猿は、人の役を引き受ける——探幽・デューラー・ドゥカンほか九点
銅板の上で、猿は鳥に混じる
七点目は、小さな銅板の絵である。

白っぽい地の上に、生きものが散らばっている。
左には木の幹があり、枝が上へ伸びる。
その枝に、赤と青の鳥がとまる。
長い尾が下へ垂れている。
中央には、青と緑の羽を広げた鳥が立つ。
その左に、茶色い鳥が一羽。
さらに左には、黒い鳥が地面にいる。
空には、小さな鳥が四羽ほど飛んでいる。
そして画面の右下に、猿が一匹座っている。
体は灰色で、尾が長く後ろへ伸びる。
顔は左を向き、鳥たちのほうを見ている。
地面には草が数株生えているだけである。
館の記録は、題と材料と寸法しか書いていない。
画面は10.5×17.2センチしかない。
その中に、生きものが十ほど並んでいる。
背景がないので、これは標本を並べた図に近い。
猿は、鳥の列の端に置かれた一匹である。
銅板という支持体も見ておきたい。
銅は表面が滑らかで、細い筆の線をそのまま受け止める。
羽の一枚ずつ、尾の一本ずつが、にじまずに描ける。
木や布では、これほど細かい線は保てない。
つまりこの小さな板は、細部を見せるために選ばれている。
猿の毛も、鳥の羽と同じ細さで描かれている。
同じ筆の細かさで扱われることが、標本の図の条件でもある。
猿は、器の飾りになる
最後の二点で、猿は器物の一部になる。

白い磁器の塊が、金色の台に載っている。
塊は三匹の猿でできている。
いちばん下の一匹は、うずくまって背を丸めている。
その背の上に、二匹目が座る。
さらにその上に、三匹目が乗る。
三匹とも顔の彫りは浅く、目と口が線で示される程度である。
体の毛は表されていない。
白い釉が全体を覆い、影だけが形を伝える。
台は銀に金を掛けたもので、波打つ曲線でできている。
その曲線は、上の白い塊とはまったく別の様式に見える。
館の記録では、この像はデンマークの陶芸家が意匠した。
そして、フランス製の銀の台と組み合わせて展示されている。
その台は、当時流行した日本趣味と新しい様式を参照しているという。
館はさらに、この磁器がふつうは台なしで単独に置かれるものだと書いている。
つまり、この組み合わせは後から作られたものである。
三匹の猿と、波打つ銀の台。
作られた国も、時期も、様式も違うものが一つの品になっている。

細長い木の箱である。
幅40.6センチに対し、高さは8.4センチしかない。
蓋の表面には、白い象嵌で場面が描かれている。
木立の中に人がいて、獣が集まっている。
前面の板にも、白い象嵌が並ぶ。
こちらは渦を巻く唐草模様である。
その唐草のあいだに、小さな獣がいる。
四つ足で、尾が巻いている。
猿である。
唐草の枝をつかみ、体を斜めにしている。
館の札には「熊」「鳥」「泉」「男性」「女性」「オルペウス」「鹿」「猿」「音楽家」が並ぶ。
九つの語が、一つの箱に付いている。
つまりこの箱の表面には、それだけの種類のものが彫り込まれている。
猿は、その九つのうちの八番目である。
館の記録では、これは弩の矢を入れる箱で、1539年の年記を持つ。
材は果樹の木と胡桃、象嵌は楓かもしれないという。
鹿の角も使われている。
つまり獣の体の一部が、獣の姿を描く材料になっている。
そして館の記録は、後の修理についても書いている。
側面には、のちに別の木の縁飾りと薄板が加えられたという。
つまりこの箱は、十六世紀のまま残っているわけではない。
猿の彫られた前面は古く、側面は新しい。
一つの箱の中で、時代が分かれている。
九点のうち、後の手が入ったことがはっきり記録されているのは、この一点である。
数えてみると
九点を並べ直す。
猿が人の服を着ているのは、二点である。
籠の説教台に立つ一匹と、絵を評する数匹。
鎖につながれているのが一点、殺されるのが一点である。
観察の対象として並べられているのは、三点である。
掛幅の三匹、ダゲレオタイプの一匹、銅板の一匹。
器物の飾りになっているのが、二点である。
もう一つ数えておく。
九点のうち、猿が手を伸ばしている図は三点ある。
月をとらえようとする三匹、説教する一匹、そして枝につかまる一匹。
いずれも、手が画面の中で目立つように置かれている。
猿の手は、人の手に似ている。
その似ていることが、絵の中でくり返し使われている。
指が描き分けられているのは、掛幅と説教の二点である。
ほかの点では、手は塊としてしか描かれていない。
指を描くと、猿は道具を持てそうに見える。
描かないと、四つ足の獣に戻る。
その一線を、画家たちは意識して越えたり越えなかったりしている。
言えることと、言えないこと
言えるのは、猿が「役を割り当てられる獣」だということである。
犬は忠実さを説明し、牛は値打ちを示していた。
猿はそれよりも踏み込んで、人そのものの代わりをする。
説教する者になり、絵を評する者になり、迷った心になる。
九点のうち四点で、猿は人の行いを引き受けている。
言えないのは、猿がいつも笑いのために描かれたという話である。
薬のために殺される一葉には、笑いの要素がない。
鎖につながれた一匹も、神学の説明を負わされている。
役を負わされることと、笑われることは同じではない。
最後に、はじめの一幅へ戻る。
三匹の猿は、腕を鎖のようにつないで、水面の月へ手を伸ばしていた。
届かないことは、はじめから決まっている。
それでも三匹は、互いの手を離さずにいる。
迷いの比喩として描かれた図でありながら、そこにあるのは連なった手である。
九点を数え終えて残るのは、その手のつながりのほうである。








