同じ広場が、三点あった——ベッロット・グアルディ・ギルバートほか九点
記録の年が、二つ書かれている
今回の九点には、年の書き方が変わったものが三つあった。
一つは、疑問符の付いた素描である。
1773年から78年か、と書かれている。
五年の幅に、さらに疑問符が付く。
一つは、二つの年が並んだ板絵である。
おそらく1590年と1597年、と書かれている。
これは幅ではなく、二つの時点を示していると読める。
つまり、一度描かれた後、七年後に手が入った可能性がある。
館は、その事情を書いていない。
書かれているのは、二つの年だけである。
もう一つは、題に別の年が入った版画だった。
制作は1928年、題に書かれた年は1864年。
こちらは、描かれた場面の年である。
三つとも、年の欄の書き方が違う。
疑問符、二つの年、題のなかの年。
公開データを年で並べ替えるとき、この差が効いてくる。
機械で処理すると、どれも一つの数字に丸められがちである。
丸めた瞬間に、疑問符も、二つ目の年も消える。
当社の記事では、そのまま書き写すことにしている。
書き写せば、後から確かめられるからである。
日除けと屋台は、仮の建築である
市場の絵で、目につくものがある。
日除けである。
九点のうち三点に、布や板の日除けが描かれていた。
カイロの市場では、白や黄の布が張られる。
ラクナウの市場の門の前にも、低い日除けが並ぶ。
ベルヘン・オプ・ゾームの広場にも、簡単な台が出ている。
日除けは、建物ではない。
朝に立て、夕方に畳む。
だから、同じ広場が日によって違う場所になる。
絵は、その一日の状態を写している。
石造りの建物は、何百年も変わらない。
日除けは、一日で消える。
同じ画面に、その両方が写っている。
長い時間のものと、短い時間のもの。
市場の絵の面白さは、そこにあるのだろう。
館の記録は、日除けについて何も書かない。
書かれるのは、地名と年である。
日除けの有無は、画像を見て数えるしかない。
そして、日除けのある三点は、いずれも市場の絵だった。
広場の絵には、日除けがない。
空いている状態を描いているからである。
広場は、空いていることで広場になる
数えた結果から、一つのことが言えそうである。
広場の絵と市場の絵は、逆の方向を向いている。
広場の絵は、空白を見せる。
大きな油彩では、画面の半分近くが石畳だった。
そこに人を小さく散らすことで、広さが分かる。
市場の絵は、埋まっている状態を見せる。
板絵の広場は、人と荷車で埋まっていた。
つまり、同じ場所の二つの状態である。
市が立てば埋まり、終われば空く。
広場という語と市場という語は、その二つの状態を指し分けている。
英語の記録では、別の語が使われる。
日本語でも、広場と市場は別の語である。
だが場所としては、同じことが多い。
三点が同じ広場を扱っていたのも、そのためだろう。
有名な広場は、絵にも写真にも繰り返し出てくる。
建物は、なくなっても絵に残る
今回の九点には、失われた建物が二つ出てきた。
一つは、大きな油彩の右端に描かれた聖堂の正面である。
館の記述によれば、十九世紀に取り払われた。
その後、広場の西の端は別の棟でふさがれたという。
つまり、この絵は現在と違う広場を写している。
もう一つは、版画に描かれた古い裁判所である。
こちらは、題の年から六十四年後に描かれた。
描かれた時点で、その建物はもうなかった可能性が高い。
いずれも、絵のほうが建物より長く残っている。
これは絵の重要な働きである。
前に、取り壊された家の戸口だけが残った例を見た。
あれは物として残った例である。
こちらは、像として残った例になる。
物として残せるのは、外せる部分だけである。
外せない建物は、絵か写真でしか残らない。
だから広場の絵には、資料としての価値がつく。
館の記述が、失われた建物にわざわざ触れるのはそのためだろう。
見る人が現在の広場と見比べたとき、違いに気づけるようにしている。
記録は、そういう注意書きの場所でもある。
記録は、その日の天気を書かない
最後に、記録の欄を確かめておきたい。
九点の記録に、描かれた日の天気を書く欄はない。
書かれるのは、材と寸法と番号と出所である。
ただし題には、天気が入ることがある。
山の市の一点は、霞が晴れるという題を持つ。
これは八景の題の形式による。
八つの題は、いずれも天候や時刻を含む。
夕暮れ、夜の雨、晴れた嵐、秋の月。
つまり、東アジアの絵の題は天気を書く。
ヨーロッパの絵の題は、場所と人を書く。
サン・マルコ広場、カイロの市場、ベルヘン・オプ・ゾームの市場。
いずれも地名である。
同じ「広場の絵」でも、題の付け方の伝統が違う。
その差は、記録の欄には現れない。
現れるのは、題の文字列としてだけである。
だから、題を並べて比べる意味がある。
九点の題を並べると、二つの伝統が見える。
場所で呼ぶか、天気で呼ぶか。
前に扱った回でも、似た差が出てきた。
記録の形式は、その土地の呼び方の習慣を保存している。
そして今回は、同じ広場を三点も集めてしまった。
これは無作為に選んだ結果である。
有名な場所ほど、作品の数が多い。
だから語で引くと、自然に集まってくる。
偏りではあるが、その偏り自体が事実でもある。
サン・マルコ広場は、それだけ多く描かれてきた。
描かれた回数の多さも、その場所の性質の一つである。
広場は、人が集まる場所であり、絵も集まる場所だった。
同じ場所の絵が三点あると、比べることができる。
一点だけでは、その画面が特別なのか普通なのか分からない。
三点あれば、何が共通で何が違うかを数えられる。










