美術史・技法

老いは、輪郭に出る——ブルーマールト・フィスハー・スーティンほか九点

老人が生命の樹の実を食べて倒れ死ぬ(鸚鵡物語・第九夜より)
ラールー《老人が生命の樹の実を食べて倒れ死ぬ(鸚鵡物語・第九夜より)》1560年ごろ。館の記録では、紙に樹脂を混ぜた顔料、墨、金。画面11.4×10.2センチ。全体20.1×14.3センチ。番号は1962.279.78.a。クリーヴランド美術館蔵。ラールー《老人が生命の樹の実を食べて倒れ死ぬ(鸚鵡物語・第九夜より)》クリーヴランド美術館蔵

小さな一葉である。

画面は11.4×10.2センチしかない。

その中に、七人の人物がいる。

上には、玉座に座る王がいる。

黄と赤の衣を着て、驚いた顔をしている。

その左右に、家臣が立つ。

中央に、鳥の入った籠が置かれる。

そして、画面の下に、赤い衣の老人が倒れている。

体を横たえ、腕を投げ出している。

床は青と緑の細かい文様で埋まる。

画面の下には、文字が数行書かれている。

物語の本文である。

館の記録は、話の筋を要約している。

鸚鵡が王に実を持ってきた。

老人がそれを食べて死んだ。

王は鸚鵡を裏切り者と考えた。

だが実は、蛇の毒が付いていた。

これは館が記す物語の説明である。

ここで老人は、毒の効き目を示すために死ぬ。

顔の作りは、ほとんど描き込まれていない。

白い髭があるだけである。

小さい画面では、それで老人だと分かる。

老いた顔は、どちらを向いているか

九点の顔の向きも数えた。

こちらを見ているのは三点だけである。

テニールスの老女、スーティンの老女、そしてザネッティの老人。

残りは、目が伏せられているか、横を向いている。

第二回で、肖像の視線を数えたときは五分五分だった。

視線の話と比べると、こちらは偏っている。

理由は、題の性質にあると思う。

「老人の頭部」という題の絵は、注文で描かれたものではない。

依頼主がいれば、こちらを見る顔が求められる。

見られるために描かれるからだ。

顔の研究として描く場合、その必要がない。

むしろ、伏せた目のほうが皺を見せやすい。

上まぶたの皺は、目を伏せたときに深くなる。

九点のうち、伏せ目の四点は、いずれも上まぶたが描き込まれていた。

そして、老いを笑いに使った一点だけが、はっきり目を合わせる。

こちらを見て笑う顔は、見る側を巻き込む。

見られていることが、その絵の効き目になる。

老いた手

顔だけでなく、手も数えた。

手が描かれているのは、九点のうち五点である。

スーティンの老女は、膝の上で手を組む。

指が太く、関節が膨らむ。

ザネッティの老人は、本を持つ手が大きい。

寿老人は、杖を握る手が見える。

テニールスの二人は、器を持つ手が四本写る。

倒れた老人は、腕を投げ出している。

老いた手には、決まった描き方がある。

甲に筋を浮かせ、関節を太くし、指先を曲げる。

九点のうち三点で、その処理が見られた。

顔の皺と同じで、手も輪郭に出る。

若い手は、甲が滑らかで、線が少ない。

老いた手は、線が増える。

だから、手だけを見ても年齢が読める場合がある。

顔が小さく描かれる絵では、手が手がかりになる。

九点を並べて、数えられたこと

題に老いの語が入るのは、九点のうち八点だった。

入らない一点は、掛軸の福の神である。

そちらは、名前そのものに長寿の意味がある。

老いの示し方も数えた。

白い髭か白髪があるものが、七点。

顔の皺が細かく描かれるものが、四点。

首の皮膚のたるみが描かれるものが、二点。

手を大きく描くものが、一点。

つまり、いちばん多い手がかりは髪と髭である。

小さい画面ほど、髪と髭に頼る。

大きい画面になると、皺と首が加わる。

材料を数えた。

板が二点、布が二点、絹が一点、紙が四点である。

大きさの幅も広い。

紙が9.7センチの一点から、表装込み180.3センチの一点まで。

老いは、どこに置かれるか

九点のうち、老人が画面の中心にいるのは七点である。

中心にいない二点は、物語の絵だった。

鸚鵡物語の一葉では、老人は画面の下に倒れている。

中心にいるのは、玉座の王である。

老人は、話を動かすために置かれている。

そして、倒れた瞬間だけが描かれる。

その前も、そのあとも描かれない。

もう一点、掛軸の福の神も、少し事情が違う。

こちらは中心にいるが、鹿と並んでいる。

老人だけでは、その神だと分からない。

鹿と、杖と、長い頭が揃って、はじめて名前が決まる。

つまり、老いた顔は単独では意味を持たないこともある。

添えられたものが、意味を決める。

第十九回で、持ち物が人の役を示すと書いた。

老人の場合も、同じことが起きている。

杖を持てば長寿の神になり、本を担げば預言者になる。

何も持たなければ「老人の頭部」である。

九点のうち、何も持たない四点は、すべて題に名前がなかった。

持ち物がある五点のうち、三点は物語や役の中にいる。

持ち物の有無と、題の書き方が対応している。

これは、数えてみて気づいたことである。

記録に書かれていないこと

年齢は、どの記録にも書かれていない。

「老人」「老女」と書かれるだけである。

六十歳なのか、八十歳なのかは分からない。

そして、その人が誰かも、たいてい分からない。

九点のうち、名前が推定されているのは一点だけである。

それも「とされる」という留保付きだった。

老いた顔は、記録の上では匿名である。

若い顔と違い、注文で描かれることが少ないからかもしれない。

顔の研究として描かれた絵は、依頼主がいない。

依頼主がいなければ、名前も残らない。

第十八回で、出所の行が名前を残すと書いた。

だが出所の行に残るのは、持ち主の名である。

描かれた人の名ではない。

次の回は、手を見る。

老いた手と若い手の差も、そこで数えたい。

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