名画の楽しみ方

見ていない眺めが、一点ある——ブラウン・カナレット・北斎ほか九点

眺めの絵は、売られていた

九点のうち三点は、組物や商品として作られている。

一点は、写真会社が売った印画である。

館の記述によれば、その場所の写真はよく売れた。

同じ会社が、いくつもの眺めを用意していたという。

一点は、景観集という組物の一枚である。

前に塔と島を扱った回でも、同じ組物から取り上げた。

同じ画家の同じ連作が、この回で三度出てきたことになる。

一点は、三十六景の組物である。

こちらも、一枚ずつ売られた版画である。

つまり、眺めの絵は複製されて広まった。

理由は、需要があったからだろう。

旅の記念、部屋の飾り、遠い土地を知る手立て。

いずれも、複数の人が同じ絵を欲しがる。

だから版画と写真が向いている。

一点ものの油彩や素描は、そうはいかない。

九点のうち、複製できる技法は四点だった。

版画が三点、写真が一点である。

残る五点は、一点ものである。

眺めという主題は、複製の技法と相性がよい。

その相性が、九点の内訳にも出ている。

眺めは、遠くから見る

六点を見て、共通する点があった。

いずれも、対象が遠い。

丘の上の神殿は、道の向こうにある。

町は、水の向こうにある。

宮殿は、池の向こうにある。

山は、水と土手の向こうにある。

つまり、眺めには距離がいる。

近づけば、それは眺めではなくなる。

そして、距離があるので細部が消える。

窓の一つずつ、瓦の一枚ずつは描かれない。

描かれるのは、輪郭と、大きな明暗だけである。

前に山や塔を扱った回でも、同じ話をした。

遠くから見ると、形が記号になる。

眺めという語は、その距離を前提にしている。

そして、その距離には手前の何かが要る。

木、水面、丘の斜面、堰。

六点とも、手前に何かを置いている。

置かないと、遠さが伝わらない。

見る位置が、題に書かれる

もう一つ、気づいたことがある。

九点のうち二点で、見る位置が題に入っている。

一点は、高地からの眺めという題である。

もう一点は、素描の右下に地名が書き込まれている。

残る四点では、見る位置は書かれていない。

書かれているのは、見られる対象の名だけである。

アクロポリス、ホールン、ヴェルサイユ、富士。

つまり、たいていは対象の名で呼ばれる。

だが、同じ対象でも見る位置が違えば別の絵になる。

三十六の眺めを集めた組物が、それを示している。

同じ山を、三十六の場所から見る。

三十六枚は、いずれも違う画面になる。

つまり、眺めとは対象と位置の組み合わせである。

その片方しか題に書かれないのは、不便でもある。

館の記録も、そこは補っていない。

補えるのは、画面を見たときだけである。

記録は、見た日を書かない

最後に、記録の欄を確かめておきたい。

九点の記録に、見た日や時刻の欄はない。

書かれるのは、材と寸法と番号と出所である。

制作年は書かれるが、それは描いた年である。

見た日と描いた日が同じとは限らない。

素描帖の一葉なら、その場で描いただろう。

だが、大きな油彩は工房で仕上げられる。

前に夜を扱った回では、記憶で描く訓練の話があった。

眺めの絵も、同じである。

現場で写生し、後で仕上げる。

その手順は、記録には書かれない。

例外は、写真である。

写真は、その瞬間に光が当たらなければ写らない。

だから撮影の日時は、制作年とほぼ同じになる。

九点のうち、写真は一点だけだった。

残る八点では、いつ見た眺めかは分からない。

分かるのは、いつ作られたかだけである。

そして想像上の眺めの一点では、そもそも見ていない。

見ていない眺めが、眺めとして題に残っている。

館は、それを想像上の眺めと明記している。

明記しなければ、実在の町だと思われただろう。

実際、画面は実在の町のように描かれている。

塔があり、円柱があり、屋根が並ぶ。

崩れた建物も、人も、小屋もある。

見ただけでは、実景と区別がつかない。

区別できるのは、題があるからである。

つまり、この一点では題が最も重要な情報になっている。

前に、後から描かれた歴史の場面を何度か見た。

百年前の教会、六十年前の広場。

いずれも、題に年が入っていた。

年がなければ、記録画として読まれてしまう。

今回の一点も同じである。

想像上の、という一語が、その絵の性質を決めている。

その一語を落とせば、資料としての意味が変わる。

だから当社の日本語題にも、その語を残した。

そして今回、日本語の題で起きた一致も二点あった。

眺めるという動詞である。

絵を眺める人、菊を眺める人。

どちらも、場所の眺めではない。

見るという行為のほうである。

英語の題では、別の動詞が使われている。

日本語にすると、同じ字になる。

眺めという名詞と、眺めるという動詞。

一つの字が、対象と行為の両方を指している。

前に扱った影や月と、同じ構造である。

そして今回は、その二つが同じ回に並んだ。

眺められる場所と、眺める人。

九点で、その両側がそろったことになる。

眺める人を描いた二点では、その人が何を見ているかが問題になる。

一点では、絵の裏側しか見えない。

もう一点では、菊がはっきり描かれている。

見えるか、見えないか。

その差が、画面の性格を分ける。

見えなければ、見る人の表情だけが残る。

見えれば、二人の視線をたどることになる。

九点のうち、視線をたどれるのは一点だけだった。

もう一点では、絵の裏側が見えるだけである。

見ている当人たちには見えているものが、こちらには見えない。

その隔たりが、この一点の面白さでもある。

館の記述によれば、その絵はおそらく画家自身の作である。

つまり、自分の絵を見る二人を、自分で描いている。

見る人と、見られる絵と、それを描く人。

三つが一枚に入っている。

二十七センチの板に、その入れ子が収まっている。

九点のなかで、いちばん小さい絵でもある。

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