作品を知る

舟は、水平線を示すために置かれる——広重・北斎・ターナーほか九点の遠景

舟が、手前と奥を分ける

この一点では、舟が画面の下端に置かれている。

そして、そこが水面である。

つまり、舟から下は水、上は岸ということになる。

一艘の舟が、画面を二つに分けている。

題にも、舟のスケッチ、と入っている。

村を描いた絵でありながら、題は舟を指している。

記録を作った側が、この舟を重要と見たのだろう。

山と舟のある湾の景(写生帖より)
アルバート・ビアスタット《山と舟のある湾の景(写生帖より)》1890年。館の記録では、簀の目のない紙に鉛筆。12.1×19.7センチ。番号は1995.379.4のdの裏。メトロポリタン美術館蔵。アルバート・ビアスタット《山と舟のある湾の景(写生帖より)》メトロポリタン美術館蔵

前の回でも、同じ写生帖の別の頁を見た。

線がきわめて淡い。

画面の上のほうに、山の稜線が横に走る。

なだらかに上下する。

その下に、水平の線が一本。

湾の対岸である。

左手に、四角い建物がいくつか。

屋根の形だけが描かれる。

そして、中央より右に、舟が二艘ほど。

細い線で、船体と帆柱が示される。

大きさは、五ミリに満たない。

紙の下半分は、ほとんど白いままである。

描かない部分が、水になる

この頁では、水がまったく描かれていない。

線が引かれていない部分が、そのまま水である。

そして、舟の位置だけが、そこが水面だと教えている。

もし舟がなければ、白い部分は空にも地面にも見える。

一本の線で描かれた小さな舟が、画面の下半分の意味を決めている。

前の回で、鉛筆の圧を変えて遠近を作る話を書いた。

ここでは、描かないことで水を作っている。

いずれも、加えるのではなく、引くやり方である。

水の描き方が、四通りある

九点の水の描き方を並べたい。

一つ目は、色で塗る。

広重の版画は、藍を上から下へ淡くしている。

グアルディの絵は、淡い青緑を平らに置く。

二つ目は、波の形を描く。

ターナーの絵は、白い波頭を幾重にも重ねる。

三つ目は、線の間隔で示す。

運河の素描は、短い横線だけで水面を作る。

四つ目は、何も描かない。

写生帖の湾は、白い紙のままである。

四通りのどれを選ぶかは、技法と目的で決まる。

色を塗れる油彩や版画では、色で示せる。

線しか使えない素描では、線の間隔になる。

そして、急いで描く写生帖では、何も描かない。

いずれの場合も、船が水面の位置を保証している。

船がなければ、藍色の帯は空にも見える。

第一回で読んだロイスダールの海景も、同じだった。

空と水がほとんど同じ色で、帆船の位置だけが境目を教えていた。

九点を、船の大きさで並べる

九点の船の大きさを、画面に対する比で並べたい。

嵐の絵は、二隻が画面の半分を占める。

いちばん大きい。

歌麿の舟遊びは、床が画面の半分。

ただし、舟の全体は見えない。

グアルディの廃墟では、船が画面の十分の一。

クールベの砂浜も、それに近い。

カトリンの村では、舟が画面の八分の一。

運河の素描では、舟が画面の五分の一。

そして、広重の夕桜と、写生帖の湾では、五ミリである。

嵐の絵と、夕桜の版画で、百倍近い差がある。

水平線の高さ

九点の水平線の位置を見たい。

画面の上から何割のところにあるか。

広重の夕桜は、上から四割。

クールベの凪の海は、上から三分の二。

ターナーの嵐は、水平線が見えない。

波と雲でふさがれている。

グアルディの幻想的風景は、上から六割。

カトリンの村は、水平線がなく、対岸の木立が境になる。

運河の素描も、水平線はない。

建物が視界を閉じている。

写生帖の湾は、上から半分より少し上。

水平線が低いと、空が広く見える。

高いと、水面が広く見える。

そして、水平線の高さは、描いた人がどこに立っていたかを示す。

低ければ、水面に近い位置から見ている。

高ければ、高台から見下ろしている。

クールベの絵で水平線が高いのは、砂浜に立っているからである。

広重の版画で低いのは、丘の上から見ているからである。

船の位置と、水平線の高さ。

この二つで、見ている人の立ち位置が決まる。

舟に乗っている絵は、少ない

九点のうち、舟の上から見た絵は一点だけである。

歌麿の舟遊びである。

これは、珍しいことではない。

舟の上から描くのは難しいからである。

揺れる。

道具が濡れる。

そして、視界が低くなる。

だから、たいていは岸から描く。

あるいは、高台から見下ろす。

舟の上の視点は、想像で作られることが多い。

歌麿の版画も、その場で写生したものではないだろう。

舟遊びという主題を、床の板から組み立てている。

見ている位置を選ぶことは、絵の作り方そのものである。

そして、その位置は画面の中には描かれない。

読む側が、構図から推し量ることになる。

大きさは、目的に従う

前の回と同じ結論になる。

船が主題の絵では、大きく、細かく描かれる。

帆の形、索具、船体の傾き。

情報が要るからである。

船が目盛りの絵では、小さく、単純に描かれる。

白い三角一つで足りる。

細かく描くと、そちらに目が行ってしまう。

そして、どちらの場合も、船は水面の位置を示している。

浮いているものがあって、水が見える。

その働きだけは、大きさに関係なく変わらない。

次の回では、橋を見たい。

橋は、水の上を渡るための構造である。

そして、絵のなかでは別の仕事もしている。

水の上に線を一本渡すと、渡れるようになる。

同時に、画面に横棒が一本入る。

その横棒が、上下を分ける。

構造としての橋と、線としての橋。

二つの働きを、九点で見比べたい。

そして、橋は水がなくても架かる。

谷にも、道の上にも架かる。

その場合、橋は何を示しているのか。

そこも、あわせて考えたい。

橋は、渡る人がいてはじめて橋になる。

誰も渡っていない橋は、ただの構造物である。

九点のうち、人が渡っている橋がいくつあるか。

そこから読み始めたい。

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