作品を知る

壁は、絵と同じ形をしている——デューラー・アルトドルファー・トライプほか九点

描かれた壁の材は、五種あった

画面のなかの壁が、何でできているかを見たい。

読み取れたのは、五種類である。

積んだ石が二点。

切り出した石の枠が一点。

木で組んだ祭壇が一点。

漆喰らしい平らな面が一点。

そして煉瓦か石造りの建物の外壁が一点ある。

石が多いのは、壁が残りやすい材だからだろう。

ただし、これは描かれたものの話である。

作品そのものの材は、まったく別である。

紙が四点、板が一点、布が一点、金属と七宝が一点。

板紙が一点、写真の印画紙が一点。

壁を描いた紙は薄く、壁を覆った布は重い。

同じ主題でも、物としての重さは千差万別である。

館の記録が書くのは、後者だけである。

描かれた石の重さは、どこにも書かれない。

壁の面は、たいてい四角い

九点で、壁の面の形を見ておきたい。

平らな四角い面として描かれるのが、五点ある。

くぼみのある面が、そのうち三点を占める。

弧を描く面が一点あった。

半円形の板紙に描かれた習作である。

これは、掛ける場所の形に合わせた結果である。

壁の形が、絵の形を決めている例と言ってよい。

反対に、絵の形が壁を決めることもある。

七宝の大皿は丸いが、枠は正方形である。

丸い皿を四角い枠に嵌めると、壁に掛けやすくなる。

壁は四角い面だから、四角いもののほうが収まりがよい。

綴織も同じである。

高さ四メートル、幅五メートル半の四角い布。

これは、壁の寸法をそのまま写している。

館の記録は、その布が八点続きの一枚だと書いている。

八枚を並べれば、部屋の四方を覆える。

つまり組物の枚数は、部屋の周長から決まる。

作品の大きさは、壁の大きさに縛られている。

そう考えると、寸法の欄は建物の情報でもある。

四メートルの布が掛かる壁は、四メートル以上ある。

記録は建物を書かないが、寸法から建物が推せる。

数え直す

九点を並べ直したい。

人の後ろに壁が描かれるのは、五点だった。

そのうち三点で、壁はくぼんでいる。

壁が主題そのものになっているのは、二点である。

壁に掛ける、または壁を覆うために作られたものが、三点あった。

壁の名だけを持ち、壁が描かれていないものが、一点。

分類が重なる作品もあるので、合計は九にならない。

もう一つ数えておきたいのは、壁の向こうが見えるかどうかである。

見えるのは、二点だけだった。

最初の銅版画では、低い壁の向こうに丘と城が見える。

寺院の写真では、壁の上に空がわずかに見える。

残る七点では、壁の向こうは描かれていない。

壁は、向こう側を見せないためにある。

見せないことによって、こちら側が画面になる。

壁は、絵と同じ形をしている

数えた結果から言えることを、一つにまとめたい。

壁は、絵に似ている。

どちらも平らな面で、たいてい四角い。

どちらも、こちら側からしか見えない。

そしてどちらも、向こう側を隠している。

絵を壁に掛けるという行為は、平らな面を平らな面に重ねることである。

今回の九点には、その関係が何度も出てきた。

壁のくぼみに絵を収める祭壇画。

壁に掛けるために枠を付けた七宝。

壁を覆うために織られた大きな布。

壁に描く予定だった絵の習作。

いずれも、壁と絵の区別が曖昧である。

区別が付くのは、外せるかどうかだけかもしれない。

外せるものが作品として館に来る。

外せないものは、写真に撮って持ってくる。

寺院の壁が写真として館にあるのは、そのためである。

壁は、時間を溜める

壁について、もう一つ言えることがある。

壁は、直されたり塗り替えられたりする面である。

九点のうち、手が加えられた記録が残るのは二点だった。

一点は、板絵である。

館の記述によれば、この板は大きく修復されている。

かつて描き足された布が、1941年に除かれた。

除いた結果、もとの状態に近づいたと館は書く。

もとの状態そのものに戻ったとは書いていない。

その慎重な言い方は、記録として正しい。

除いた上塗りの下に、どこまで元の絵が残っていたか。

それは、除いてみるまで分からない。

もう一点は、壁画の習作である。

こちらは、完成した壁画の行方が記録にない。

建物が残っているかどうかも書かれていない。

壁に描かれた絵は、建物とともに消える。

だから習作だけが、番号を持って残る。

前の回で見た扉上部の彫刻と、同じ事情である。

建物から外せるものだけが、館に来る。

外せないものは、写真か、習作か、記録として残る。

壁は動かせない。

動かせないものを扱うために、絵と写真と記録がある。

記録は、壁の向こうを書かない

最後に、記録の欄を確かめておきたい。

九点の記録に、壁について書かれた欄はない。

壁が石か木か、厚いか薄いかは書かれない。

書かれるのは、作品そのものの材と寸法と番号である。

例外は、写真の一点だった。

館の記述が、壁の内側にあるものに触れている。

見えないものを、言葉で補っている。

これは記録にしかできない仕事である。

画像はどこまでも表面しか写せない。

壁を撮った写真なら、なおさらである。

そして今回、いちばん厚い記述が付いていたのは、いちばん薄いものだった。

蝋を引いた紙の陰画である。

紙の厚さは、記録に書かれていない。

書かれているのは、それを選んだ理由の推測だけである。

割れないから、軽いから。

館は「かもしれない」と書いて、断定を避けている。

その慎重さも、記録の一部である。

壁を見るときは、面そのものより、面の際を見るとよい。

くぼみの縁、壁の上端、壁の切れる場所。

そこに、その絵が何を隠しているかが出る。

九点で確かめられたのは、その程度のことである。

だが壁は、どの絵にも必ずある。

背景と呼ばれて、見過ごされているだけである。

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