一件の中に、九十七枚が入る——葛飾北斎と門人の画帖ほか
画帖の中の、いちばん小さい葉
九件の寸法を比べると、極端に小さい一件がある。
縦3.7センチ、横4.4センチ。
切手ほどの大きさである。
それが八葉、一冊になっている。
いちばん大きい一件は、縦39.4センチ。
十倍以上の差だ。
同じ品名で、これだけ違う。
小さい一件は、山水を描いた画帖である。
指先ほどの紙に、岩と竹が描かれる。
拡大しなければ、何が描かれているか分からない。
館の記録は、大きさの意味を書かない。
数字だけを置く。

白い織地の台紙に、小さな紙が貼られる。
紙の右側に、岩が黒く盛り上がる。
岩の表面は、濃い墨で塗られる。
その右上から、竹が数本のびる。
竹の葉は細く、鋭く尖る。
葉の一枚ずつが、筆の一画で描かれる。
左側には、墨書が縦に三行入る。
その下に、朱の印が二つ押される。
印は四角く、赤が鮮やかである。
画面の大きさに対して、印が大きい。
余白は、ほとんど残されていない。
印が、画面の大きさを教える
いま見た一件では、朱の印が目立つ。
画面が小さいから、印が相対的に大きく見える。
印の大きさは、ふつう一センチ前後である。
その印が、画面の四分の一を占めている。
寸法の数字を読まなくても、小ささが分かる。
写真は、大きさを直接には伝えない。
同じ大きさに引き伸ばして見せるからだ。
しかし、印のような既知のものが写れば、比較できる。
館の記録は、寸法の数字でそれを補う。
数字と画像の両方があって、はじめて大きさが分かる。

横に長い画面である。
雪の景色が、左右いっぱいに広がる。
中央は白く、何も描かれない。
雪の野だろう。
左に、小さな小屋が二軒建つ。
屋根に雪が積もり、白く光る。
その周囲に、細い木が数本立つ。
右には、木立が濃く茂る。
枝の一本ずつが、細い線で描かれる。
上部に、塔のような建物が小さく見える。
墨の濃淡だけで、雪と地面が分けられる。
彩色は、まったく使われていない。
出所の行が、七つに分かれる
九件の出所の行を並べると、七つの経路になる。
同じ寄贈者の名が二件に出てくる。
1894年の寄贈で、版画の画帖と源氏の画帖である。
日本の品をまとめて贈った人だろう。
そのほかは、基金による購入が三件。
個人の寄贈が二件、遺贈が一件、収集の名で一件。
受入の年は、1894年から1989年まで散らばる。
九十五年の幅がある。
そして、中国の画帖四件のうち三件が、1980年以降の受入だ。
近年の受入に、中国の画帖が集中している。
館の関心が、その方向へ動いた時期があったのだろう。
出所の行と番号の年を並べると、そういう傾向まで見える。
一件ずつでは、決して見えない。
年の欄に、二つの数字が入る二件
九件のうち二件は、年の欄に二つの年が並ぶ。
1674年と1677年。
そして、もう一件は1688年の一つだけである。
二つ並ぶほうは、二人の画家がそれぞれ別の年に描いた。
三年の隔たりを、そのまま書いている。
画帖は、一度に描かれるとは限らない。
何年もかけて描き足すこともある。
あるいは、別々に描かれた葉を後から綴じる。
年が二つあるのは、その痕跡だ。
一つに丸めれば、成り立ちが見えなくなる。
前の回の記事で、同じ形の記録を何度か見てきた。
分けて書くことが、記録の基本である。
何枚を、一件とするか
九件を並べ終えて、数え方に戻ってみたい。
一葉ずつ番号を付けることも、できたはずだ。
そうすれば、九十七件になる。
館は、そうしなかった。
冊子として入ってきたから、冊子として数えた。
前の回の記事で、甲冑や刀の数え方を見てきた。
いずれも、館に入ってきた形をそのまま単位にしていた。
画帖でも、同じ原則が働いている。
もとの形を保つことが、優先されている。
ばらせば、順序が失われる。
順序が失われれば、その冊子の意味も失われる。
何人が、一冊に関わったか
九件の作者の欄を見ると、一人の件が六つ、二人の件が二つ。
そして、三人の件が一つある。
三人の件は、版画の画帖である。
三人の絵師の版画が、一冊に綴じられている。
版画には、彫った人と摺った人がいる。
版元もいる。
そのいずれも、作者の欄には入らない。
さらに、冊子に仕立てた人がいる。
紙を貼り、表紙を付け、綴じる仕事だ。
その人の名も、記録にはない。
一冊の画帖に、何人が関わったか。
数えようとすれば、すぐ両手では足りなくなる。
九件の枚数を合計すると、三百六十を超える。
九つの番号が、三百六十枚を抱えている。
館の収蔵品の数は、こういう形で数えられている。
一件は、一枚とは限らない。
そのことを知らずに数を見れば、規模を読み違える。
番号の数と、物の数は別である。
最後に、公開画像の選び方について書いておきたい。
九件のうち、いずれも一葉だけが代表として選ばれている。
誰がどう選んだのかは、記録に書かれない。
最初の一葉かもしれないし、状態のよい一葉かもしれない。
選ばれなかった葉は、外からは見えないままである。
九十七葉のうち九十六葉が、そこにある。
あることは分かるが、見ることはできない。
記録の欄は、その存在だけを保証している。
見えないものの数を書くのも、記録の役目である。
数が書かれていなければ、一枚だと思って終わる。
技法の欄の短い一句が、それを防いでいる。
綴じられた紙の束は、絵の集まりであると同時に、一つの物である。
どちらとして数えるかで、館の収蔵品の総数は大きく変わる。
館は、物として数えることを選んでいる。
選んだ理由は、どこにも書かれていない。
書かれていないが、九件を並べれば、その選択は一貫している。









