絵のなかでは、大人もよく遊ぶ——華嵒・リュノワ・ネッチェルほか九点

シヴァとパールヴァティー、インドの夫婦の神である。
遊んでいるのは、チャウパルという盤上の遊びだと題は言う。
十字の盤がそのまま画面の中心に置かれている。
描いたのは、ヌールプルの絵師デーヴィダーサ。
ラサマンジャリと呼ばれる詩集を絵にした連作の一葉である。
1694年から95年という年記が残る、と記録にある。
地の黄色は塗り残しがなく、二人と盤を浮かび上がらせる。
神さままで、盤を挟んで遊んでいる。
盤を挟んだ向かい合いは、そのまま二人の語らいの形にも見える。
二点目は、オランダの暗い室内である。
絨毯を掛けた机を、四人が囲んでいる。
赤い服の女性が、札を一枚、目の高さに持ち上げている。
その後ろに男性が立ち、奥にはパイプを手にした人がいる。
手前には金色の服の女性が背を向けて立ち、足元の腰掛けには小さな犬がいる。

17世紀オランダの画家ネッチェルの絵である。
館の分類の札には、室内、男、女、カード遊び、犬、遊戯と並ぶ。
壁には浮き彫りらしい額が掛かり、左からの光が金色の衣を照らす。
赤いカーテンと光る衣の艶が、勝負の場を飾っている。
札の読めない犬まで、机のそばの特等席にいる。
遊びの輪の内と外が、立つ人と座る人で描き分けられている。
目隠し鬼が体の遊びなら、こちらは手元と頭の遊びである。
走る足の代わりに、札を持つ指先が画面の要になっている。
盤や札を使う遊びは、九点のうちこの二点である。
そしてどちらも、遊んでいるのは子どもではない。
神と、着飾った大人たちである。
対に描かれた遊びの絵の寸法を測った回でも、遊ぶのは大人だった。
盤と札は、賭けや駆け引きと相性がよい。
子どもの遊びより、絵に注文が付きやすかったのかもしれない。
船の上も、遊びの場である
五枚続の横長の画面に、大きな屋根船が浮かんでいる。
上に張られた黒い布には、川の字と一の字の印が大きく染め抜かれている。
船の名は、川一丸。
船縁の下には波の線が走り、乗る人は十人を超える。

江戸の絵師、鳥文斎栄之の錦絵である。
館の記録では、船には芸人たちが乗り込んでいる。
右端では、若い踊り子が衣装の帽子を直してもらって出番を待つ。
中ほどでは三人が演奏し、二人が鼓を、一人が三味線を受け持つ。
それを聞きながら、煙管をくゆらせる女性がいる。
左端には、漆塗りの台に松と百合と菖蒲の生け花が飾られている。
それを楽しむ三人の女性のうち、一人は隣の小舟から眺めているとある。
日本語はこの宴を、船遊びと呼んできた。
誰かが鬼になるわけでも、勝ち負けが決まるわけでもない。
それでも、この時間は遊びと呼ばれる。
遊びという語は、子どもの鬼ごっこにも、大人の船の宴にも使われる。
横126センチの続き物を扱った栄之の回で見たとおり、栄之は横に長い画面の名手である。
五枚をつないだ横長は、細長い船と遊びの時間を丸ごと収めるための判型だった。
一枚では船首しか入らない船が、五枚なら艫まで入る。
音楽と花と煙草の煙まで、この遊びには含まれている。
遊びを盛り上げる側の芸人たちにとって、この船は仕事場でもある。
同じ画面のなかに、遊ぶ人と、遊ばせる人が乗り合わせている。
題は遊ぶと言い、解説は乳と読む
ここで、少し困る一点が出てくる。
赤みがかった土の色の彫刻である。
若い女性が座り、膝の上の幼い子を抱きかかえている。
足元には、花をあふれさせた籠が倒れている。

18世紀フランスの彫刻家クロディオンの作である。
高さは31センチに満たない、卓上の像である。
台には、クロディオンと署名が刻まれていると記録にある。
題は、遊ぶ若い女と子供。
ところが館の解説は、生まれたばかりの子に乳を飲ませる母、と読む。
肩に流れる髪の房から足元の花束まで、細部が丹念だと記録は述べる。
テラコッタは、粘土を成形して焼いた素焼きの像である。
クロディオンは多くの作品をこの素材で作った。
焼き上がりの土の色は一点ごとに違い、この作はなめらかな赤灰色だという。
見れば、子は母の胸に顔を寄せ、母は子を見下ろしている。
母の右手は子の体に添えられ、左手は布の上に置かれている。
遊びの最中なのか、乳の時間なのか。
題と解説は、同じ像を別の言葉で呼んでいる。
四百年の母子像を並べた回で見た抱き方と、腕の形は同じである。
膝の上の子との時間は、遊びとも世話とも呼べる。
遊びという語の縁は、ここでは曖昧である。
どちらと決める材料は、記録にはない。