画家を知る

都市と畑の、あいだに立つ——カミーユ・ピサロ

なぜ、上から見ているのか

この視点には、はっきりした理由がある。

1890年前後から、ピサロは目の病気に悩まされた。涙管の慢性的な炎症で、屋外の風や埃が症状を悪化させた。

長時間、屋外に画架を立てることが難しくなったのである。

そこで彼は、ホテルや借りた部屋の窓から描く方法に切り替えた。

窓の内側なら、風も埃もない。しかも高い位置から、通り全体が見渡せる。

制約から生まれた方法である。

そして、この視点は絵の内容を変えた。

地上に立って通りを見れば、人は横から見える。顔が見え、服装が分かり、個人として認識できる。

上から見下ろすと、人は点になる。顔が見えず、区別がつかない。

つまり画面の主役が、人から流れへ移る。馬車の列、歩く人の密度、通りの明暗。

都市を、そこに住む個人ではなく、動きの総体として捉えている。

清長が描いた江戸の行楽地では、人物が横に並び、一人ひとりの着物が描き分けられていた。別のコラムで扱っている。

同じ「都市の群衆」でも、見る高さが違えば別の絵になる。

そしてこの方法は、結果として彼の代表作を生んだ。同じ窓から、季節と時刻と天候を変えて何十枚も描いている。

ルーヴル、午後、雨
《ルーヴル、午後、雨》1900年。油彩・画布。セーヌ川を見下ろす。手前の岸は雨に濡れて光り、川面には荷船が並ぶ。カミーユ・ピサロ《ルーヴル、午後、雨》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

雨の日の一枚は、川を扱っている。

画面の中央から右へ、セーヌが広がる。水は灰緑色で、短い筆の跡が水面の細かい揺れになっている。

川には荷船と汽船。煙突から灰色の煙が上がる。中景を橋が横切り、その向こうに霞んだ建物が並ぶ。

右側には、ルーヴルの長い建物が奥へ続いている。

手前は川岸の遊歩道である。雨に濡れて光り、その上を数人が歩いている。傘を差した人物もいる。

左手前には、まだ葉の出ない木が枝を広げる。枝先は桃色がかっていて、芽が動きはじめていることが分かる。

左下に「C. Pissarro 1900」の署名。

カルーゼル広場、パリ
《カルーゼル広場、パリ》1900年。油彩・画布。手前に人の行き交う広場、中景に新緑の並木、奥にルーヴルの長い建物。カミーユ・ピサロ《カルーゼル広場、パリ》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

同じ年の別の一枚は、晴れた日の広場である。

手前下に、明るい砂色の地面が広がる。そこを人が行き交っている。日傘を差した人、子どもを連れた人、馬車。

中景には木が並ぶ。葉は出たばかりで、黄緑が明るい。

その向こうに、ルーヴルの長い建物が横一文字に伸びる。屋根の形が細かく描き分けられている。

左端に、手前の建物の壁と煙突が入り込む。これが窓から描いていることの証拠になっている。

自分のいる建物の一部が画面に写り込む。ちょうど、窓枠越しに首を出して見たときの見え方である。

空は水色で、白い雲が大きく盛り上がる。左下に「C. Pissarro 1900」。

同じ場所を、繰り返し描く

この方法は、モネの連作とよく似ている。

対象を固定し、条件だけを変える。詳しくは別のコラムで扱っている。

ただし動機が違う。

モネは光の変化を追うために、意図して同じ対象を選んだ。

ピサロは、体の都合で場所を動けなかった。動けないから、同じ窓から描き続けた。

結果は似ていても、出発点は正反対である。

見立て——外から来た人の目

ここからは書き手の見方である。

ピサロの経歴で私がいちばん重要だと思うのは、外から来た人だったという点である。

カリブ海の島に生まれ、二十五歳でパリに来た。フランスの美術教育の中で育っていない。

そして生涯、フランス国籍を取っていない。デンマーク領で生まれたまま、その国籍で死んでいる。

この位置は、主題の選び方に影響していると考えたい。

生まれ育った者にとって当たり前の風景は、外から来た者には当たり前ではない。

耕された畑、働く農夫、大通りの群衆。フランスの画家が「絵にならない」と見過ごしたものを、彼は見ている。

もっとも、これは推測である。本人がそう語った記録があるわけではない。

ただ、若い画家たちが彼のもとに集まった理由の一つは、この開かれた目にあったのではないか。

もうひとつ、人柄の問題もある。

彼は年下の画家の方法を、六十近くになってから採り入れた。点描である。

普通、その年齢で確立した様式を捨てるのは難しい。捨てれば、それまでの評価も失いかねない。

実際、点描期の作品は当時あまり売れなかったと伝えられる。

それでも数年やってみて、合わないと判断して戻った。

試して、やめる。この身軽さは、才能とは別の資質だと思う。

セザンヌは一時期、彼と並んで戸外で描いている。ゴーギャンも助言を受けた。

セザンヌとの共同制作については別のコラムで触れている。

目立たない画家である理由

もうひとつ、率直に書いておきたい。

ピサロの絵は、モネやルノワールほど強い印象を残さない。

理由は明らかだと思う。一枚で決めにいっていないからだ。

モネの連作には、光の劇的な変化がある。ルノワールの人物には、見た目の快さがある。

ピサロの畑には、そのどちらも無い。淡々としている。

そのかわり、彼の絵は並べたときに強い。十枚並べると、季節と時刻と天候の幅が見えてくる。

一枚で勝負する画家ではなく、量で語る画家である。

これは弱点でもあり、性格でもある。どちらとも決めずに置いておきたい。

付け加えると、当サイトで公開しているピサロは36点ある。

カリブの1856年から、パリの1900年まで。四十年以上の幅がある。

一人の画家の生涯を、これだけの幅で並べて見られる機会は多くない。

一枚ずつ見ると淡いが、四十年分を通して見ると、主題も筆致も大きく動いている。

この画家は、そういう見方に向いている。

暮らしへ——同じ窓から、何度も見る

最後に、実践できる話をひとつ。

ピサロが晩年にやったことは、いま誰にでもできる。

同じ窓から、同じ景色を、何度も撮る。

朝と夕方。晴れと雨。夏と冬。

一枚ずつでは、ただの窓の外である。二十枚並べると、その場所の一年になる。

意外なのは、同じ景色が思ったより変わることだ。光の角度、影の長さ、人の服装、木の枝。

これを続けると、見る目が変わってくる。「今日はいつもと違う」が分かるようになる。

飾るときも、この考え方が使える。一枚だけを選ぶのではなく、同じ場所の二枚を並べる。

比べる対象があると、絵は読みやすくなる。飾る場所と光についてはこちらのコラムで扱っている。

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