鶴と亀は、名前になって画面から消える——清風与平・陳洪綬・キドールほか九点
鶴は、人の名になる
九点のうち残り二点では、鶴は鳥ですらない。

女がひとり、床に座っている。
上体をわずかにひねり、左手に丸い団扇を持っている。
団扇は顔の前にあり、白い面がこちらを向く。
髪は高く結い上げ、櫛と簪が何本も挿してある。
着物は白地に細かい模様が散り、裾が前へ長く流れる。
裾の縁には、青と緑の草花が並ぶ。
右手の後ろには、赤い布を掛けた台が置かれている。
画面の右上には、枠に囲まれた文字がある。
そこにこの女の名が記されているらしい。
館の記録では、この人は丁子屋という見世の雛鶴である。
雛鶴という名に、鶴の字が入っている。
しかし画面のどこにも、鳥はいない。
団扇にも、着物にも、鶴の形は描かれていない。
館が付けた札は「団扇」と「女性」であって、「鶴」ではない。
つまりこの一点が鶴と結び付くのは、名前の文字だけによる。
遊女の名には、めでたい字がしばしば使われた。
鶴もその一つである。
そして名は、絵よりも先に商品になっていた。
見世の名と人の名を刷り込むことが、この種の版画の役目でもあった。
同じころの版画で、顔を大きく取る作り方は顔だけを大きく描くで扱っている。
追われている男の名字も、鶴だった
最後の一点は、まったく別の土地から来る。

夜の森である。
画面の左に、黒い馬に乗った人影がある。
その人影には頭がない。
首の上が空白で、肩から上に何もない。
右手を高く振り上げ、丸いものを投げようとしている。
その前を、白い馬が跳ねている。
白い馬の上で、痩せた男が体を投げ出すように前へ倒れている。
顔は後ろを向き、口が開いている。
両腕は馬の首にしがみつき、片脚が跳ね上がっている。
背景は黒く、大きな木の幹が斜めに走る。
奥にわずかに明るい空が見える。
館の記録では、題は「イカボッド・クレーンを追う首なし騎士」である。
追われている男の名字が、クレーンである。
英語で鶴を指す語が、そのまま人の姓になっている。
この画面にも、鳥は一羽もいない。
にもかかわらず、題を読むかぎり、ここには鶴がいることになる。
鶴の字を持つ遊女と、鶴の語を姓に持つ教師が、同じ理由でこの九点に入っている。
生きものの名が人の名になり、人の名が絵の題になる。
その二段の乗り換えを経て、鶴は画面から消える。
数えてみると
九点を並べ直す。
鶴が生きものとして見えたのは三点である。
銚子の赤い線、道士のかたわらの一羽、小柄の端の金の形。
亀が生きものとして見えたのも三点である。
銚子の親子、幼子の手の中、そして狩られる浅瀬の群れ。
残りの三点に、鶴と亀の姿はない。
家具の表面は甲羅という素材であり、二枚の絵では名前だけが残っている。
つまり九点のうち三点で、鶴と亀は生きものであることをやめている。
もう一つ数えておく。
九点のうち、長寿という意味がはっきり記録に書かれているのは、最初の銚子だけである。
道士と鶴の一葉では、記録は不死との結び付きに触れるが、絵の主題としては説明しない。
残る七点では、長寿の話は出てこない。
めでたいものの代表と言われながら、記録の上では、めでたさはほとんど語られない。
鶴と亀は、意味を負わされすぎたせいで、意味を書かれなくなった。
そう見ることもできる。
ただし、これは九点から言えることであって、鶴と亀の絵の全体には広げられない。
言えることと、言えないこと
言えるのは、次のことである。
この九点では、鶴と亀は主題であるより、位置を決める役をしている。
道士の身分を示し、板の端で違いを作り、家具の面を覆い、名前として題に残る。
いずれも、画面の中心に大きく描かれてはいない。
言えないのは、これが東西の差だという話である。
東アジアの三点でも、鶴は隅にいた。
西洋の三点でも、鳥と亀は小さかった。
大きさの点で、東西を分ける線は引けない。
分かれたのは呼び名のほうである。
同じ形の鳥が、一方では鶴と呼ばれ、他方では鸛と呼ばれた。
呼び名が変わると、付いてくる意味も変わる。
そして呼び名は、絵ではなく記録の欄に書かれる。
鶴と亀を数えるとき、私たちは絵より先に、記録の言葉を数えている。
最後に、もう一度あの一対へ
はじめの銚子に戻る。
亀の側の句は、神代は自分の若いころだと言っていた。
一万年の側から見れば、神々の時代も昔ではない。
鶴の側の句は、餌を争う鶏の前で、ともに行く者は志を同じくすると言っていた。
長生きの自慢ではなく、連れ立って歩くことの話である。
しかも、もとの詩から一字が変えてあった。
作った人は、詩をそのまま写さなかった。
酒を注ぐ器の裏に、少しだけ書き換えた句を置いた。
千年と一万年の生きものを描きながら、書かれていたのは、いま隣にいる相手のことだった。
鶴と亀は、めでたさの記号としてよく働く。
働きすぎて、生きものの姿が見えなくなることもある。
それでも器の裏には、線で描かれた鳥や亀よりも、ずっと具体的な言葉が残っていた。
九点を数え終えて残るのは、その一対の裏側である。









