表と裏に、別の枝番がつく——レオナルドほか
四つの番号のうち、三つが新しい
四枚のポルトガルの板には、もう一つ気づくことがある。
提供元が公開しているデータでは、四枚の通し番号がそろっていない。
一枚だけが古い形の識別子を持ち、残る三枚は新しい番号帯にある。
同じ受入の、同じ衝立の、隣り合う板である。
それでも識別子の並びは連続しない。
これは、記録が一度に作られたのではないことを示している。
はじめは一枚だけが登録されていた。
あとから、残る三枚が別々に加えられた。
その順番が、識別子の並びに残っている。
作品の番号は連続していても、記録の番号は連続しない。
二種類の番号が、別々の時間を刻んでいる。
同じ欄を、四つで共有すること
四枚が寸法の欄を共有していることには、利点と欠点がある。
利点は、全体の姿がすぐ分かることだ。
一枚の板だけを見ていても、衝立の総寸法が目に入る。
縦222センチ、横286.6センチという数字がある。
板一枚の縦151.5センチと比べれば、上下に七十センチの余りがある。
その余りが、上の飾り縁と下の台の部分である。
欠点は、その板だけの数字を探しにくいことだ。
四つの数字が並ぶ中から、自分の見ている板のものを選ぶ必要がある。
聖人の名を頼りに、対応する行を拾うことになる。
館は、板ごとの数字に聖人の名を添えてこの問題を解いている。
「聖ディオニシウス、画面」という形で書かれている。
欄を共有しても、中で区別できるようにしてある。
上の文字は、四百年後のもの
四つの記録が共有するのは、寸法だけではない。
銘記の欄も、四つとも同じ文が書かれている。
板の上の飾り縁に、四人の聖人の名が記されている、という内容だ。
そのうえで、館は一言添えている。
この文字は、おそらく二十世紀初めのものである、と。
つまり、四百年後に書き足された名である。
絵の一部ではなく、後の持ち主が付けた札に近い。
館の記録は、それを消さずに残し、時期の推定を添えた。
古い文字と新しい文字を、同じ欄に書き分けている。
書き分けなければ、読む側は同時代の銘記だと思ってしまう。
一言の但し書きが、四百年の差を伝えている。
番号が分けても、絵は分かれない
十点を並べて分かるのは、番号の限界でもある。
表と裏に別の番号を振っても、板は一枚のままだ。
四枚に別の番号を振っても、衝立は一つのままだ。
番号は、指すための道具であって、切り分ける道具ではない。
切り分けたつもりになると、読み違える。
たとえば表だけを見て、裏の紋章を知らないままでいる。
たとえば一枚の聖人だけを見て、四枚の並びを想像しない。
記録は、そうならないように工夫をしている。
寸法の欄に全体の数字を残す。
題に、表とか裏とか、括弧で位置を書き添える。
銘記の欄で、隣の板の名まで並べる。
分けた番号を、また束ね直す仕掛けが各所に置かれている。
分けることと束ねることは、同じ作業の裏表である。
枝番の末尾を、読む習慣
作品の番号を見たら、末尾に目をやるとよい。
小文字が付いていれば、同じ物の別の面がある。
数字が三つ以上並んでいれば、隣に仲間の板がある。
どちらの場合も、その一点だけを見ていては足りない。
館の記録は、その手がかりを末尾の一文字に託している。
短い記号だが、読めば作品の作りが分かる。
十点のうち、末尾に何も付かないものは一つもない。
すべてが、何かの一部である。
一部であることを示すために、番号は伸びた。
伸びた分だけ、記録は正確になっている。
見えない面を、記録が支える
美術館で表と裏の両方を見られる作品は少ない。
多くは、片面だけが壁に向けられる。
見えない側があることは、その場では分からない。
分かるのは、記録を開いたときである。
番号の末尾にbがあれば、もう一つの面がある。
そこには別の画面があり、別の技法が使われているかもしれない。
紋章があれば、注文した家が分かるかもしれない。
文字があれば、年が分かるかもしれない。
十点のうち、年が確定しているのは四点である。
そのうち二点は、裏の文字によって年が決まっている。
見えない面が、表の年を支えている。
記録の役目の一つは、この支えを見えるようにすることだ。
壁の前では隠れているものを、番号で呼び出せるようにする。
枝番は、そのための最も短い仕掛けである。
十点で、何点あるのか
最後に、数え方の話に戻る。
この記事で扱った十の番号は、物としては何点になるか。
表と裏の三組は、板としては三枚である。
四枚の板は、衝立としては一つである。
つまり十の番号は、板でいえば七枚、まとまりでいえば四つになる。
数え方によって、答えが三通りに変わる。
館は、そのどれも間違いだとは言わない。
必要に応じて、どの数え方でも取り出せるようにしてある。
十という数は、記録の上での点数である。
七という数は、扱う物の枚数である。
四という数は、もとの作品の数である。
三つの数を混ぜないことが、記録を読むときの基本になる。
面を数えるか、板を数えるか
十点を通して見ると、枝番の役割は一つに絞れる。
分けて指せるようにすること、である。
表と裏を分けて指せば、面ごとに技法を書ける。
四枚の板を分けて指せば、板ごとに聖人の名を書ける。
指せるかどうかが、記録の細かさを決めている。
そして分け方は、対象の作りに合わせて選ばれる。
一枚の板の両面なら、小文字で面を数える。
横に並ぶ複数の板なら、数字で板を数える。
同じ館の中で、二つの記法が併用されている理由はそこにある。
この二つは、どちらも「一点」を疑うところから始まっている。
一点とは何か。物としての一点か、絵としての一点か。
記録は、その問いに毎回答えを出さなければならない。
そして答えを、番号の末尾という短い場所に書き込む。
小文字ひとつ、数字ひとつが、その判断の跡である。










