水面は、上下をひっくり返す——広重・欧州絵画・掛軸ほか九点の映り込み

白黒の画像である。
横長の画面。
中央に、深い谷が奥へ伸びる。
両側の岩壁が、垂直に切り立つ。
その斜面に、暗い針葉樹が立ち並ぶ。
細く、尖った形である。
谷の底に、水が流れる。
大きな岩が転がり、そのあいだを白く泡立って落ちる。
手前は、岩と倒木である。
奥は、霧に沈む。
峰の輪郭が、薄く見える。
空は明るいが、雲が厚い。
作者の欄に、以前の帰属とある
この一点の記録には、変わった記載がある。
作者の役割の欄に、以前の帰属、と書かれている。
つまり、かつてはある画家の作とされていた。
しかし、いまはそう考えられていない。
館は、その名を消していない。
以前はそう言われていた、という形で残している。
第二十四回や第二十五回で、作者の欄の書き方をいくつか見た。
追随者、周辺、おそらく誰それ。
いずれも、確かさの度合いを示す語だった。
以前の帰属、という書き方は、それらとも違う。
過去の判断を記録している。
現在の判断ではない。
館の記録は、判断が変わったことまで残している。

第五回でも、同じ写生帖の別の頁を読んだ。
画像には、開いた帳面が写っている。
そして、線がほとんど見えない。
左の頁の中ほどに、薄い線が数本。
岩か、木の形らしい。
その右に、水平の線が一本。
水面だろう。
右の頁は、ほとんど白い。
紙の中央に、綴じ目が縦に走る。
下端に、小さな文字が読める。
描かない頁も、水を示す
この頁では、水は線一本である。
しかし、その線があるだけで、そこが水面だと分かる。
第二回で、船が水面の位置を示すと書いた。
ここでは、水平の線だけである。
船も、映り込みも、波もない。
それでも、上に岩があり、下が空いていれば、水に読める。
風景の約束が、そう読ませる。
情報を極限まで減らしても、成立する。
写生帖の頁は、そのことをよく示している。
川と、湖と、海
九点の水を、種類で分けたい。
川が五点である。
オワーズ川、日没の風景の川、コローの河岸、興津の川、デラウェア川。
渓流が一点。
嵐のあと。
滝が二点。
そして、湖らしいものが一点。
写生帖の頁である。
海はない。
第二回で読んだ九点には、海が三点あった。
同じ水でも、川と海では描き方が違う。
海は、水平線が見える。
対岸がない。
川は、必ず対岸がある。
だから、川の絵には向こう岸が描かれる。
そして、その向こう岸が画面を上下に分ける。
海の絵では、水平線がその役目をする。
九点のうち、対岸が見えるものは五点である。
いずれも川である。
対岸の距離が、川幅を示している。
そして、川幅と、渡る手段が対応する。
橋が架かるほどの幅か。
歩いて渡れる浅さか。
舟が要る深さか。
興津の版画では、人が歩いて渡っている。
つまり、浅くて狭い川である。
第三回で読んだ橋の絵では、舟が下を通っていた。
深くて広い川である。
水の描き方だけで、その川の性格が読める。
九点を、水の状態で分ける
九点の水を、状態で分けたい。
止まっていて、映しているものが三点。
オワーズ川、日没の風景、コローの河岸。
浅くて、映していないものが一点。
広重の興津。
流れて泡立っているものが二点。
デラウェア川と、嵐のあと。
落ちているものが二点。
二つの滝である。
そして、線一本のものが一点。
写生帖の頁。
映すか映さないかで、水はまったく別のものに見える。
水の色
九点の水の色を並べたい。
淡い灰緑が一点。
明るい桃色と黄色が一点。
白く光る帯が一点。
青が一点。
そして、白いままが四点。
つまり、九点のうち四点で、水は紙や下地の色である。
色を塗っていない。
これは、水が明るいものだからである。
まわりを暗く塗れば、残った部分が水になる。
第六回で、雪について同じことを書いた。
いちばん明るいものは、塗らないほうが明るい。
そして、水は明るいとは限らない。
深く、日が当たらなければ暗い。
九点のうち、暗い水は一点だけである。
オワーズ川の映り込みの部分である。
映すということは、上のものの色になるということでもある。
上が暗ければ、水も暗い。
水そのものには、色がない。
次の回では、雪を見たい。
雪も、塗らずに作るものである。
そして、白は画面のなかでいちばん強い色である。
水の音
絵は音を描けない。
しかし、水の音は想像される。
止まった水なら、無音である。
流れる水なら、音がする。
滝なら、大きな音がする。
九点を並べると、静かなものと騒がしいものが分かれる。
オワーズ川、日没の風景、コローの河岸は、静かである。
映り込みが崩れていないからである。
デラウェア川と嵐のあとは、騒がしい。
泡と岩の対比が強い。
そして、二つの滝は、いちばん大きな音がする。
落差が大きく、水量が多い。
音は描かれていない。
しかし、水面の状態から読み取れる。
これは、絵が持つ情報のうち、いちばん間接的なものかもしれない。
館の記録は、当然そこまでは書かない。
題に滝とあるだけである。
それでも、見る側は音を聞いてしまう。
雪は、水が固まったものである。
そして、絵のなかでの扱いは、水とよく似ている。
いちばん明るく、塗らずに作る。
しかし、違うところもある。
水は流れ、雪は積もる。
積もると、下にあるものの形が変わる。
枝が太くなり、屋根が丸くなる。
その変化を、九点で見比べたい。
そして、雪の白は、画面のなかでいちばん強い。
強すぎて、他のものが見えなくなることもある。
その加減も、あわせて読みたい。
白をどこまで残すかが、雪の絵の要になる。









