影は、どちらへ伸びているか——欧米絵画・版画・素描ほか九点
森も、室内と呼ばれる
題に、森の内部とある。
館の記録の分類にも、同じ語が使われている。
つまり、部屋と森が、同じ語で呼ばれている。
これは、比喩ではない。
囲まれた空間、という意味の語だからである。
壁が木でできているか、石でできているかの違いにすぎない。
そして、実際に見え方も似ている。
囲まれていて、上から光が入る。
外がほとんど見えない。
前の回で、火という語が別のものを指す例を見た。
こちらは逆である。
同じ語が、二つの違うものを正しく指している。
木の葉の天井

横長の小さな絵である。
紙に油彩で描かれている。
第六回でも、同じ技法の一点を読んだ。
現地で描いた下絵に多い形式である。
画面のほとんどが、暗い緑である。
上から、木の枝が垂れ下がる。
葉が密で、空がほとんど見えない。
中央に、大きな岩の塊。
苔に覆われている。
その左下に、細い水の流れ。
そして、岩の手前に、小さな人影が一つ。
座って、何かをしている。
題によれば、画家である。
まわりが暗いので、判別しにくい。
上のほう、わずかな隙間から光が差す。
上から入る光
森の内部では、光は上から入る。
葉のあいだの隙間からである。
そして、その光は斑になる。
葉が動くので、斑も動く。
つまり、森の光は一定しない。
この一点では、上部の隙間だけが明るい。
そして、下は一様に暗い。
パンテオンの一点と、構造は同じである。
上に一つ穴があり、そこから光が落ちる。
石の建物と、木の森。
まったく違うものが、同じ光の構造を持っている。
九点を、光の入口で分ける
九点を、光の入口で分けたい。
天井の穴から入るものが二点。
パンテオンと、森の内部。
壁の全面から入るものが二点。
温室と、開け放った座敷。
窓から入るものが二点。
フェルメールとロンギ。
戸口から入るものが一点。
国勢調査の場面。
入口が描かれていないものが二点。
芝居小屋と、円い素描である。
床の描き方
室内画で、床は奥行を作る重要な部分である。
九点の床を見比べたい。
模様のある石が二点。
パンテオンと、フェルメール。
いずれも、規則的な図形が並ぶ。
そして、その図形が奥へ行くほど扁平になる。
その変形が、奥行を作っている。
板の間が二点。
歌麿の座敷と、芝居小屋。
畳と枡の線が、奥へ収束する。
土間が一点。
国勢調査の場面である。
敷物と道具が散らばる。
石の通路が一点。
温室である。
そして、地面が二点。
森の内部である。
床に規則的な模様があると、奥行が正確に測れる。
模様のない床では、置かれた物の大きさで測るしかない。
第五回で、視点の高さを読む手がかりを三つ挙げた。
床の模様は、そのどれよりも直接的である。
入口が、影の向きを決める
最後に、光の入口と影の関係をまとめたい。
天井から入れば、影は真下にできる。
短く、濃い。
窓から入れば、影は横へ伸びる。
長く、方向がそろう。
壁の全面から入れば、影が弱くなる。
方向が定まらないからである。
九点を見ると、この対応が守られている。
パンテオンの床には、円い明かりが落ちる。
フェルメールの床には、横向きの影が伸びる。
歌麿の座敷には、影がない。
つまり、影を見れば、光の入口が分かる。
そして、光の入口を見れば、影の形が予想できる。
どちらか一方を描けば、もう一方は決まってしまう。
だから、両方を勝手に決めることはできない。
絵のなかの光は、一度決めると全体を縛る。
次の回では、窓そのものを見たい。
窓は、光の入口であると同時に、絵の中の絵でもある。
室内に、何人いるか
九点の人数を数えたい。
パンテオンには、三十人以上。
芝居小屋には、百人を超える。
歌麿の座敷には、十人以上。
国勢調査の場面には、八人。
ロンギの訪問には、六人。
温室には、二人。
フェルメールには、一人。
そして、森の内部には、一人といない一点。
室内の広さと、人数はおおむね比例する。
広い建物ほど、多くの人が描かれる。
そして、人数が増えるほど、一人が小さくなる。
第一回で書いたとおりである。
芝居小屋の観客は、一人が数ミリしかない。
顔の描き分けはない。
一方、フェルメールの一人は、画面の三分の一を占める。
顔も、指も、衣の襞も細かい。
同じ室内画でも、人数によって描き方が変わる。
そして、人数は主題を語っている。
大勢なら、場所が主題である。
一人なら、その人が主題である。
九点を人数の順に並べると、そのまま主題の順になる。
画面の形が、円い一点
九点のうち一点だけ、画面が円い。
森の内部の素描である。
四隅が白く残され、中央だけが描かれている。
円い画面は、室内に向いている。
囲まれている感じが強まるからである。
四角い画面では、隅がどうしても余る。
円ならば、余らない。
そして、円の中心へ目が集まる。
第十回で読んだ月の円は、画面のなかの図形だった。
こちらは、画面そのものが円である。
第十七回でも、円い画面の作品を扱った。
扇を画帖の一葉にしたものである。
いずれも、画面の形が四角でないと、見え方が変わる。
そして、この素描は画帖に貼られていたものである。
題に、ある画帖の名が入っている。
つまり、一枚の頁として作られている。
円い形は、貼るときの装飾でもあっただろう。
第十七回で扱った、画帖の一葉という単位である。
窓から見える景色は、それだけで一枚の絵になる。
そして、窓枠がその額縁になる。
第五回で読んだ丸窓の版画が、まさにそうだった。
次の回では、その関係をもう少し詳しく見たい。
窓が一つあると、画面は二重になる。
内と外が、同じ一枚に収まる。
その二重の構造が、今回の主題になる。










