まっすぐな幹は、一本もない——セガンティーニ・一休・アルトドルファーほか九点

木が並ぶ
木が並んだ二点を見たい。
一点目は、写真である。
画面は24.6×37センチ。
台紙まで含めると50.8×61センチになる。
画面の中央に、道が奥へ延びる。
道は白く、明るい。
その両側に、大きな木が並ぶ。
枝は道の上で交差し、天井のようになっている。
葉は密で、光をほとんど通さない。
道の上には、木漏れ日の斑が落ちている。
奥は暗く、細部が沈む。
人は写っていない。
館の記述によれば、これは並木道である。
その地域では、千マイル近い道にこの木が植えられていたという。
日陰と、雨よけのためである。
館の記述はさらに、紙の陰画の性質にも触れている。
細部が甘く、明暗の幅が広い。
そのことが、光の斑を印象的に見せているという。

二点目は、小さな油彩である。
26.2×34.6センチ。
画面の中央に、太い木が二本立つ。
幹は暗い茶で、根もとが盛り上がっている。
根は地面を這い、左右へ広がる。
葉は上のほうにあり、暗い緑である。
その向こうは、明るい黄と緑の草地である。
奥には、細い木が並ぶ。
空はほとんど見えない。
手前の地面には、細い水の流れがある。
館の記録に、制作年はない。
記述の欄もない。
この画家の作品は、これで三点目になる。
いずれも、題が短く、記録が薄い。

木の葉が、器の模様になる
語の外れは、陶器である。
全体で高さ29.6センチ。
白い地に、濃い青で模様が描かれている。
胴は丸くふくらみ、口は狭い。
両側に、太い把手が付く。
模様は、渦を巻く葉の形である。
葉には切れ込みがあり、先が尖る。
中央には、百合の花を図案化した紋がある。
その上に、丸い目のような形がある。
館の記録の題によれば、この葉の模様は樫の葉と呼ばれる。
実際の樫の葉に似ているかどうかは、別として。
館の記述によれば、これは薬を入れる壺である。
作った工房の主は、その町で最も重要な陶工だったという。
父の工房を引き継ぎ、三十年ほど営んだ。
つまり、木そのものは描かれていない。
木の葉の名で呼ばれる模様があるだけである。

もう一点、木がほとんど見えない素描がある。
素描帖の一葉で、紙は12.1×19.7センチ。
黒鉛が薄く、画像ではほとんど読めない。
上のほうに、細い縦線が数本ある。
手前の木らしい。
その奥に、山の稜線が薄く走る。
館の記録の題によれば、手前に木々のある山の風景である。
この帖からは、これで六枚目になる。
一冊の帖が、六つの番号で公開されている。

葉は、どう省かれているか
木の絵で、いちばん手間がかかるのは葉である。
数が多すぎるので、必ず省かれる。
七点で、省き方を見たい。
細かい筆を重ねる方法が、二点。
短い線を無数に刻む方法が、二点。
薄い墨の点を散らす方法が、一点。
そして、輪郭だけで塊を作る方法が二点あった。
葉のない二点では、その手間がいらない。
代わりに、枝を細かく描く必要が出る。
枝は数えられるので、省けない。
裏庭の水彩では、細い枝が黒い線として無数に走る。
画帖の一葉でも、枝先が針のように尖っている。
葉があれば塊にでき、なければ線を引くしかない。
冬の木のほうが、実は手間がかかる。
そして、葉のない木のほうが形がはっきり見える。
幹から枝へ、枝から小枝へ。
その分かれ方が全部見えるのは、冬だけである。
だから木の構造を見せたい絵は、冬を選ぶ。
九点のうち二点が、その選択をしていた。
館の記録は、季節を書かない。
書かれているのは、題と材と寸法である。
冬だと分かるのは、雪と、葉のない枝からである。
数え直す
九点を並べ直したい。
木が描かれているのは、七点。
そのうち、葉のある木が五点、葉のない木が二点である。
木が一本だけの画面は、一点。
二本の画面が、三点。
三本以上が、三点である。
松が描かれているのは、三点だった。
そして、木の下に人がいるのは一点だけである。