飲む絵は、注ぐところで止まる——バサヴァナ・豊信・サージェントほか九点
銀の台に、葡萄が巻く
八点目は、銀の器である。

円い台である。
径は13.7センチある。
高さは8.5センチある。
低く、平たい。
側面は、一周の帯になる。
帯には、浮彫がある。
葡萄の蔓が、巻きつく。
葉と実が、房になる。
その間に、幼い人の姿がある。
一人は、器を握る。
器は、空に見える。
もう一人は、獣にもたれる。
獣は、大きな猫の形である。
館の記録では、酒の神の連れである。
底の縁には、文字が刻まれる。
館の記録は、その文も控える。
作った店の名と、王家の名が入る。
館の記録では、これは瓶を載せる台である。
高価な卓布を守るために使われた。
酒が垂れても、布に届かない。
館の記録では、卓布は非常に高価だった。
壊れやすい瓶を、直に置くこともできない。
そのための、間に挟む道具である。
浮彫の主題も、用途に合っている。
葡萄と、酒の神の連れが並ぶ。
道具の役割が、模様に現れている。
館は、その対応を指摘している。
銀は、磨けば鏡のように光る。
浮彫の陰影は、その光の中で見える。
蝋燭の下では、影が動く。
卓の上で、模様が生きる仕掛けである。
幼い姿が持つ器は、空に見える。
中身は彫られていない。
銀では、液体を表しにくいからだろう。
形のないものは、金工でも描けない。
葡萄の実だけが、丸く並ぶ。
酒のもとになるものである。
作られた後の酒は、どこにもない。
器と、材料だけが彫られている。
飲む道具ではなく、飲む場所を守る道具である。
大きな紙に、飲酒の光景が並ぶ
九点目は、大きな版画である。

とても大きな紙である。
画面は55.9×99.1センチある。
線は細かく、全体が灰色に見える。
画面には、無数の人がいる。
数百人はいる。
一人ずつが、数ミリしかない。
中央に、高い台がある。
台の上に、像が立つ。
館の記録では、酒の神とその師である。
台の下には、女と子どもがいる。
館の記録では、酒で夫や父を失った人たちである。
周りには、区画が並ぶ。
一つ一つが、別の場面である。
礼拝の場面がある。
集まりの場面がある。
婚礼の宴がある。
洗礼の祝いがある。
誕生日の席がある。
葬いの席もある。
館の記録では、どの場面にも酒がある。
暮らしのすべてに入り込んでいる、という主張である。
館は、この画家が節酒を勧める運動に関わったと書く。
節度を説く運動だったという。
完全に断つことを求める人もいた。
この一枚は、その主張のための絵である。
館の記録では、ある種の酒の広まりにも触れる。
安く手に入る酒が、十八世紀の初めに現れた。
身分を問わず飲まれるようになった。
そのため、長く不安が語られたという。
館は、そこまで書いている。
画面の大きさも、主張のためだろう。
1メートル近い幅がある。
近づかなければ、細部は見えない。
近づけば、無数の場面に気づく。
見る時間が、そのまま説得の時間になる。
数えてみると
九点を並べ直す。
飲む場面が描かれるのは、五点である。
宴、狩りの休息、豪傑、兵士、そして無数の人の版画である。
このうち、器が口に触れているのは二点だけである。
豪傑の大杯と、兵士の水筒である。
器を持っているだけの人は、多い。
瓶を傾ける人、器を受ける人、掲げる人である。
飲む道具そのものが、三点ある。
杯が二点、台が一点である。
飲んでいるかどうか分からないのが、一点ある。
水辺の三人である。
もう一つ数える。
飲まれているものでも分かれる。
酒が五点、水が二点である。
残る二点では、中身が分からない。
器の形でも分かれる。
平たい大杯が一点、水筒が一点である。
瓶と椀が三点、把手つきの杯が一点である。
小さな盃が一点、台が一点である。
器が一つも見えないのは、一点だけである。
水辺の場面である。
技法でも数える。
油彩が二点、紙の絵が三点である。
陶が一点、磁器が一点、銀が一点、版画が一点である。
年でも並べる。
紀元前が一点、十六世紀が一点である。
十八世紀が二点、十九世紀が四点、二十世紀が一点である。
二千四百年の幅がある。
それでも、器の位置はほとんど変わらない。
いつも、手と口のあいだにある。
さらに数える。
九点のうち、人が三十人を超えるのは二点である。
一人だけの絵は、一点もない。
飲むことは、たいてい複数で行われている。
卓と食事については、卓と食事で扱った。
言えることと、言えないこと
言えるのは、飲む絵が飲む手前を描くということである。
九点のうち、口に器が触れていたのは二点だけだった。
多くは、注いでいるか、受け取っているか、掲げている。
飲み込む瞬間は、描かれない。
顔が隠れてしまうからだろう。
器を持つ手なら、はっきり見える。
飲むことは、手の動きとして描かれている。
言えないのは、飲む絵が楽しさの絵だという話である。
九点のうち一点は、節酒を勧める版画だった。
台の下には、失った人たちが描かれる。
一点では、負傷した兵士が水を飲む。
一点では、器が飲む場所を守る道具でしかない。
飲むことは、祝いにも、戦いにも、警告にも使われる。
酒については、葡萄酒と酒で扱った。
最後に、はじめの一枚へ戻る。
天幕の下で、瓶が傾けられていた。
受ける器は、まだ空である。
飲む前の一瞬が、そこに描かれている。
九点を数え終えて残るのは、その一瞬である。
飲む絵は、注がれるところで止まっている。
止まった先は、器の中にある。
中身は、たいてい描かれない。
銀の浮彫でも、器は空だった。
磁器の盃も、空のまま残る。
飲むという行いは、器の形からしか読めない。
九点は、そのことを揃って示していた。
器は、飲むための道具であり、飲む姿の記号でもある。
記号としてなら、空でも通じる。
通じるからこそ、中身が省かれる。
描かれた酒より、掲げられた器のほうが多かった。
九点のうち、中身が見える器は一つもない。
酒も水も、器の外には出てこない。
出てこないものを、題と記録が名指している。
画面に見えるのは、傾いた瓶と、開いた口だけである。
その二つで、飲むことは足りている。
九点は、その最小の形を並べていた。
最小の形は、どの時代でも同じだった。
前五世紀の杯にも、把手と広い口がある。
持ち上げる手が、そこに要る。
手が要る道具だから、姿勢が絵になる。









