美術史・技法

酒は写らず、酔いだけが写る——マンテーニャ・馬遠・木米ほか九点

月下に酒を飲む
馬遠《月下に酒を飲む》1100年代の終わりから1200年代の初め。館の記録では、画帖の一葉、絹に墨。画面は24.5×25センチ。全体は67.6×39.2センチ。番号は1997.89。クリーヴランド美術館蔵。馬遠《月下に酒を飲む》クリーヴランド美術館蔵

岩が重なり、右手から松の枝が斜めに垂れている。

その下に、平らな石の卓がある。

卓の上には、紙と筆と硯らしいものが置かれている。

手前の岩に、男が体をあずけて寝そべっている。

手には、小さな器がある。

上の余白は広く、うっすらと丸い月が浮かぶ。

館の記録では、酔いのまわった男が、酒の器を手にくつろいでいる。

月が昇り、酒が尽きれば、この人は石の卓に戻るのだろうという。

墨と紙と筆が、そこで待っているからである。

つまりこれは、酒と仕事のあいだの時間である。

館の記録は、場所についても推測を書いている。

杭州の宮殿の裏手、鳳凰山に月崖と呼ばれる名所があった。

奥へ退く岩と、その間にはまる満月という作りから、そこを描いた可能性が高いという。

作者については、記録は慎重である。

馬遠の作とされてきたが、それは様式に基づく判断だとある。

筆づかいは、むしろ息子の馬麟の美意識に近いという。

印は一つ半で、うち一つは明の宮廷の収集印だと記録は書く。

半分の印は、絵が切り分けられた跡である。

酒を飲む小さな一葉が、宮廷の目録を通り、収集家の手を渡ってきた。

来歴の欄には、20世紀の中国の収集家の名も並ぶ。

その順序ははっきりしない、と記録は正直に書いている。

画面は24.5×25センチ、ほぼ正方形である。

その小ささの中に、岩と松と月と人と、机の上の筆まで入っている。

月の絵の数え方は、満月は円い空白であると数えた回にある。

ここでの月は、酒をやめる合図のほうに近い。

盃に、盃が描いてある

八点目は、小さな盃である。

瓢形の徳利と盃を描いた盃
青木木米《瓢形の徳利と盃を描いた盃》19世紀前半。館の記録では、透明釉の上に色絵をほどこした磁器、京焼。高さ3.8センチ。差し渡し10.8センチ。番号は1975.268.697。メトロポリタン美術館蔵。青木木米《瓢形の徳利と盃を描いた盃》メトロポリタン美術館蔵

差し渡し10.8センチ、高さ3.8センチ。

浅く広い、手のひらに載る器である。

内側の見込みには、緑の輪が二重に描かれている。

そのまわりに、赤い筆で形が散らしてある。

よく見ると、瓢の形をした徳利と、伏せた盃である。

つまり、盃の中に酒器が描かれている。

酒を注げば、絵の徳利は酒に沈む。

飲み干せば、また現れる。

一点目の軍船と、同じ仕掛けである。

古代ギリシアの混酒器と、19世紀の京の盃。

二千三百年をへだてて、同じ思いつきが働いている。

器の底は、酒を張ったときにいちばんよく見える場所である。

そこに何を描くかを、作り手はどちらも考えた。

作ったのは、青木木米である。

京焼の色絵で、透明な釉の上に赤と緑をのせている。

この盃は、一人の収集家がまとめた東洋美術の一群から館へ入った。

割れた口を、金でつなぐ

最後は、酒を注ぐ器である。

竹と桔梗の酒注ぎ(一対)
初代清風与平《竹と桔梗の酒注ぎ 一対》1844年から57年ごろ。館の記録では、白化粧と染付の炻器、金継ぎの直しあり、京焼。高さは各13センチ。差し渡しは各5.5センチ。番号は2022.143。クリーヴランド美術館蔵。初代清風与平《竹と桔梗の酒注ぎ(一対)》クリーヴランド美術館蔵

背の高い、筒のような注ぎ器が二本並んでいる。

肩から上がすぼまり、注ぎ口と把手が付く。

肌は白く、その上に藍で竹と桔梗が描かれている。

一本は竹、もう一本は花の枝が主になっている。

そして、口の縁のあたりに金の線が走る。

割れたところを漆でつなぎ、金で仕上げた跡である。

館の記録は、これを金継ぎと呼んでいる。

高さは13センチ、差し渡しは5.5センチ。

酒を温めて出す器の大きさである。

館の記録では、作者は清風の名を継ぐ工房の初代とされる。

金沢の家に生まれ、地元にも焼き物があったが、修業には京を選んだ。

より進んだ磁器の技を求めたのだという。

1820年代に京へ移り、当時の名工に弟子入りした。

清風与平の名も、その師から与えられたらしい。

中国の磁器を写した精巧な仕事のほか、色絵の焼き物も作ったとある。

豆知識の欄には、二本が誂えの箱に一緒にしまわれていると書かれている。

箱には、書き入れと朱の印が捺されているという。

割れて、つないで、箱に納めて、また使う。

酒器は、飲むたびに手に取られる道具である。

だから欠けるし、だから直される。

金の線は、この一対がよく使われた証拠でもある。

数えると、こうなった

九点を数え直す。

酒のための器が四点。

混酒器、盃、酒注ぎ、そして銀の水差しの絵である。

酒をしまう家具が一点。

酒を飲む場面が三点。

バッカス祭、モスクワの酒場、月下の一人。

奇跡の一点が、そこに加わる。

では、酒そのものはどこにあるか。

九点のどこにも、注がれた酒の色は見えない。

混酒器も盃も、空のまま写真に撮られている。

銀の水差しの中身も、樽の中身も、画面からは分からない。

飲んでいる人の手の器さえ、中は見えない。

酒の絵とは、器と、酔った体の絵である。

飲み物の絵は、いつも飲み物を写しそこねる。

酔いのしるしも数えられる。

崩れた足取り、寄りかかる体、寝そべる姿。

九点のうち三点に、酔いの姿勢が描かれていた。

酒は写らないが、酔いは写る。

液体そのものより、体の傾きのほうが、絵にしやすい。

土地でも数えておく。

日本が二点、中国が一点。

ギリシアが一点、イタリアが一点、スイスが一点、オランダが一点。

フランスの画家が描いたロシアが一点、アメリカの家具が一点。

画材も数えておく。

焼き物が三点、木の家具が一点。

板絵が一点、布に油彩が一点、版画が一点、素描が一点、絹の絵が一点。

手に取れる物が四点、掛けて見るものが五点。

酒の絵は、器と絵にきれいに割れた。

年代の幅は、紀元前520年ごろから1840年ごろまで。

二千三百年を超えて、酒の器は作られ続けた。

九点で最も古い物と最も新しい物が、どちらも器だったことになる。

言えないことも書いておく。

この九点は、記録に酒の語を持つものから集めた。

だから器が多く出るのは、当たり前でもある。

酒の絵の全体で酒が写らないかどうかは、ここからは決められない。

九点の外には、なみなみと注いだ杯の絵もあるだろう。

最後に、記録に残らないことを一つ。

どの記録にも、酒の味の話はない。

甘かったか、強かったか、どの欄も書かない。

書いてあるのは、器の寸法と、技法と、持ち主の名前である。

割れた注ぎ口をつないだ金の線だけが、使われた回数を語っている。

飲まれた酒は、どこにも残らない。

残るのは、空の器と、傾いた体の形だけである。

そして、金でつながれた口の線である。

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