時の光か、絵の具は覚えていない。

それでも画家は「朝」と題を付け、美術館はそれを記録の行に写す。

朝は、画面のどこに宿っているのか。

それとも、題の行にしか存在しないのか。

朝・夜明け・暁。

そういう語を記録に持つ九点を集めて、確かめてみたい。

先に断っておくと、九点の朝は一枚ずつ様子が違う。

風景の朝もあれば、街の朝もある。

祈りの朝も、石の朝も、名前だけの朝もある。

その違いこそが、朝という語の中身である。

夜明けの狩人は、午後にもなった

二点目が、この問いの核心を先に見せてくれる。

灰緑色の野原に、小さな狩人が立っている。

犬を連れ、銃を手にしている。

空は低いところだけが明るい。

夜明け、犬を連れた狩人
アンリ・ジョゼフ・アルピニー《夜明け、犬を連れた狩人》1882年。館の記録では、水彩。紙は37.6×53.5センチ。番号は2008.391。クリーヴランド美術館蔵。アンリ・ジョゼフ・アルピニー《夜明け、犬を連れた狩人》クリーヴランド美術館蔵

題は《夜明け、犬を連れた狩人》である。

館の記録では、アルピニーの円熟期の大作の水彩だという。

灰緑の色調は、この画家の持ち味だとある。

描かれた場所は特定できず、よく知るフランスの田園の面影だろうと記録は読む。

狩人や釣り人は、この画家の水彩の常連だったともある。

構図は、曲がりながら奥へ向かう流れと道で作られている。

左下には「アルピニー、82年」と署名がある。

描いた年は署名に残したのに、時刻の証拠は残さなかった。

そこが、この絵ののちの運命を分けることになる。

面白いのは、来歴の欄の注である。

1973年の競売に出たとき、この絵は「午後の狩り」という題で売られた。

夜明けの絵が、午後の絵として通ったのである。

売り手が不注意だったのか、確信があったのかは分からない。

分かるのは、誰も画面から誤りを正せなかったことである。

低い光は、朝と夕の両方にある。

画面だけでは、どちらとも決められない。

朝を決めているのは、絵ではなく、題の行だった。

そして題の行は、持ち主が変わるたびに書き換えられうる。

題に「おそらく」と書く記録の回で見たとおり、題は絵より動きやすい。

理屈の上でも、朝の証拠は立てにくい。

朝の印は、低い太陽と長い影である。

だが、低い太陽も長い影も、夕方に同じものがある。

影の向きで区別するには、画面の方角が要る。

そして風景画は、たいてい方角を教えてくれない。

北を指す矢印は、地図にはあっても絵にはない。

朝と夕は、絵の上ではほとんど双子である。

実際、日の出と日の入りの絵だけを数えた回がすでにある。

水平線の上の太陽を数えたら、夕方が八点で、朝は一点だった。

日の出の絵は、日の入りの絵よりずっと少ない。

あちらが数えたのは太陽の位置で、今回数えるのは、題の朝の居場所である。

では、画面の側に朝の証拠を持つ絵はないのか。

朝は、人の営みにも写る

都市の絵なら、証拠は増える。

河岸の冬の朝
フェリックス・ビュオ《河岸の冬の朝》1880年ごろ。館の記録では、エッチング、アクアチント、ルーレット、ドライポイント。版面は25.2×34.8センチ。番号は2025.182。クリーヴランド美術館蔵。フェリックス・ビュオ《河岸の冬の朝》クリーヴランド美術館蔵

濡れた石畳に、馬車が並んでいる。

辻馬車の溜まり場である。

通りを行く人は、コートの襟を立てている。

煙突からは煙が上がり、灰色の空に溶けてゆく。

街灯は、まだ形だけがそこにある。

館の記録では、パリの街路を天気と光の移ろいごと写した版だという。

歩行者と警官が行き交うさまは、同時代の印象派が捉えた瞬間と響き合うとある。

黒の深さは、四つの技法の重ね掛けで作られた。

刷りの周囲には、飾りの余白が付く。

作者はこれを「交響曲的な余白」と呼んだと、記録は伝える。

紙の隅には、後年の収集家が押した小さな印も残っている。

刷りの部数にも、この作者の癖が出ている。

館の記録では、少ない部数を多くの段階で刷り分け、希少さを演出したという。

この一枚も、刷りを大きな紙に貼り込んで、一点物に仕立ててある。

量産できる技法から、一点物を作る。

版画の常識を逆さに使った朝である。

馬車が溜まり、人が出てゆき、煙が上がりはじめる。

これが夕方なら、馬車は客を乗せて散っているはずである。

冬の朝は、空の色ではなく、動き出した街の側に写っている。

とはいえ、これも状況からの推測にとどまる。

決め手は、やはり題の行にある。

朝の絵の証拠は、光だけとは限らない。

人の営みが、時刻の代わりを務めることがある。

道具がその人の仕事を示す回で数えたのと同じ理屈である。

朝日は、文字でも書き込まれる

東洋の山水は、もっと直接な手を使う。