鶴と亀は、名前になって画面から消える——清風与平・陳洪綬・キドールほか九点
西洋の沼に立つ長い脚の鳥は、鶴と呼ばれない
ここで、いちど東アジアから離れる。

黒い線だけで刷られた沼の絵である。
画面の右半分を、大きな木が一本占めている。
幹は太く、枝は四方に伸び、葉は細かい点の集まりで表されている。
左には低い茂みが続き、その向こうに水が光る。
空は白く残され、そこに小さな鳥が十数羽、点のように散っている。
水辺にも、細い脚の鳥が何羽か立っている。
首を伸ばしたもの、水面に頭を下げたものが混じる。
一羽ずつは、数ミリの黒い印にすぎない。
館の記録では、この版の題は「コウノトリのいる沼」である。
同じ形の鳥を、東アジアなら鶴と呼びうる場面である。
しかし記録は鸛と呼び、鶴とは呼ばない。
首が長く、脚が細く、水辺に立つ鳥という点では変わらない。
呼び名だけが、土地によって別のものになる。
そして呼び名が変わると、意味も変わる。
東アジアの鶴には千年の寿命が付いていた。
西洋の沼の鸛には、そうした札が付いていない。
館の記録は、この版の主題を長寿とは説明していない。
説明しているのは、署名の位置だけである。
版の左下に、作者みずからが下絵も彫りも行ったと記してあるという。
同じ画家が舟を画室にしたことは、舟を画室にするで扱った。
沼に立つ鳥は、そこでは主題ではなく、水辺の点である。
亀は、子どもに抱かれ、水を吐く
鶴から亀に移る。

ブロンズの立像である。
裸の幼い子どもが、丸い球の上に立っている。
両手を体の前で下げ、それぞれに何かを握っている。
握られているのは亀である。
甲羅の縁と、突き出た頭が見分けられる。
子どもは顔を少し下げ、口を結んでいる。
足もとの球にも、亀が回るように並んでいる。
高さは104.2センチ。
大人の腰ほどの背丈になる。
館の記録では、作者は幼い子どもと動物の組み合わせで名を知られた。
庭に置く彫刻を多く作ったという。
この《亀を抱く幼子》は、その中でもっとも知られた構図だと記録は書く。
女の子の姿は、作者自身の娘をもとにしたという。
そして、この像は噴水として構想された。
内部に水の通り道があり、台座を巡る四匹の亀の口から水が出る。
館の記録は、そう説明している。
つまりこの亀は、長寿のしるしではない。
水を出すための口として選ばれている。
亀は口が小さく、首が前に伸び、水を細く飛ばすのに向いている。
めでたさではなく、形の都合で選ばれた亀である。
亀は、狩られる
さらに用途の側へ寄った一点がある。

暗い画面である。
上半分は黒々とした木の茂みで埋まっている。
葉は幅広く、垂れ下がり、熱帯の林であることを示す。
下半分に、明るい灰色の水面が横に広がる。
水と林のあいだの浅瀬に、人が十数人立っている。
みな裸に近い姿で、腰を落とし、前かがみになっている。
手には棒のようなものを持つ者がいる。
水面には、丸く黒いものがいくつも浮かんでいる。
亀である。
人と亀の大きさは、ほとんど変わらない。
館の記録では、題は「亀狩り」である。
作者のカトリンは、北米と南米の先住民の姿を大量に描いた画家である。
この一点も、その仕事の一部にあたる。
記録は、制作の年を1854年から1869年のあいだと幅で示している。
一年に絞れていない。
カトリンの絵は、記録という言葉が何を指すかを考えさせる。
その点は「記録」という言葉を疑うで扱った。
ここで確かめておきたいのは、亀の役どころである。
この画面の亀は、長寿でも装飾でもない。
食べるために追われている。
九点のうち、亀が食べものとして出てくるのは、この一点だけである。
亀は、家具の表面になる
ここから、生きものではない鶴と亀に入る。

黒い箱形の家具である。
正面は上下五段に分かれ、左右に引き出しが並ぶ。
中央には扉が一枚あり、そこだけ赤茶色に光っている。
扉の中央に、金色の丸い飾りがはめ込まれている。
引き出しの前板にも、金色の細い模様が渦を巻いている。
天板の縁は金色の帯で囲まれ、脚は丸く太い。
赤茶色に見える部分が、亀の甲である。
館の記録では、作者は1672年にフランス王の指物師に任じられた。
象嵌の技で知られ、金属の模様を亀甲に嵌め込み、それを家具の表面に貼ったという。
その水準に並ぶ者は少なかった、と記録は書く。
中央の飾りには王の肖像が入っており、持ち主を宮廷に結び付けたと記録は読む。
そして館は、もとはもっと高い台の上に載る形だったと付け加える。
18世紀の終わりに、寸法を詰めるために作り替えられたらしいという。
ここでの亀は、生きものではない。
甲羅という素材の名前である。
亀は千年ではなく、家具の表面として何百年かを過ごしてきた。
意匠した人と作った人の関係については、意匠した人と、作った人で扱った。