作品を知る

まっすぐな幹は、一本もない——セガンティーニ・一休・アルトドルファーほか九点

松が、三点を占めた

九点のうち三点で、松が描かれていた。

一点はヨーロッパの版画、二点は日本の作品である。

松は、東西どちらでも絵になりやすい木である。

理由は、形にあると思われる。

幹が曲がり、枝が横へ張り出す。

葉は塊になり、輪郭がはっきりする。

そして、冬でも葉が落ちない。

季節を問わず、同じ形で描ける。

日本では、松は長寿の印としても扱われてきた。

今回の掛幅では、松の風の音が詩の主題だった。

音を絵にすることはできない。

それでも、松の枝を描けば風の音が読まれる。

そういう約束が、詩と絵のあいだにある。

ヨーロッパの版画では、松はただの木である。

物語も、象徴も、記録には書かれていない。

館の記述は、純粋な風景であることを強調している。

同じ木でも、置かれる文脈で意味が変わる。

九点の松三点は、その差をよく示していた。

一本の木を見て、意味を読むか、形を見るか。

その二つは、見る側の習慣による。

館の記録は、どちらも押しつけない。

木は、時間の単位でもある

木は、人より長く生きる。

そのことが、絵の意味を変えることがある。

九点のうち、古い木と読めるのは三点だった。

太い幹の松、根の張った木立、そして並木の大木である。

いずれも、人の一生より長く立っている。

一方、若い木、あるいは死んだ木もある。

捨てられたクリスマスツリーは、切られた木である。

冬の裏庭に転がされ、緑だけが残っている。

木としては終わっているが、色は生きている。

館の記述は、この画家がその木を善さの象徴と見たと書く。

つまり、切られてなお意味を持たされている。

葉のない二本の木も、生きているのか枯れているのか分からない。

冬なら葉がないのは当たり前である。

枯れていれば、春も葉が出ない。

画面からは、その区別がつかない。

区別がつかないまま、絵として成り立っている。

木の絵には、そういう曖昧さがつきまとう。

生きているか、死んでいるか。

その判断は、一枚の絵の中では下せない。

館の記録も、そこには触れない。

幹は、まっすぐには描かれない

七点を見て、気づいたことがある。

まっすぐな幹が、ほとんどない。

いずれも、どこかで曲がるか、傾いている。

松の油彩では、幹が斜めに伸びて二つに分かれる。

二本の松の版画でも、幹はわずかに反っている。

裏庭の水彩では、木が傾いて立つ。

木立の油彩では、根もとが左右へ広がる。

まっすぐなのは、並木道の木くらいである。

それも、上のほうで枝が曲がる。

理由は、たぶん二つある。

一つは、実際の木がまっすぐでないことだ。

光の来る方向へ伸び、風で傾く。

もう一つは、画面の都合である。

まっすぐな縦線は、画面を二つに割ってしまう。

斜めなら、割らずに動きを作れる。

前に柱を扱った回で、垂直の線が画面を止めると書いた。

木は、その止め方を避けている。

同じ縦の形でも、柱と木では扱いが逆である。

記録は、木の樹齢を書かない

最後に、記録の欄を確かめておきたい。

九点の記録に、木の種類が書かれているのは四点だった。

松が三点、そして並木の樹種が一点である。

残る三点では、木の種類が分からない。

そして、木の高さや樹齢は、どこにも書かれない。

太さも、書かれていない。

分かるのは、作品の寸法だけである。

いちばん大きいのは135.2×72センチの油彩。

いちばん小さいのは11.8×16.3センチの版画である。

木の実際の高さは、比べる人がいないと推せない。

九点のうち、木の下に人がいるのは一点だけだった。

その一点でも、人は座っていて小さい。

だから、木の大きさは分からないままである。

前に塔を扱ったときにも、同じことを書いた。

高いものを描くとき、目盛りが要る。

目盛りがなければ、高さは伝わらない。

木の絵は、その目盛りを置かないことが多い。

置かなくても、木は木として読めるからだろう。

高さより、形のほうが木らしさを決めている。

そして形は、幹の曲がり方と、枝の分かれ方で決まる。

九点で見たかぎり、まっすぐな木は一本もなかった。

曲がっていること自体が、木の特徴なのだろう。

建物なら、曲がっていれば不具合になる。

木は、曲がっているのが正常である。

その違いが、画面のなかでも働いている。

建物の線はまっすぐ、木の線は曲がる。

両方が同じ画面にあると、対比が生まれる。

裏庭の水彩では、まさにその対比が使われていた。

板壁の直線と、細い枝の曲線である。

雪の上に落ちた影も、その二種類に分かれていた。

まっすぐな影と、乱れた影である。

影を見るだけで、何の影かが分かる。

これは、木の絵を見るときの手がかりになる。

木の影は、必ず乱れる。

乱れない影があれば、それは人の作ったものである。

九点のうち、影がはっきり描かれていたのは三点だった。

並木道の斑の影、雪の上の影、そして草地の影である。

いずれも、木の影は不規則な形をしていた。

そして三点とも、影のほうが木より広い面積を占めていた。

木は細く、影は広がる。

地面に落ちた影は、枝の形をそのまま伸ばしたものである。

伸ばされた形は、もとより読みにくい。

だから影を見て木の種類を当てるのは難しい。

分かるのは、そこに木があるということだけである。

その程度の情報でも、画面には要る。

影がなければ、木は地面から浮いて見える。

浮かせないために、根もとに影を置く。

九点のうち、根もとが描かれているのは五点だった。

根の張り方まで描いたのは、そのうち二点である。

根は、土の中にあるので本来は見えない。

見えるのは、地表に出た部分だけである。

それでも、根を描くと木が土地に固定される。

固定されると、その木は動かないものになる。

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