名画の楽しみ方

見ていない眺めが、一点ある——ブラウン・カナレット・北斎ほか九点

武州千住(富嶽三十六景より)
葛飾北斎《武州千住(富嶽三十六景より)》1830年代前半。館の記録では、多色木版。紙は37.8×25.4センチ。番号は1924.964。クリーヴランド美術館蔵。葛飾北斎《武州千住(富嶽三十六景より)》クリーヴランド美術館蔵

五点目は、素描帖の一葉である。

紙は12.1×19.7センチ。

黒鉛だけで、ごく薄く描かれている。

画面の中ほどに、山の稜線が一本引かれる。

線は細く、途中で途切れる。

その下には、ほとんど何もない。

上のほうも、白いままである。

館の記録の題によれば、ある山の眺めである。

山の名が、題に入っている。

つまり、この数本の線が特定の山を示している。

線だけでは、どの山かは分からない。

分かるのは、題があるからである。

この帖からは、これで十二枚目になる。

からまで、十一の回で取り上げた。

ベイカー山の眺め(スケッチブックより)
アルバート・ビアスタット《ベイカー山の眺め(スケッチブックより)》1890年。館の記録では、網目紙に黒鉛。12.1×19.7センチ。番号は1995.379.4mm表。メトロポリタン美術館蔵。アルバート・ビアスタット《ベイカー山の眺め(スケッチブックより)》メトロポリタン美術館蔵

「眺める」人を描く

語の外れに移りたい。

日本語の題に、眺めるという動詞が入る二点である。

一点目は、小さな板絵である。

額なしで27×34センチ。

画面の右寄りに、男が二人いる。

いずれも黒い帽子をかぶる。

一人は身を乗り出し、一人はその後ろにいる。

二人の前に、額に入った絵がある。

絵は横向きで、こちらからは裏側しか見えない。

つまり、彼らが何を見ているかは分からない。

背景は暗く、何も描かれていない。

館の記述によれば、二人は美術に関わる人物である。

一人は後に美術館の学芸員になり、一人は収集家だった。

そして館は、二人が持っている絵がこの画家自身の作らしいと書く。

つまり、絵を見ている絵である。

館の記録によれば、画面の左上に献辞がある。

親愛なる友人たちへ、という言葉である。

絵を眺めるポール・ラフォンとアルフォンス・シェルフィス
エドガー・ドガ《絵を眺めるポール・ラフォンとアルフォンス・シェルフィス》1878〜80年頃。館の記録では、板に油彩。額なしで27×34センチ。番号は1958.25。クリーヴランド美術館蔵。エドガー・ドガ《絵を眺めるポール・ラフォンとアルフォンス・シェルフィス》クリーヴランド美術館蔵

二点目は、中国の画帖の一葉である。

画帖を閉じた状態で15.4×18.5×3.1センチ。

各図は11.2×13.1センチしかない。

画面の中央に、男が一人座っている。

白い衣で、片手に杖を持つ。

顔は横を向き、下を見ている。

その視線の先に、垣根と菊がある。

菊は橙色で、小さく描かれる。

周りには、葉の落ちた木が数本立つ。

枝は細く、上へ伸びる。

左には、書き込みと印がある。

館の記述によれば、これは古い詩を絵にしたものである。

その詩には、東の垣根の下で菊を摘み、南の山を眺める、とある。

つまり、菊を見る場面と、山を眺める場面が一続きである。

日本語の題では、その動詞が使われている。

この画帖からは、庭を扱った回でも一葉を取り上げた。

垣根の菊を眺める杖の男(古詩を描いた山水画帖より)
華嵒《垣根の菊を眺める杖の男(古詩を描いた山水画帖より)》1745年。館の記録では、画帖の一葉。紙に墨と淡彩。各図は11.2×13.1センチ。番号は1982.68.3。クリーヴランド美術館蔵。華嵒《垣根の菊を眺める杖の男(古詩を描いた山水画帖より)》クリーヴランド美術館蔵

眺めの絵は、横長になる

判型を並べておきたい。

眺めを描いた六点のうち、横長が五点である。

縦長は、日本の版画の一点だけだった。

横長が多いのは、当然かもしれない。

人の目は、横に広く見える。

上下より、左右のほうが視野が広い。

だから眺めを写せば、横長になる。

そして、遠くの町や丘は横に伸びる。

建物が並び、稜線が続く。

その並びを入れるには、幅が要る。

いちばん横長なのは、町を描いた油彩だった。

幅が高さの一.八倍ある。

町の建物が、水平線に沿って並んでいる。

縦長の一点は、日本の版画である。

こちらは、手前の堰が縦に組まれている。

そして山は、画面のずっと奥にある。

つまり、眺めよりも手前の場面が主になっている。

組物の題には眺めの語があるが、画面の構成は違う。

同じ語でも、地域によって扱いが変わる。

前に八景を扱った回でも、似た違いがあった。

数え直す

九点を並べ直したい。

ある場所の眺めを描いたのは、六点。

そのうち、実在の場所が五点。

想像上の場所が、一点である。

眺める人を描いたのが、二点。

そして、組物の一枚が二点あった。

一つは景観集、もう一つは三十六景である。

手前に置かれるもの

眺めの六点で、手前に何が置かれているかを数えたい。

木が置かれているのが、三点。

水面が置かれているのが、三点。

草地や斜面が置かれているのが、二点。

人工物が置かれているのが、一点である。

分類が重なる点もある。

手前に何かを置くのは、距離を作るためである。

近いものと遠いものが同じ画面にあれば、そのあいだが距離になる。

置かなければ、遠くのものだけが浮いてしまう。

そして、手前のものは細かく描かれる。

奥のものは、輪郭だけになる。

その差が、そのまま距離の差になる。

いちばん極端なのは、日本の版画だった。

手前の堰は、木の一本ずつが描かれている。

奥の山は、青い輪郭だけである。

同じ画面に、二つの描き方が同居している。

写真では、そこまで極端にはならない。

レンズは、手前も奥も同じように写す。

館の記録に、この差は書かれない。

書かれるのは、技法の名だけである。

だが技法を知れば、なぜそう見えるかが分かる。