肩は、何かを載せる台である——懐月堂度繁・ピアッツェッタ・カトリンほか九点
なで肩の、茶葉入れ
銀に金を着せた箱である。
高さ13.4センチ。
幅9.6センチ。
奥行き5.8センチ。
手のひらに収まる。
胴は、四角い。
角は、丸められている。
上のほうで、両側が斜めに落ちる。
その落ち方が、なだらかである。
落ちきったところに、小さな口がある。
口には、蓋が載る。
蓋は、山形である。
肩の部分に、装飾が集まる。
渦を巻く線と、葉らしい形。
四つの面すべてに回る。
胴の平らな部分には、何もない。
磨かれた面が、光を返す。

館の説明は、この形の来歴を書いている。
十七世紀と十八世紀の英国で、銀は富と地位の印だった。
茶も、高価な品である。
だから、銀の茶葉入れは持ち主の格を示した。
そしてこの、目立って傾斜した肩の形。
この作者が一七三〇年代の初めに考案した。
十年のうちに、茶葉入れの標準の形になった。
つまり、肩の傾きが型の名になっている。
前の壺でも、肩は部位の名だった。
ここでは、肩の角度が様式の名である。
茶の道具については、茶は、器から始まるで扱った。
肩まで、砂に埋まる
写真である。
図の寸法は39.5×49センチ。
横長で、大きい。
画面の中央に、石の建物がある。
柱が、何本も立つ。
柱の上に、横木が渡る。
その上に、飾りの帯が見える。
建物の下半分は、見えない。
砂に埋まっている。
砂は、画面の手前まで続く。
手前には、崩れた石が散る。
四角く切った石である。
大きさは、人の背丈ほどに見える。
空は、白い。
雲はない。
人も、写っていない。

館の説明は、この写真家の言葉を引いている。
この神殿は、半分以上が砂に埋まっていた。
それを見て、写真家はこう書いた。
肩まで埋められた、大きな老いた巨人を思わせる。
まだ死んではいないが、力を奪われ、呪いに閉じこめられている。
無力さのなかに、なお威厳がある。
館は続けて、この写真家の方針も書く。
感情の効果より、描写の正確さを重んじた。
真実の記録は、精巧に美しい絵より価値がある、と本人は言った。
その人が、比喩では肩を使っている。
建物に肩はない。
しかし、埋まり方を言うのに肩がいちばん近かった。
首まででは深すぎ、腰まででは浅すぎる。
肩は、その中間を示す目盛りである。
この神殿は、その後に掘り出された。
いまは、砂の下から全体が出ている。
だからこの写真は、埋まっていた時期の記録である。
撮った時点では、記録のつもりだった。
いまは、失われた状態の唯一の証拠になっている。
比喩のほうも、そのまま残った。
数えてみると
九点を数え直す。
人の肩が画面に写っているのは、四点である。
遊女、ローザ、海の王、首長の妻。
肩のための道具が、二点。
器物の肩が、二点。
比喩の肩が、一点。
写っている四点を、さらに見る。
遊女の肩は、ねじれの起点だった。
ローザの肩は、棒を載せる台だった。
海の王の肩は、紐をかける場所だった。
首長の妻の肩には、毛皮が載っていた。
四点とも、肩の上に何かがある。
棒、紐、毛皮、そして視線の向き。
肩そのものが主題になった一点は、なかった。
肩は、何かを載せるための場所として描かれる。
道具の二点も、載せるものだった。
鉄の板を、肩に載せる。
器物の二点も、載せる場所である。
肩から上に、口と首が載る。
比喩の一点は、埋まる深さの目盛りだった。
九点すべてで、肩は基準面として働いている。
言えることと、言えないこと
言えるのは、肩が水平の基準だということである。
手や指は、動く。
腕は、伸びる。
肩は、あまり動かない。
動かないから、そこに物が載る。
そして、動かないから目盛りになる。
肩までの深さ、肩の幅、肩の傾き。
どれも、測るための言い方である。
体の部分でありながら、肩は道具に近い。
言えないことも、いくつかある。
まず、日本語では肩の語が落ちやすい。
振り返るに、肩は要らない。
だから、日本語の記録だけを探しても、この九点は集まらない。
英語の記録があったから、集まった。
次に、器物の肩は比喩である。
比喩がどこまで元の意味を保つかは、わからない。
壺の肩を作った人が、人の肩を思っていたとは限らない。
名がついた時点で、比喩は薄れる。
最後に、九点のうち三点が甲冑と器である。
つまり、鉄と陶の肩である。
やわらかい肩は、四点しかなかった。
肩は、守られる場所でもある。
守るために、そこだけ別の材料で作られる。
体の中で、そう扱われる部分は多くない。
肩と、頭と、胸くらいである。
肩は、体の中でいちばん台に近い部分である。
台であることは、絵では目立たない。
目立たないから、題にもなりにくい。
今回の九点でも、肩が題の中心にあるのは二点だけだった。
肩甲と、肩当である。
どちらも、人の肩ではなく、道具の名である。
人の肩が題に出たのは、振り返る遊女の一枚だけだった。
しかもそれは、英語の題でのことである。
日本語の題からは、肩が消えている。
消えた語を数えることは、できない。
数えられるのは、残った語のほうだけである。
残った語をたどると、肩は台に行き着く。
物を載せ、寸法を測り、深さを示す。
体でありながら、家具のように働いている。









