猫は、顔を見せないまま絵になる——川端玉章・閔貞・スタンランほか九点

見開きの紙面である。
中央には、活字で組まれた文章が四段に並んでいる。
その文章のまわりを、猫が取り囲んでいる。
上の縁には、猫が横一列に並んでいる。
座るもの、伏せるもの、背を丸めるもの。
毛の色は黄、灰、黒、白と、模様もそれぞれ違う。
下の縁にも、猫がひしめいている。
前脚を伸ばして眠るもの、後ろ足で立ち上がるもの。
左端には、細長い体を伸ばした一匹が、文章の枠に寄りかかっている。
右端にも数匹が固まっている。
数えると、二十匹を超える。
館の記録では、これは1901年3月30日発行のフランスの雑誌の一ページである。
猫と、猫が歴史の中で占めてきた位置をたたえる短い文章が載る。
そのまわりを、色彩豊かな猫たちが取り囲んでいると記録は書く。
猫たちは、まるで登ったり眠ったりするための家具のように、文章のまわりにいる。
そして館は、印刷の事情にも触れている。
近代の印刷技術が現れる前、色刷りの挿絵は難しく、費用もかかった。
色ごとに別々に刷らなければならなかったからである。
そのため作者たちは、少ない色を重ね合わせて効果を上げる工夫をした。
ここでは黄と灰と黒の三色を重ねて、さまざまな毛の模様が作られている。
館の記録は、そう説明している。
つまり二十匹を超える猫の毛色は、三つの版から生まれている。
紙面の作りも見ておきたい。
猫は、文章の外側だけに置かれている。
活字の組まれた四段の中には、一匹も入り込んでいない。
つまり猫は、読むための面積を侵していない。
縁を歩き、縁で眠り、縁から文章を見下ろしている。
この配置は、猫が家の中で人の邪魔をしない場所を選ぶことに似ている。
もっとも、そう読むのはこちらの側であって、記録に書かれていることではない。
記録が書いているのは、猫たちが家具のように文章のまわりにいるということである。
猫は、柱をよじ登る飾りになる
七点目で、猫は磁器になる。

白い磁器の像である。
色は付いておらず、全体が白のままである。
中央に、細い柱が一本立っている。
柱は上のほうで前へ曲がり、渦を巻いた葉の形になる。
その柱の途中に、猫が一匹しがみついている。
前脚を柱に掛け、後ろ脚で体を支えている。
顔は上を向き、柱の先を見ている。
柱の先には、小さな鳥が一羽とまっている。
鳥は羽を閉じ、猫のほうを見下ろしている。
柱の下には、少女が立っている。
エプロンを着け、片手を上げ、顔を上へ向けている。
台座は波打つ形で、渦巻きの装飾が付く。
高さは24.5センチしかない。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
だから、少女が猫を止めようとしているのか、けしかけているのかは分からない。
見えるのは、三つの体が縦に並んでいることだけである。
いちばん下に人、真ん中に猫、いちばん上に鳥。
追う者と追われる者が、柱という一本の軸に串刺しにされている。
抱かれる猫、二点
最後の二点で、猫は人の腕の中に入る。

背景は青緑で、絵の具の筆跡がそのまま残る。
若い女が、椅子に座っている。
髪は上へ結い上げられ、額と首筋が出ている。
目は伏せられ、視線は下へ向かう。
白い衣の袖は短く、腕がむき出しになっている。
その両腕で、猫を胸に抱えている。
猫は縞模様で、体を女の胸に押し付けている。
頭は女の顎の下にあり、目を細めている。
前脚は下へ垂れ、力が抜けている。
女の右手が、猫の前脚のあたりを支えている。
女も猫も、こちらを見ていない。
館の記録は、題と材料だけを書いている。
この画家の甘さについては、ルノワールの甘さで扱った。

こちらは男の肖像である。
画面は121.9×87.8センチあり、先の一点の倍以上の大きさになる。
男は椅子に深く座り、体を左へ傾けている。
白っぽい上着を着て、襟元に暗い色の結び目が見える。
髭を蓄え、額は広く、こちらをまっすぐ見ている。
背中の後ろには、緑がかった壁と、白い窓枠がある。
そして膝の上に、茶色の猫が横たわっている。
猫は体を伸ばし、前脚を投げ出している。
顔は男の腹のほうを向き、こちらからは見えない。
男の右手が、猫の背に置かれている。
指は開き、力を入れていない。
猫の毛は、男の上着の白さの上で、はっきりと目立つ。
先の一点では、女が猫を抱き上げていた。
こちらでは、猫が男の膝を占めている。
抱いているのか、載せられているのか、姿勢からは決めにくい。
数えてみると
九点を並べ直す。
猫が単独で画面の主役になっているのは、三点である。
後ろ姿の一葉、上から見下ろした一葉、そして紙面を埋める二十匹。
もっとも、三点目は数が多すぎて、一匹ずつは主役でない。
人の腕や膝の上にいるのは、二点である。
物語の役を割り当てられているのは、二点である。
栗を取り出させられる猫と、鸚鵡に立ち向かわれる猫。
魚をくわえて逃げるのが一点、磁器の柱を登るのが一点である。
もう一つ数えておく。
九点のうち、猫の顔がこちらを向いているのは三点しかない。
栗を取り出す猫と、魚を盗む猫と、下絵の猫である。
いずれも、何かをしている最中の猫である。
何もしていない猫は、顔を見せない。
背中を向けるか、見下ろされるか、人の腹に顔を埋めている。
言えることと、言えないこと
言えるのは、猫が「顔を見せないこと」で描かれてきたということである。
九点のうち六点で、猫の顔は隠されるか、見えない向きに置かれている。
これは鶏や水鳥とはっきり違う。
鶏は横向きで、くちばしと目がはっきり描かれていた。
水鳥も、首の曲線が見えるように配置されていた。
猫だけが、こちらに背を向けても絵になっている。
言えないのは、それが猫という生きものの性質を写しているという話である。
背を向けた猫を描いたのは、猫ではなく描き手である。
見せない選択をしたのは、人の側にある。
最後に、はじめの一葉へ戻る。
首輪と鈴を付けた猫が、絹の真ん中で背中を見せていた。
飼われている猫であることは、首輪が示している。
しかし、その猫が誰の猫で、何を見ているのかは分からない。
分からないままでよい、という描き方がそこにある。
九点を数え終えて残るのは、その背中のほうである。







