美術史・技法

書くは、人がいなくても残る——ベローズ・ドガ・青木木米ほか九点

文具台の、蓋だけが残る

八点目では、道具の一部だけが残る。

文具台の蓋
サンスニー窯《文具台の蓋》1746年。館の記録では、錫釉陶器(ファイアンス)に上絵付け。番号は1963.516.b。クリーヴランド美術館蔵。サンスニー窯《文具台の蓋》クリーヴランド美術館蔵

横長の平たい蓋である。

地は白い。

縁は波打ち、細かい山と谷が続く。

面には、花の枝が描かれる。

枝は左右へ広がる。

花は橙と青と緑である。

花は小さく、数が多い。

葉は細長く、先が尖る。

枝のあいだに、小さな虫がいる。

虫は翅を広げる。

蓋の中央に、摘みがある。

摘みは、小さな鳥の形である。

鳥は緑と褐色で、頭を上げる。

蓋の面は、平らではない。

いくつかの段がある。

段の位置に、下の仕切りがあったらしい。

館の記録では、この窯は別の町の窯から分かれたものである。

様式は、その町の後期の多色の作によく似ているという。

そして館は、文様について書いている。

この文具台を飾る様式化された花と虫は、この窯のものとしてまったく典型的であるという。

つまり文様が、どこで作られたかを示している。

作り手の名は、記録にない。

窯の名だけが、作者の欄に入る。

書く道具を作った人は、書き残していない。

名を残すのは、書く人のほうである。

道具は、窯の名で呼ばれる。

館の記録は、そう説明している。

つまり残っているのは、蓋だけである。

下の台は、失われている。

題も、蓋であることを明記している。

蓋の段差から、下の仕切りの数が読める。

三つか四つに分かれていたらしい。

インク壺と砂壺と、筆を置く溝である。

先の金属の小箱と、同じ構成である。

二百年を隔てて、同じ仕切りが要る。

九点のうち、部分だけが残るのは、この一点である。

机と道具が、贈り物として摺られる

最後の一点でも、道具だけである。

机と書道具
窪俊満《机と書道具》十九世紀。館の記録では、摺物、紙に墨と色。20.8×18.1センチ。番号はJP1985。メトロポリタン美術館蔵。窪俊満《机と書道具》メトロポリタン美術館蔵

小さな版画である。

20.8×18.1センチしかない。

紙は、淡い黄褐色である。

画面の下半分に、机がある。

机は低く、脚が短い。

天板は黒く、金の文様が散る。

文様は、菊の花らしい。

机の上に、箱が載る。

箱は蓋が開き、斜めに立てられる。

箱の内側は、赤い。

その中に、細長いものが数本ある。

筆である。

筆の軸は黒く、先が細い。

机の右には、丸い器がある。

器は白く、口が広い。

水を入れる器らしい。

その手前に、平たい黒いものがある。

硯である。

面はわずかにくぼむ。

くぼみに、墨が溜まる。

手前の端が、少し欠けて見える。

画面の上半分には、文字が並ぶ。

文字は縦書きで、七行ある。

右上には、赤い印がある。

印は小さく、四角い。

摺物の版元か、詩の作者の印らしい。

館の札には「筆記具」と「机」がある。

館の記録は、それ以上のことを書いていない。

摺物は、私的に配られる版画である。

つまり書く道具の絵が、贈り物として配られる。

そして画面の上半分は、文字で埋まっている。

文字は仮名が多く、行が短い。

和歌らしい。

つまり道具の絵の上に、その道具で書かれたものが並ぶ。

書く道具と、書かれた文字が、一枚に並んでいる。

ただし、その文字は摺られたものである。

手で書かれてはいない。

書かれた形を、版が写している。

九点のうち、文字が版で作られているのは、この一点である。

数えてみると

九点を並べ直す。

人が書いている場面は、三点である。

文を書く遊女、名を書く父、石に描く画家。

書かれた文字だけが残るのは、三点である。

後から加えられた跋、模特児の名、そして器の底の署名。

書く道具だけが写るのは、三点である。

金属の小箱、文具台の蓋、そして机と道具。

もう一つ数える。

九点のうち、書かれた文字が実際に読めるのは三点である。

跋の文、素描の隅の名、そして摺物の上半分。

残る六点では、文字は小さすぎるか、隠れているか、まだ書かれていない。

器の底の三字も、図版では見えない。

館の記録が、そこにあると書いているだけである。

見えない文字を数えられるのは、記録があるからである。

さらに数える。

九点のうち、道具が失われているのは二点である。

小箱の中身と、文具台の本体。

どちらも、入れ物の側だけが残った。

中身のほうが、先に失われる。

道具は使われ、減り、捨てられる。

筆は擦り切れ、墨は減る。

砂は、こぼれて消える。

減らないのは、入れ物と、書かれた面だけである。

九点のうち、面として残ったのは五点である。

紙が三点、板が一点、器が一点。

石だけは、刷ったあとに削られる。

次の絵のために、面が均される。

書いた跡は、そこで消える。

残るのは、刷られた紙のほうである。

入れ物は、飾りとして残る。

言えることと、言えないこと

言えるのは、書く場面が「まだ書かれていない面を含む」ということである。

最初の一幅では、紙は白いままだった。

筆は上がり、まだ触れていない。

書く前と書いた後は、同じ画面に入らない。

だから絵は、そのどちらかを選ぶ。

九点のうち三点は書く前を、三点は書いた後を選んでいた。

残る三点は、道具だけである。

道具は、書く前でも後でもない。

書かれていない時間の側にある。

そして三点とも、館に物として残っている。

描かれた場面より、道具のほうが長く残る。

言えないのは、書く人が画面にいるという話である。

九点のうち六点で、書く人はいない。

いるのは、書かれた文字か、書く道具だけである。

書くことは、人がいなくなっても残る。

残ることが、書くことの目的だからである。

最後に、はじめの一幅へ戻る。

紙は膝の上で、こちらへ垂れている。

こちらからは、面が見えている。

しかし、まだ何も書かれていない。

見る側は、白い面を見せられている。

九点を数え終えて残るのは、その白い面のほうである。

白い面は、何を書いてもよい面である。

書けば、決まってしまう。

決まる前の一瞬が、選ばれている。

書いてしまえば、文の絵になる。

書く前なら、書く人の絵になる。

題が「書く」であるのは、そのためかもしれない。

館の札も、書くことと登録している。

何を書くかは、記録にない。

相手も、内容も分からない。

分かるのは、書こうとしていることだけである。

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