美術史・技法

囲いが見える庭は、四点だけ——アルトドルファー・華嵒・モネほか九点

庭とは囲われた土地である。だが九点で数えると、塀や柵が描かれているのは四点しかない。庭であることを示しているのは題のほうだった。楽園、祈りの園、農家の庭、そして地名としての庭まで混じる。手入れの跡が見えるのは三点だけだった。

楽園追放(人類の堕罪と救済より)
アルブレヒト・アルトドルファー《楽園追放(人類の堕罪と救済より)》クリーヴランド美術館蔵

剣を持った天使が、二人を追い出している

一枚の木版に、園の入り口が彫られている。

画面の左に、翼のある人物が立つ。

右手を高く上げ、剣を握っている。

剣は画面の上端に届きそうである。

左手は前へ伸び、二人の背を押している。

押されているのは、裸の男と女である。

女は肩を落とし、体をよじる。

男は右腕を上げ、顔をかばうように見える。

二人とも、腰のあたりに葉を当てている。

足もとには、細かい草が生えている。

右奥には、細い木が数本立つ。

上のほうには、渦を巻いた雲がある。

雲の線は太く、彫りが深い。

画面の上の隅に、作者の記号がある。

館の記録に、寸法の欄はない。

技法は木版とだけ書かれている。

これは連作の一枚で、題は「人類の堕罪と救済」という。

その連作のなかで、この一枚は追放の場面にあたる。

楽園追放(人類の堕罪と救済より)
アルブレヒト・アルトドルファー《楽園追放(人類の堕罪と救済より)》1515年頃。館の記録では、木版。番号は1932.330.2。クリーヴランド美術館蔵。アルブレヒト・アルトドルファー《楽園追放(人類の堕罪と救済より)》クリーヴランド美術館蔵

園とは、囲われた土地のことである。

囲いがなければ、それはただの野である。

囲うことで、内と外ができる。

内には手が入り、外には入らない。

この版画で描かれているのは、その境目である。

内から外へ出される瞬間が、園の性質をいちばんよく示している。

九点を並べて、園と庭の描かれ方を数えたい。

「庭」の語は、どこまで広がるか

集めかたは、館の記録の題によっている。

庭、園、苑にあたる語が入るものを拾った。

拾った九点は、指すものが大きく違っていた。

楽園、祈りの園、農家の庭、家の裏庭、庭師の家。

さらに、地名としての庭が一点混じった。

日本語の「庭」は、家に付属した土地を指す。

「園」は、囲って草木を育てる土地を指す。

どちらも、もとの記録では同じ一語に当たることが多い。

だから訳した時点で、範囲がずれる。

九点のうち、草木が実際に描かれているのは七点だった。

草木のない二点は、地名の一点と、農家の庭の一点である。

農家の庭には、山羊と道具と壁しか描かれていない。

つまり、庭の語があっても緑があるとは限らない。

祈りの園が、二点

九点のうち二点は、同じ場面を扱っていた。

キリストが園で祈る場面である。

一点目は、十四世紀の板絵である。

描かれた面は47×23.8センチ。

板ごと測ると56.7×29.3センチ、厚みは3.3センチある。

縦長の画面が、上下に分かれている。

上には、赤い衣の人物が岩の上で膝をつく。

上の隅から、赤い天使のようなものが飛んでくる。

下には、三人が横になって眠っている。

青、黄、赤の衣を着ている。

その左に、金色の輪をつけた人物が立つ。

二人のあいだに、低い柵と木が描かれる。

柵は、細い棒を横に渡したものだ。

これが園の囲いである。

木は数本しかない。

背景は一面の金地である。

空も地面も、金で埋められている。

金地の上に、緑の草が短い線で置かれる。

館の記録は、これが左のパネルだと明記している。

つまり、もとは複数の板が連なっていた。

キリスト受難伝 ゲツセマネの祈り(左パネル)
アンドレア・ヴァンニ《キリスト受難伝 ゲツセマネの祈り(左パネル)》1380年代。館の記録では、テンペラ・板。描かれた面47×23.8センチ。全体56.7×29.3×3.3センチ。番号は2014.79.711.a。ワシントン・ナショナル・ギャラリー蔵。アンドレア・ヴァンニ《キリスト受難伝 ゲツセマネの祈り(左パネル)》ナショナル・ギャラリー(ワシントン)蔵

二点目は、石の浮き彫りである。

全体で14.8×11.3センチしかない。

手のひらに載る大きさだ。

材は、きめの細かい石灰岩である。

画面の右上に、天使が浮かぶ。

その左下に、膝をついて手を組む人物がいる。

さらに手前に、三人が折り重なって眠る。

衣の襞が深く彫られ、影が濃い。

上のほうには、木の枝と葉が広がる。

葉は一枚ずつ彫り分けられている。

館の記述によれば、この浮き彫りから型が取られた。

金属で複製を鋳造するためだったという。

つまりこの石は、作品であると同時に原型でもある。

同じ場面が、別の材で何点も作られたことになる。

ゲツセマネの園のキリスト
ハンス・ダウハー《ゲツセマネの園のキリスト》1500年代。館の記録では、ケルハイム石(きめの細かい石灰岩)。全体で14.8×11.3センチ。番号は1947.182。クリーヴランド美術館蔵。ハンス・ダウハー《ゲツセマネの園のキリスト》クリーヴランド美術館蔵

同じ場面を、二つの材で作る

祈りの園の二点は、比べるのに適している。

一点は板にテンペラ、もう一点は石の浮き彫り。

作られた時期は、およそ百五十年離れている。

構成は、驚くほど似ている。

祈る人が奥または上にいて、眠る人が手前にいる。

天使が上から現れる。

木が数本描かれる。

違うのは、材と大きさである。

板絵は47×23.8センチ、浮き彫りは14.8×11.3センチ。

面積で言えば、板絵のほうが六倍以上ある。

板絵は色で示し、浮き彫りは影で示す。

板絵の背景は金一色で、奥行きがない。

浮き彫りの背景は、彫りの深さで奥行きが出る。

眠る三人の重なりが、彫りでは立体として読める。

板絵では、三人が上下にずらして置かれる。

奥行きの示し方が、材によって変わっている。

そして浮き彫りのほうは、型を取るために作られた。

館の記述が、そう明記している。

つまり、同じ形が金属でも作られたはずである。

一つの構図が、材を変えて広がっていく。

その最初の一つが、この石だった可能性がある。

窓の向こうの庭

中国の画帖の一葉がある。

画帖を閉じた状態で15.4×18.5×3.1センチ。

各図は11.2×13.1センチしかない。

名刺二枚ぶんほどの面積である。

画面の中央に、大きな丸い窓がある。

窓は壁を丸く抜いたもので、枠は白い。

その内側に、女性が二人いる。

一人は椅子に座り、手もとを見ている。

もう一人はその奥にいる。

館の記録では、二人は針仕事をしている。

窓の外、つまり手前側に庭がある。

庭には、穴の多い大きな石が立っている。

その脇に、細い竹が数本伸びる。

上からは、木の枝が垂れ下がる。

葉は淡い墨で点々と置かれる。

館の記述によれば、この石は湖でとれた石灰岩である。

自然の形が珍重され、庭に立てて眺めたという。

館の記述はさらに、同じ画帖の他の十一図に触れている。

そちらには、いずれも自然のなかにいる男が描かれる。

女性が出てくるのは、この一図だけだという。

そして館は、女性が庭を窓越しにしか見られないと書いている。

囲いの内と外が、性別で分かれている。