四百年、同じ腕で抱いている——ベルリンギエーロ・ピサーノ・ロッセリーノほか九点
型は、どうやって伝わるか
同じ抱き方が四百年続いた理由を、もう少し考えたい。
九点のうち一点に、その仕組みが残っていた。
輪郭に穴の開いた素描である。
線に沿って針を刺し、粉を通す。
そうすれば、同じ形が別の紙に移る。
移した形をもとに、絵を描く。
その絵を見た人が、また同じ形を描く。
こうして、型は広がる。
版画も、同じ働きをする。
第十五回で、複製と反復を扱った。
一枚の版から何十枚も刷れば、同じ図が各地へ届く。
そして、届いた先で真似られる。
彫刻の場合は、鋳型がある。
原型から型を取り、金属や石膏を流す。
九点のうち、彫刻は二点あった。
大理石の一点と、焼き物の一点である。
焼き物のほうは、型で成形された可能性がある。
館の記録は、そこには触れていない。
書かれているのは、材料と彩色の事実だけである。
こうした仕組みがあるから、型は残る。
そして、型があるから、比べることができる。
四百年離れた三点を並べて、同じだと言える。
型がなければ、その比較は成り立たない。
母と子が、別れる

縦長の版画である。
左に、崖のような岩がある。
右には、葉の茂った木が高く伸びる。
中央より左に、二人が向き合う。
一人は立ち、片手を上げる。
もう一人は、その前で身をかがめる。
その後ろに、人物が数人いる。
一人は、地面に座り込んでいる。
もう一人が、それを支える。
左下の遠くに、小さな人影がいくつか見える。
線は細く、密度が高い。
上のほうに、作者の印がある。
館の記録には、寸法が入っていない。
技法と、受け入れの経緯だけである。
番号に枝番が付いている。
十六枚目、という意味だろう。
つまり、連作の一枚である。
この一点は、母と子が離れる場面を描いている。
先の四点は、抱いている場面だった。
同じ二人でも、扱いが逆である。
抱く場面は、動かない。
別れる場面は、動きがある。
そして、その動きは、地面に座り込む姿勢に出ている。
第十三回で、低い姿勢を扱った。
跪く話で見たとおり、体が低くなると、支えが要る。
ここでは、後ろの人物が支えている。
背景を、どう扱うか
九点の背景を数えた。
金の地が一点。
一色で塗るものが二点。
紙や絹の地をそのまま残すものが三点。
風景を描くものが二点。
室内の一部を描くものが一点。
つまり、六点は背景を作っていない。
これまでの回でも、同じ傾向が出ていた。
人物が主題のとき、背景は省かれやすい。
ただし、金の地は少し性格が違う。
金は、何もないことを示すのではない。
光や、聖なる場所を示す約束である。
そして、金は高価な材料である。
板に薄い金箔を貼り、その上に絵具を置く。
金の地に線が刻まれているのも、そのためだ。
彫った線が光を受け、模様として見える。
第十九回で、光をどう示すかを扱った。
光源の話では、画面の中に光源が置かれていた。
金の地には、光源がない。
面そのものが光る。
九点のうち、この方法を使うのは一点だけである。
そして、それがいちばん古い一点だった。
時代が下ると、金の地は減っていく。
代わりに、暗い一色や、風景が置かれる。
材料の変化と、描き方の変化が対応している。
型の外にある、母と子

館の記録は、支持体の作りを書いている。
薄い簀の目紙に描き、同じ紙に貼る、とある。
薄い紙は、扱ううちに破れる。
だから、裏に紙を当てて補強する。
この処置は、この回の九点のうち二点にある。
紙の作品は、たいてい何らかの手当てを受けている。
赤いチョークだけの素描である。
紙は淡い褐色になっている。
中央に、二人の人物が座る。
左の人物は、膝に小さな子を乗せる。
その子は、体を横たえている。
右の人物は、少し大きい子である。
こちらへ体を向け、腕を伸ばす。
三人の顔は、輪郭だけで描かれる。
目や口は、数本の線しかない。
背景は、紙のままである。
館の記録の札には、四つの語がある。
子ども、母、女性、そして授乳である。
つまり、館はこの場面をそう読んでいる。
題は「母性」である。
特定の誰かではない。
概念を表す語が、題になっている。
第十六回で、「習作」が題になる例を見た。
ここでは、「母性」が題になっている。
どちらも、描かれた人の名前ではない。

暗い緑の背景である。
その前に、二人が座る。
大きいほうは、白い衣を着ている。
袖が長く、襟元が高い。
頭に、白く高い被り物をつける。
その両側に、緑の飾りがある。
膝に、小さな子を乗せる。
子も、白い衣である。
頭に、白い縁飾りのある帽子をかぶる。
腰に、青い帯を締める。
子の手が、小さな何かを持つ。
大きいほうの手も、同じものに触れる。
背もたれの一部が、右に見える。
作者の名は分かっていない。
館の記録は、作者の欄に「アメリカ、18世紀」と書く。
第一回でも、同じ書き方の一点を見た。
横顔の話で扱った一点も、同じ欄だった。
描かれた二人の名も、記録にない。
つまり、誰も名前が分からない。
それでも、これは肖像である。
家の中で、身近な二人を残すために描かれた。