作品を知る

食卓の絵で、献立はほとんど読めない——デューラー・ゴッツォリ・コールテほか九点

食事をしない卓

卓は、食事のためだけの家具ではない。

そのことを示す三点で、九点は締めくくられる。

墨をする従者と机に向かう文人(古詩を描いた山水画帖より)
華嵒《墨をする従者と机に向かう文人(古詩を描いた山水画帖より)》1745年。館の記録では、画帖の一葉、紙に墨と淡彩。絵は11.2×13.1センチ。番号は1982.68.10。クリーヴランド美術館蔵。華嵒《墨をする従者と机に向かう文人(古詩を描いた山水画帖より)》クリーヴランド美術館蔵

茅葺きの東屋で、赤い衣の文人が大きな机に向かう。

机の端では、子どもの従者が墨をすっている。

机の上にあるのは、紙と筆墨だけである。

頭上には、大きな木が枝を差しかける。

縦11.2センチの、指でつまめるほどの画面である。

それでも、机の広さと木陰の涼しさは十分に伝わる。

古い詩を絵にした画帖の一葉で、作者の華嵒は清の画家である。

館の記録では、型にとらわれない揚州八怪の一人に数えられる。

紙の左上には、詩の言葉と印が朱色で押されている。

この机が運ぶのは、食事ではなく言葉である。

東アジアの絵で卓を探すと、膳よりも先に、こうした文人の机が見つかる。

食卓は畳と床に散り、机は絵の真ん中に残った。

卓のまわりの文化が、西洋とは逆立ちしている。

テーブル
A・アンド・H・ルジャンブル《テーブル》1880年ごろ。館の記録では、おそらくパープルハート材とユリノキ材、寄木、真鍮。67.9×50.8×50.8センチ。番号は1991.482。メトロポリタン美術館蔵。A・アンド・H・ルジャンブル《テーブル》メトロポリタン美術館蔵

こちらは、実物の卓である。

黒く塗られた細い脚に、四角い天板。

脚の間には棚が渡され、細い棒の飾りが斜めに組まれる。

脚の先は、そりのように曲がった金具で覆われる。

材質の欄には、おそらくパープルハート材、とある。

紫色の心材を持つ南米の木で、金具は真鍮だという。

実物を見れば、黒と紫と金色の卓なのだろう。

だが、収蔵写真は白黒で、色は写真からは分からない。

十九世紀アメリカの、東洋趣味の細工物である。

天板の上には、何も載っていない。

小さな飾り卓だから、ここで晩餐が開かれたとは考えにくい。

卓という家具の、素の姿である。

マイクロモザイクの天板『愛の勝利』を持つセンターテーブル
アゴスティーノ・フランチェザンジェリ《マイクロモザイクの天板『愛の勝利』を持つ卓》1830年から65年ごろ。館の記録では、クルミ材に金彩と金属金具、寄せ象嵌、モザイクの天板。76.2×108.5センチ。番号は1998.19。クリーヴランド美術館蔵。アゴスティーノ・フランチェザンジェリ《マイクロモザイクの天板『愛の勝利』を持つセンターテーブル》クリーヴランド美術館蔵

最後は、天板そのものが絵になった卓である。

丸い黒地の天板に、樫の葉とリボンの輪が巡る。

中央では、翼の子どもたちが小さな車を曳いて進む。

車の上には、赤い布とともに兜や矛が積まれている。

弓矢を負った童子が、輪の飾りを高く掲げる。

『愛の勝利』と名づけられた図様である。

愛の童子が、戦の道具を戦利品として運ぶ図、と読めるだろう。

これは筆の絵ではない。

ガラスの小片を無数に並べた、マイクロモザイクである。

館の記録では、ごく小さなガラスの角片を敷き詰める技法だという。

近寄れば粒に割れ、離れれば筆で描いたようになめらかに見える。

図様は、ローマの館の装飾に基づくと記録は書く。

その装飾は、ルネサンスの画家ラファエロが描いたと考えられてきたものだそうだ。

天板は1865年にローマで買われ、木の台はニューヨークの工房で作られたと伝えられる。

クリーヴランドの実業家ゴードンの家に置かれていた卓である。

持ち主のゴードンは、屋敷の跡地を市に遺した人でもある。

その土地はいま、彼の名の公園になっていると記録は書く。

卓は美術館へ、庭は公園へ、と分かれて残った。

この卓で食事をすれば、皿が絵を隠してしまう。

眺めるための卓、というものが世の中にはある。

食卓の対極が、ここにある。

数えると、こうなった

九点を数え直す。

絵が六点、実物が三点。

食事の場面は四点で、うち献立の読めたものは一点。

食べ物の名を種類まで言えたのは、無人の静物一点だけだった。

白い布の掛かった卓は二点で、どちらも祝いの席である。

食事以外の用に立つ卓は三点あった。

書き物の机、飾りの卓、眺めるための卓である。

食卓という言葉は、卓の勤め先の一つを言っているにすぎない。

そして食卓の上の器で、中身の見えたものは一つもない。

椀は伏せられ、杯は遠く、皿は塊を載せたままである。

磁器の食器揃も、空のまま並んでいる。

九点を見渡して、湯気の立っている絵は一枚もない。

食事の時刻で並べ直すこともできる。

コールテの実は、食べられる直前である。

デューラーの卓は、食事の最中である。

磁器の食器揃と二つの卓は、食事の前か後、あるいは食事と無縁の時間にいる。

九点の大半は、食べていない時間の食卓なのである。

食卓が食卓として働く時間は、一日のうちわずかしかない。

絵は、残りの長い時間のほうをよく知っている。

まとめると、こうなる。

食事の絵は人を描き、食べ物は無人の絵に描かれる。

近づけば献立が読め、遠ざかれば席次が読める。

一枚で両方を読ませる絵は、少なくともこの九点にはない。

画家が手を抜いたのではないだろう。

食卓とは、そもそもそういう場所なのだと考えられる。

食事の席で覚えているのは、誰と食べたかであり、皿の細部ではない。

絵は、その記憶の濃淡に忠実なのである。

もう一つ、東西の違いも数えられた。

西洋の食事は一つの卓に集まり、江戸の食事は器を床に散らした。

卓を囲むか、車座になるか。

食卓の絵は、座り方の絵でもある。

むろん、九点で数えた話にすぎない。

食卓の絵の全体に当てはまるかは、ここからは決められない。

食べかけの皿を克明に描いた絵も、探せばどこかにあるだろう。

ただ、この九点に限れば、卓の上はいつも遠いか、無人かだった。

最後に、記録に残らないことを一つ。

清風与平の椀に何が盛られたか、記録は書かない。

歌麿の高坏に何が盛られたのかも、記録は書かない。

卓と器と絵は残り、食事そのものは一度も残らない。

献立は、いつの時代も、食べた人の中にだけ残る。

思えば、食事ほど絵にしにくいものはない。

湯気は消え、皿は片づき、味は目に見えない。

画家にできるのは、その前後を描くことだけである。

だから食卓の絵は、集う顔と、待つ器の絵になった。

次に食卓の絵の前に立ったら、まず皿の中をのぞいてみてほしい。

たいてい読めないことを確かめてから、卓を囲む顔ぶれを読むのである。

献立の欄が白いままの絵ほど、席のまわりはよくしゃべっている。

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