止まった画面で、動きをどう示すか——ホーマー・キルヒナー・劉節ほか九点
走る人を、上から見る

館の記録は、ページ全体の寸法だけを書いている。
35.2×23.8センチである。
前の回で見たムガルの一葉では、画面と縁が別に測られていた。
この一点では、分けられていない。
同じ館の同じ部門でも、記録の細かさが揃わない。
縦長の一葉である。
上のほうに、赤い城壁と建物がある。
塔と、丸屋根が並ぶ。
その手前から、緑と桃色の斜面が広がる。
斜面の上に、人が四十人以上いる。
多くが走っている。
腕を振り、脚を開く。
倒れている人もいる。
中央に、獣が一頭いる。
その周りに、人が集まる。
上のほうの城壁の窓から、人々が見下ろす。
視点は高い。
真上に近い角度から、斜面全体が見える。
館の記録によれば、これは歴史の書物の挿絵である。
亡命中の君主が、ある都で歓待された場面だという。
そして、その席で競技が催されたと記録は書く。
これは館の説明である。
こちらで確かめられるのは、大勢が走っている、ということだ。
高い視点は、動きを見せるのに向いている。
真横から見ると、手前の人が奥の人を隠す。
上から見れば、全員が重ならずに置ける。
四十人以上の姿勢を、一枚に並べられる。
そして、姿勢が全部違う。
同じ形の人が一人もいない。
逃げるという動き

版と紙の寸法が、ほとんど同じである。
版が40.6×52.5センチ、紙が40.7×54センチ。
縦は一ミリしか違わない。
つまり、版の縁ぎりぎりで紙が切られている。
余白がほとんど残っていない。
前の回でも、こうした裁断の例を見た。
持ち主が余白を切ることは、珍しくない。
画帖に貼るとき、余白は邪魔になる。
石造りの建物の間である。
左に、太い柱が立つ。
右奥に、崩れかけた建物が見える。
中央に、人物の塊がある。
一人の男が、老人を肩に担いでいる。
老人は、小さな箱のようなものを抱える。
その足元に、子どもがすがりつく。
後ろに、女性が続く。
さらに後ろにも、人がいる。
床には、倒れた人と、割れた石がある。
衣が、全員の後ろへ流れる。
線は細かく、密度が高い。
館の記録によれば、これは古い叙事詩の場面である。
そして館は、この版が別の画家の構図に基づくと書いている。
うねるような構図と、細かい線の網が、次の時代を予告するという。
これは館の見解である。
こちらで確かめられるのは、衣が後ろへ流れている、ということだ。
第十九回で、動きは布で描かれると書いた。
布の話で見たとおり、体はそれほど動かない。
ここでも、動きの大半は衣が担っている。
人物の脚は、実はあまり開いていない。
だが、衣が後ろへ引かれることで、前へ進んでいると読める。

線だけの素描である。
紙の中央に、人物が数人いる。
左に、体をひねった人物が立つ。
その右に、水から出る人物がいる。
さらに右に、腕を上げた人物が走る。
背景に、木らしい線がある。
輪郭は細く、途切れがちである。
濃淡は、薄い淡彩で示される。
館の記録は、番号に「裏」と付けている。
素描帖の一葉の、裏側である。
三つの人物が、それぞれ違う姿勢を取る。
一つの場面というより、姿勢の見本に見える。
第七回で、手だけを並べた紙を見た。
手の話で扱った素描と、性格が近い。
構図を試すための紙である。
走る姿勢も、その中の一つとして描かれている。
走る形を、立体にする

二体の小さな像である。
どちらも、円い台の上に立つ。
台は大理石らしい模様を持ち、金色の輪がはまる。
像は、白っぽい焼き物である。
左の像は、腕に丸いものを抱える。
右の像は、片手に小さな鳥らしいものを持つ。
どちらも、片脚を前に出す。
もう片方は、後ろで曲がる。
体は前へ傾く。
腰に、葉のような形の布が巻かれる。
その布が、後ろへ流れる。
走る姿を彫刻にするのは、難しい。
第十一回で書いたとおり、彫刻は立たなければならない。
立つ話で見たとおり、支えの問題がある。
走る姿勢では、片脚しか地面に着かない。
この二体は、後ろの脚も台に触れている。
つま先か、脇の葉の形が、台に達している。
そうやって、二点で支えている。
動きを見せながら、倒れないようにする。
その折り合いが、この形になっている。