作品を知る

まっすぐな幹は、一本もない——セガンティーニ・一休・アルトドルファーほか九点

木は一本ずつ主役になることが少ない。九点で数えると、幹はいずれも曲がるか傾いていた。まっすぐな縦線は画面を割ってしまうからである。葉のない木が二点、松が三点、樫の葉の文様の壺が一点。根元が見えるのは五点で、梢まで入るのは四点しかない。

松の木
ジョヴァンニ・セガンティーニ《松の木》クリーヴランド美術館蔵

松が、画面を斜めに横切っている

一枚の油彩に、松がある。

額なしで135.2×72センチ。

縦に細長い画面である。

幹は、画面の下から上へ、やや斜めに伸びる。

太さは、大人の腕ほどに見える。

樹皮は赤茶で、縦に裂けている。

幹は途中で二つに分かれる。

分かれた枝は、それぞれ上へ向かう。

葉は、画面の上のほうにだけ付く。

濃い緑の細かい筆が、無数に重ねられている。

背景は、明るい緑と黄である。

そこに、赤い小さな点が散る。

花か、実だろう。

画面の下のほうは、草地である。

右下の隅に、白と青の塊がある。

家畜らしいが、はっきりしない。

館の記述によれば、その部分は仕上げられていない。

赤茶の下地が、そのまま見えているという。

言われて見ると、たしかに塗りが薄い。

館の記述はさらに、この画家の言葉も引いている。

自然から精神の秘密を引き出そうとしている、という趣旨である。

松の木
ジョヴァンニ・セガンティーニ《松の木》1897年頃。館の記録では、油彩・カンヴァス。額なしで135.2×72センチ。番号は1982.124。クリーヴランド美術館蔵。ジョヴァンニ・セガンティーニ《松の木》クリーヴランド美術館蔵

木は、風景のなかでいちばん多い。

だが、一本ずつ主役になることは少ない。

たいていは森として、あるいは背景として描かれる。

九点を並べて、木が主役になるときの扱いを数えたい。

木の絵は、縦に長い

集めかたは、館の記録の題によっている。

木、松、柳、樹にあたる語が入るものを拾った。

九点のうち、木が描かれているのは七点だった。

残る二点は、後で扱う。

まず、判型を数えたい。

縦長が四点、横長が五点である。

だが、木が主役の画面に限ると、縦長が多い。

木は上へ伸びるので、画面も縦になる。

横長の五点では、木は複数か、並木として描かれる。

一本なら縦、何本もなら横。

その分かれ方が、はっきり出ている。

二本の松と、一本の松

十六世紀の銅版画を見たい。

版の面と紙が、どちらも11.8×16.3センチ。

裁ち落としがないので、寸法が同じである。

画面の右に、二本の松が立つ。

幹は細く、上のほうで枝を広げる。

葉は横へ張り出し、傘のような形になる。

その左に、低い丘と町が見える。

町には、塔と屋根が並ぶ。

さらに左は、開けた土地である。

手前には、草と岩がある。

人は描かれていない。

館の記述によれば、この画家は九点しか腐食銅版を作らなかった。

そのうちの数点は、物語も信仰の場面も含まない。

つまり、風景だけを描いた版画である。

館は、それがヨーロッパで最初期の例だと書いている。

さらに、当時は銅ではなく鉄の板を使ったとも書かれている。

そのため、線がやや霞んでいるという。

言われて見ると、線の縁がにじんでいる。

館の記述は、描かれた場所が特定できないとも書く。

想像で組み立てたのだろう、としている。

二本の松のある風景
アルブレヒト・アルトドルファー《二本の松のある風景》1521〜22年。館の記録では、エッチング。版の面と紙が11.8×16.3センチ。番号は1953.627。クリーヴランド美術館蔵。アルブレヒト・アルトドルファー《二本の松のある風景》クリーヴランド美術館蔵

松の音を、絵にする

日本の掛幅を見たい。

画面のみで76.8×32センチ。

表装を含めると153.7×38.1センチになる。

縦に細長い。

画面の上の三分の二は、文字である。

漢字が縦に、行を成して書かれている。

墨は濃く、筆は速い。

その下に、絵がある。

左上から、岩の張り出しが下りてくる。

その先に、松の枝が垂れる。

葉は淡い墨の点で示される。

岩の下に、小さな人影がある。

座って、うつむいているらしい。

さらに下には、水面らしい横の線がある。

館の記録によれば、この詩の題は、山に住む僧が松風を聴く、という。

そして館は、詩の訳も載せている。

三十年も一つの寺にとどまる必要があるだろうか。

公案を解き終えたら、高い松の風の静けさのなかで眠る。

そういう内容である。

館はさらに、詩に出てくる山の語が寺を指すこともある、と注記している。

つまり、山に住むとは寺に住むことでもある。

絵と詩は、同じ人の手になると記録に書かれている。

松風を聴く
一休宗純《松風を聴く》十五世紀。館の記録では、掛幅。紙に墨。画面のみ76.8×32センチ。表装を含めて153.7×38.1センチ。番号は1985.89。クリーヴランド美術館蔵。一休宗純《松風を聴く》クリーヴランド美術館蔵

葉のない木

葉の落ちた木を描いた二点がある。

一点目は、中国の画帖の一葉である。

全体で30.2×26.7センチ。

絹に墨と色で描かれている。

画面の右に、細い木が二本立つ。

枝は上へ細かく分かれ、葉が一枚もない。

枝の先は、針のように尖っている。

その左に、水仙が数株ある。

細長い葉が広がり、白い花が咲く。

下には、岩が横たわる。

岩は輪郭線で描かれ、内側は薄い墨である。

左上には、書き込みと印がある。

この画帖からは、屋根を扱った回でも一葉を取り上げた。

同じ二十図の画帖から、別の葉が公開されている。

館の記述によれば、この画家は晩年に人物や風景を小さく描いた。

世界を縮めて見る態度だという。

水仙と枯木(古人に倣う画より)
陳洪綬《水仙と枯木(古人に倣う画より)》十七世紀前半。館の記録では、画帖の一葉。絹に墨と色。全体で30.2×26.7センチ。番号は1979.27.1.3。クリーヴランド美術館蔵。陳洪綬《水仙と枯木(古人に倣う画より)》クリーヴランド美術館蔵

二点目は、水彩である。

紙は36.3×45.8センチ。

横長の画面である。

画面には、家の裏側が並ぶ。

板壁の家、傾いた小屋、細い柱。

いずれも灰色と茶色で描かれる。

地面は雪で、白と薄い青である。

雪の上に、細い足跡と影が走る。

裸の木が、数本立っている。

枝は細かく分かれ、黒い線になっている。

画面の中央、雪の上に、緑の塊がある。

そこだけが鮮やかな緑と黄である。

館の記録の題によれば、それは捨てられたクリスマスツリーである。

制作は1917年の一月と記録にある。

年だけでなく、月まで書かれている。

館の記述によれば、この画家はこの時期に同じ木を繰り返し描いた。

そして、その木を善さの象徴と見ていたという。