美術史・技法

行列は、途中しか描けない——師宣・アンドレアーニ・グアルディほか九点

かいで屋の芸妓もとづる、舞の装束で(大坂新町ねりものより)
柳川重信《かいで屋の芸妓もとづる、舞の装束で(大坂新町ねりものより)》1820年代前半。館の記録では、多色刷りの木版画。紙全体38.2×25.8センチ。番号は1980.87。クリーヴランド美術館蔵。柳川重信《かいで屋の芸妓もとづる、舞の装束で(大坂新町ねりものより)》クリーヴランド美術館蔵

こちらも縦長である。

一人の人物が、画面の中央に立つ。

黒い大きな衣を着ている。

袖が広く、裾が床に広がる。

その黒地に、細かい文字のような模様が入る。

頭に、黒く平たい被り物をつける。

腰に、細長いものを差す。

右手に、白い扇のようなものを持つ。

右上に、丸い面と、細長い柄がある。

上部に、文字がある。

背景は、薄い黄色である。

何も描かれていない。

館の記録の題によれば、これは行列の中の一人である。

連作の題に、行列の語が入っている。

つまり、この一点も列の一部を切り取っている。

そして、背景がない。

行列を描いているのに、行列が見えない。

一人だけを取り出して、衣装を見せている。

これは、行列の絵の一つの型である。

列そのものより、参加する人の姿を見せる。

列が、真横に並ぶ

無題(香港、練兵場から見たセント・ジョンズ大聖堂と観閲中の英国連隊)
黎芳(阿芳写場)《無題、香港、練兵場から見たセント・ジョンズ大聖堂と観閲中の連隊》1866年から73年。題は館の記録の表記による。館の記録では、鶏卵紙の印画。画面20.1×26.7センチ。台紙を含めて26×33.3センチ。番号は2020.234。クリーヴランド美術館蔵。黎芳(阿芳写場)《無題(香港、練兵場から見たセント・ジョンズ大聖堂と観閲中の英国連隊)》クリーヴランド美術館蔵

写真である。

画面の下半分は、平らな広場である。

その奥に、細い線が横に伸びる。

近づいて見ると、人の列である。

同じ間隔で並び、同じ方向を向く。

一人の大きさは、一ミリほどしかない。

その奥に、白い建物が二棟ある。

一つは、塔のある建物である。

もう一つは、横に長い建物で、上に旗が立つ。

さらに奥に、山の稜線が見える。

空は白く飛んでいる。

館の記録によれば、この写場は風景の写真を売っていた。

当時、中国の写場は肖像を主にしていたという。

そして、この作者は西洋の写真家と競合したと書かれている。

これは館の説明である。

こちらで確かめられるのは、列が真横に並んでいる、ということだ。

行進する列は、横から見ると一本の線になる。

そして、その線の長さが人数を示す。

顔は見えない。

見えるのは、同じ形が並ぶ規則性である。

行列は、順序を持つ

行列と群衆の違いは、順序があることである。

群衆には、前も後ろもない。

行列には、先頭と最後尾がある。

そして、その順序に意味がある。

誰が先で、誰が後か。

九点のうち、順序が読めるものを数えた。

はっきり読めるのが五点である。

巻物の一点では、馬に乗る人が先頭近くにいる。

そして、中ほどに屋根の付いた輿がある。

いちばん大事な人が、その中にいると考えられる。

つまり、先頭がいちばんではない。

守られる位置は、真ん中である。

三博士の一点でも、白い馬の人物が目立つ。

ゴンドラの一点では、舟の並びが列を作る。

どの舟が中心かは、装飾の量で分かる。

軍の列では、順序が均一である。

全員が同じ間隔で並ぶ。

そこには、上下の差が見えない。

見えるのは、揃っていることだけである。

第十八回で、群衆は匿名だと書いた。

行列は、匿名ではない場合がある。

順序が、名前の代わりになる。

行列を見る人は、どこにいるか

九点で、見物人が描かれているかを数えた。

はっきり描かれているのが三点。

いないのが四点。

判別できないのが二点である。

見物人がいる三点は、いずれも都市の場面だった。

広場、水辺、街路。

行列は、見せるために行われる。

だから、見る人がいて成立する。

そして、見る人が描かれると、画面に二つの群れができる。

進む列と、止まって見る群れ。

その二つが、直角に近い関係になる。

列は横へ進み、群れは列のほうを向く。

第十九回で、視線の向きを扱った。

見物人の視線は、全員が同じ方向を向く。

その一致が、画面に方向を作る。

見物人がいない四点では、行列だけが描かれる。

そちらは、記録か、装飾か、あるいは一人の姿を見せる絵だった。

見せる相手が画面の中にいないぶん、見る側が見物人になる。

九点を並べて、数えられたこと

行列が描かれるのは七点。

行列の一部を切り取ったものが二点である。

行列の進む向きを数えた。

左から右が四点。

右から左が二点。

奥へ向かうものが一点。

画面を一周するものが一点。

そして、真横に並んで進まないものが一点。

画面の形も数えた。

横が縦の二倍を超えるものが二点。

横長が三点。

縦長が三点。

正方形に近いものが一点。

つまり、行列を描くからといって、必ず横長になるわけではない。

分ければ、縦長でも描ける。

材料も数えた。

紙が五点、板が一点、布が一点、陶器が一点、写真が一点。

記録に書かれていないこと

館の記録は、行列の理由を題に書くことが多い。

九点のうち六点で、何の行列かが分かる。

凱旋、参詣、外交の使節、祝典、遊里の道中、軍の観閲。

これは、前の回の群衆と同じである。

集まる理由がなければ、列はできない。

だが、記録は列の長さを書かない。

何人並んでいるかも書かれない。

そして、この列がどこからどこへ向かったかも書かれない。

九点のうち、進む先が画面に描かれているものは一つもなかった。

列の先頭は、たいてい画面の外にある。

あるいは、切れている。

行列の絵は、途中しか描けない。

始まりと終わりは、画面に入らない。

第十九回で、道が奥へ入る話を書いた。

道の話では、道の消え方が距離を決めていた。

行列も同じである。

どこで切れているかが、その長さを想像させる。

そして、行列の音も、記録には残らない。

九点のうち、楽器を持つ人が描かれているのは三点である。

宴の行列、凱旋の列、そして遊里の道中。

音が鳴っていたはずだが、絵は音を持たない。

館の記録も、そこには触れない。

書かれるのは、素材と寸法と、受け入れの経緯である。

次の回は、二人の関係のうち、特別なものを見る。

母と子という組み合わせである。

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