塔は、一本で立つ——カナレット・トライプ・パーマーほか九点
尖った形は、何と呼ばれるか
今回の外れ四点は、いずれも尖った形に関わっていた。
祭壇画の上に載る三角の板。
神殿の門の、傾いた壁面。
崖の切り立った稜線。
そして、遠くの教会の尖塔。
英語では、これらに近い語がいくつもある。
塔、尖塔、小尖塔。
日本語では、塔、尖塔、塔門、と訳し分けられる。
訳し分けたところで、字は残ることも消えることもある。
塔門には塔の字が残った。
障害競馬には残らなかった。
切り立つ崖にも残らなかった。
つまり、日本語で検索できる語と、英語で検索できる語は違う。
同じ作品群を、二つの言語で引くと、集まる顔ぶれが変わる。
今回は、その両方で引いた。
だから、日本語では見えない一致も混じっている。
障害競馬の一点は、その代表である。
この一点は、日本語の題だけを見ていたら絶対に集まらない。
英語の題を残しておくことの意味は、そこにある。
館の記録は、原語の題を必ず残している。
翻訳は、その横に添えられる。
原語が残っているかぎり、後から別の引き方ができる。
塔は、一本で立つ
九点を見て、はっきりした特徴があった。
塔は、たいてい一本で描かれる。
二本以上が並ぶ画面は、九点に一つもなかった。
これは、塔の性質による。
塔は目印として建てられる。
目印は、一つでなければ役に立たない。
二つ並べば、どちらが目印か分からなくなる。
だから塔は、周りに何もない場所に立つ。
水辺、丘の上、海辺、寺の中心。
いずれも、周囲から抜き出た位置である。
そして、塔の周りには余白ができる。
余白があるから、遠くからでも形が読める。
絵は、その余白ごと描いている。
《孤独な塔》という題は、その事情を言い当てている。
塔は、孤独であることで機能する。
塔の絵は、横長になる
判型を並べておきたい。
塔が描かれた五点のうち、横長が四点だった。
縦長は、油彩の一点だけである。
これは意外に思える。
塔は縦に長いのだから、画面も縦になりそうである。
ところが、そうならない。
理由は、塔の位置にある。
塔は、周りから抜き出て立つ。
その「抜き出ている」ことを示すには、周りが要る。
周りを描くには、横の幅が必要になる。
だから画面は横に広がる。
縦長の一点は、塔にかなり近づいていた。
近づけば、周りは要らなくなる。
塔そのものが画面を埋めるからである。
なお、崖を描いた掛幅は縦長だった。
こちらは塔ではないが、高さが主題である。
高さを見せたい画面は、やはり縦になる。
塔の絵が横長なのは、高さより位置を示しているからだろう。
版画が、五点を占める
材の内訳を出しておきたい。
版画が三点、素描と水彩が二点、油彩が二点。
写真が一点、板絵が一点である。
版画が多いのは、今回の集めかたと関係がある。
塔は景観の目印だから、景観の連作に出てくる。
景観の連作は、たいてい版画で作られた。
一枚ずつ売り、まとめて綴じることもできる。
最初に見た一点も、連作の一枚だった。
競馬の一点も、色刷りの版画である。
こちらは、出来事を伝える印刷物として売られたのだろう。
版画は、同じ画面を何枚も作れる。
だから、記録や報道に近い役割を担った。
今回の三点は、いずれもその性格を持つ。
一方、油彩の二点は一点ものである。
同じ塔を描いても、複数には広がらない。
そして写真の一点は、その中間にある。
陰画から何枚でも焼けるが、実際の枚数は限られる。
館の記録は、その一枚がある写真帖の何枚目かまで書いている。
図版十二、という番号が題に入っている。
つまり、この一枚は組物の一部である。
塔の絵は、組物になりやすい。
目印は、いくつも並べて土地を示すのに使えるからである。
記録は、塔の高さを書かない
最後に、記録の欄を確かめておきたい。
九点の記録に、塔の高さを書く欄はない。
書かれるのは、作品そのものの寸法である。
いちばん小さいのは12.4×19.2センチの水彩。
いちばん大きいのは、表装を含めて172.2×44.1センチの掛幅である。
塔そのものが何メートルあるかは、どこにも書かれない。
画面から推すこともできない。
比較できる人が、塔のそばに描かれていないからだ。
前に述べたとおり、塔に近づく人が一人もいない。
近くに人がいなければ、目盛りがない。
唯一の例外は、油彩の一点だった。
石の壁の上に、小さな人影が三つある。
その人影と塔を比べると、塔は人の十倍以上ある。
十メートルは超えているだろう。
これも目分量にすぎない。
寸法の欄にある数字は、あくまで作品の大きさである。
描かれた対象の大きさは、記録の外にある。
九点のうち八点で、塔の高さは分からないままだった。
高さを主題にした建物なのに、高さが記録されない。
これは、美術館の記録の性質による。
記録の対象は、作品という物である。
描かれた対象は、その物の内容にすぎない。
内容については、記述の欄で触れられることもある。
だが、数字としては残らない。
今回、記述の欄があったのは四点だけだった。
そのうち、塔そのものに触れたのは一点もない。
書かれていたのは、撮影の事情と、失われた祭壇画のことである。
塔は、題のなかにだけ立っている。
その題も、多くは後から付けられた呼び名である。
塔の固有の名が題に入るのは、九点のうち三点だった。
残る六点では、塔は「塔」としか呼ばれていない。
固有の名がなければ、どの塔かは特定できない。
特定できない塔は、風景の目印のまま残る。
それでも、目印としての役目は果たしている。
画面のなかでは、いまも一本だけ立っている。
周りに何もないことが、その塔の条件である。










