絵のなかでは、大人もよく遊ぶ——華嵒・リュノワ・ネッチェルほか九点
遊びは子どもの時間だと言われる。だが遊びを描いた九点を数えると、子どもが遊ぶ絵は三点、大人が遊ぶ絵は四点あった。目隠し鬼は清の中国と世紀末のフランスで同じ布一枚。盤と札を囲むのは神と大人たち。絵のなかの遊び手を数え直す。

開いた扉の上に、白い羽根がひとつ
赤い扉が、左右いっぱいに開いている。
その向こうには川が流れ、白い帆と小さな町が見える。
手前の部屋には、子どもが五人いる。
左端の年かさの少年は、柄の付いた丸い板を高く構えている。
隣の少年は同じ板を胸に抱え、上を見ている。
青い服の幼い子も、指を立てて空を差す。
右端では白い服の少女が立ち、板を目の高さに掲げている。
椅子に座る少女だけが、膝の上に緑の本を置いて動かない。
床は赤く、大きな花模様が織り出されている。
窓辺には鉢植えが並び、緑の足載せ台が椅子のそばに置かれている。
そしてみんなの視線の先、扉の上のあたりに、白い羽根が浮かんでいる。
床にも、羽根がもう一つ落ちている。
打ち上げた羽根が落ちてくるまでの、短い一瞬である。

題は、ネイサン・スターの子どもたち。
アメリカの画家アンドルーズが、1835年に描いた。
つまりこれは五人まとめての肖像画であり、同時に遊びの絵である。
館の分類の札には、少年、少女、遊び、家族、遊戯の語が並ぶ。
体の向きは五人ばらばらで、それでも画面は一枚にまとまっている。
全員の目が、同じ一枚の羽根を追っているからである。
五人を順に立たせて描けば、堅い記念写真のような絵になっただろう。
羽根をひとつ打ち上げたことで、五人の顔は自然に上を向いた。
遊びが、肖像画の名脇役を務めている。
開いた赤い扉は、川と町の風景を絵のなかの額縁のように切り取っている。
部屋の遊びと、外の広い世界が、一枚のなかで隣り合う。
さて、遊びは子どもの時間だと言われる。
この絵で遊んでいるのも、たしかに子どもたちである。
けれど、絵のなかの遊びは、いつでも子どものものだったろうか。
遊びの絵と聞いて思い浮かぶのは、凧あげや、こま回しかもしれない。
今回集まった九点の遊びは、もう少し顔ぶれが広い。
鬼ごっこ、盤、札、羽根、船の宴、おもちゃ。
遊ぶのは人の子だけでなく、大人がいて、神がいて、獣の子までいる。
九点を順に見て、遊んでいるのが誰かを数えてみたい。
目隠しの布が、二枚ある
まず、灰色の庭石の絵から。
大きな葉の茂る庭で、子どもが遊んでいる。
真ん中の赤い服の子は、白い布で目を覆われ、両手を前に泳がせる。
まわりの子どもたちは、体をかがめ、忍び足で間合いをはかる。
庭石の穴からは、別の子の顔がのぞいている。
目隠し鬼である。

描いたのは、清の時代の中国の画家、華嵒である。
古い詩を絵にした画帖の一葉だと、題は言っている。
館の記録では、華嵒は揚州八怪のひとりに数えられる。
型どおりの画法によらなかった画家たち、という説明が付く。
たしかに、主役は庭石で、子どもはその足元に小さい。
石の黒い染みと大きな葉が、墨の遊び場のように描かれている。
隅には、赤い印がひとつ押されている。
絵は縦11センチほどしかない。
帖を閉じれば、記録の寸法で15センチほどの小さな冊子になる。
手のひらの上の帖のなかで、子どもたちが鬼ごっこをしている。
その百五十年ほどあと、フランスでも同じ遊びが刷られた。
夕方の色の公園の芝生で、五人の女性が輪になっている。
真ん中の赤い服の人が、白い布で目を覆われ、両腕を広げる。
まわりの四人は、身をよじって手の届く外へ逃げる。
奥には見物の人だかりがあり、木々は橙に染まっている。
空の高いところには、点々の筆致で日ざしが放射状に描かれている。
手前の白い柵が、遊びの場をゆるく囲う。

館の記録では、目隠し鬼は子どもの遊びである。
目を覆われ、ぐるぐる回されてから、声を頼りに仲間を探すとある。
その子どもの遊びを、ここでは大人の女性たちが遊んでいる。
場所は手入れされた公園で、19世紀末のパリの人々の憩いの場だった。
緑と黄の鮮やかな色は、戸外の光の明るさを出すための選択だという。
用いた多色刷りリトグラフは、もともとポスターなどの商業印刷の技法だった。
1890年代に、画家たちの間へ広まったと記録は書く。
付記によれば、リュノワは他人の絵を版に写す仕事から出発した。
この版画のころ、ようやく自作を刷り始めたのだという。
九点のうち、目隠し鬼の絵はこの二点ある。
18世紀の中国では子どもが、19世紀末のフランスでは大人が遊ぶ。
布が一枚あれば、道具はそれで足りる遊びである。
子どもらしい体の比を数えた回で見たように、子どもの描き方は時代で揺れる。
だが目隠しの布の使い方は、国と時代をまたいで、ほとんど同じである。
二点の作りも対照的である。
華嵒のそれは、一冊の帖のなかの、持ち主だけが開く小さな絵だった。
リュノワのそれは、刷って配ることを前提にした版画である。
同じ遊びが、私的な帖と、量産の紙という別の器に納まっている。
器は違っても、布一枚の遊びの形は変わっていない。
盤のある遊び、札のある遊び
次は、道具が主役級の二点である。
一点目は、黄一色の地の絵。
縞模様の敷物の上に、二人が向かい合って座っている。
左は肌の白い男神、右は赤い衣の女神である。
敷物には縞が走り、端には爪のある足がそのまま残っている。
獣の皮を、敷物にしているのである。
二人の間には十字の形の盤が広げられ、赤と黒のこまが並んでいる。
左右には濃い緑の木が一本ずつ立ち、空は上端に白く細い。