作品を知る

跪くには、相手が要る——サセッタ・エル・グレコ・ギュンターほか九点

うずくまる女
ウジェーヌ・ドラクロワ《うずくまる女》1827年。館の記録では、褐色の網目紙に黒と赤のチョーク、パステル、白チョーク、下にウォッシュ。24.6×31.4センチ。番号は1990.226。シカゴ美術館蔵。ウジェーヌ・ドラクロワ《うずくまる女》シカゴ美術館蔵

横長の紙である。

人物が、体を丸めている。

こちらへ背を向ける。

背中の線が、大きな弧を描く。

頭は下がり、赤茶色の髪が垂れる。

腕は前へ折れ、顔の近くにある。

腰から下は、白い布に覆われる。

その布が、床へ広がる。

背景は塗られていない。

紙の褐色が、そのまま残る。

これは跪きではない。

うずくまる姿である。

膝を折り、上半身も折る。

体を小さくまとめる姿勢である。

跪きと違い、相手が要らない。

自分の内側へ閉じる形である。

館の記録は、題を「うずくまる女」とだけ書く。

場面も、物語も、書かれていない。

習作として描かれたものと考えられる。

うずくまる女に扮する三代目瀬川菊之丞
勝川春章《うずくまる女に扮する三代目瀬川菊之丞》1778年。館の記録では、三枚続の版画のうち一枚。木版多色摺。紙に墨と色。31.9×14.9センチ。番号はJP359。メトロポリタン美術館蔵。勝川春章《うずくまる女に扮する三代目瀬川菊之丞》メトロポリタン美術館蔵

縦長の版画である。

上のほうは、黒く塗られている。

夜であることを示す。

その下に、橋の欄干のような形が斜めに走る。

そのさらに下、画面の中ほどに、人物がうずくまる。

長い黒髪が、背中から地面へ流れる。

衣は淡い黄と白で、大きく広がる。

膝をつき、上半身を前に倒す。

顔は横を向き、口元が見える。

左に、小さな文字と印がある。

館の記録によれば、これは三枚続きの一枚である。

つまり、この一枚だけでは場面が完結しない。

残る二枚に、何が描かれているかは分からない。

相手が、隣の紙にいる可能性もある。

第十七回で、続きものから離れた一枚を扱った。

一枚だけを見て姿勢を読むと、意味を取り違えることがある。

館の記録の札には、刀の語が入っている。

画像では、刀は確認しにくい。

片膝か、両膝か

跪き方には、二つある。

両膝をつくか、片膝だけをつくか。

九点を数えた。

両膝をつくものが三点。

二人の聖人と、托鉢僧である。

片膝をつくものが四点。

彫刻の三点と、素描の一点。

うずくまる二点は、膝の形が読めない。

この違いには、意味がある。

両膝をつくと、体は安定する。

そして、動かない。

祈る姿勢は、たいてい両膝である。

片膝は、立ち上がる途中の形でもある。

膝をついたまま、いつでも立てる。

だから、動きが残る。

彫刻の三点が片膝なのは、置き場所の都合もある。

両膝をつくと、体の下が広くなる。

片膝なら、後ろの脚を折りたたんで幅を抑えられる。

そして、体をねじる余地も生まれる。

木彫の天使は、まさにそうなっている。

腰から上が大きく回る。

両膝をついていては、この形は作れない。

姿勢の選択が、彫刻の形を決めている。

頭の高さを比べる

跪くと、頭の位置が下がる。

どれくらい下がるかを、九点で見た。

立ったときの高さを一とすると、跪いた高さはおよそ三分の二になる。

両膝なら、それより低い。

上半身を倒せば、さらに低くなる。

托鉢僧の一点は、いちばん低い。

頭が、腰より下にある。

そして、その前に立つ人物は、まっすぐ立っている。

二人の頭の高さの差が、そのまま関係を示す。

高さの差は、絵の中で意味を持つ。

第十九回で、高さを上下に積んで示す話を書いた。

高さの話では、縦長の画面が問題だった。

ここでは、二人の頭の位置が問題になる。

同じ床に立つ二人でも、片方が跪けば差ができる。

そして、その差は誰の目にも分かる。

言葉を使わずに、関係を示せる。

跪くという姿勢が長く使われてきたのは、そのためだろう。

九点のうち、相手が描かれた四点は、いずれも相手のほうが高い位置にいる。

例外は一つもなかった。

九点を並べて、数えられたこと

跪いている、あるいはかがんでいるのは九点すべてである。

外れは出なかった。

相手を数えた。

人がいるのが二点。

物が置かれているのが一点。

十字架の上の人がいるのが一点。

器があるのが一点。

相手が描かれていないのが四点である。

つまり、半分近くは相手が画面にいない。

彫刻の三点は、置かれる場所が相手だったと考えられる。

箱、祭壇、机の上。

そのどこかに置かれ、そこにあるものへ向かって跪く。

素描と版画の二点は、相手が省かれている。

材料も数えた。

木が一点、金属が二点、板が一点、布が一点、紙が四点。

大きさは、13.8センチから112.4センチまで。

衣が、姿勢を隠す

もう一つ、九点に共通することがある。

跪いた人の脚は、たいてい見えない。

衣が覆ってしまうからである。

九点のうち、膝から下が見えるのは三点だけだった。

ブロンズのサテュロスと、素描の一点、そして金属の預言者である。

残る六点では、長い衣が床まで広がる。

その下がどうなっているかは、見えない。

つまり、跪いていることは、衣の形から読むことになる。

床に接する部分が広がり、そこから上へ体が立ち上がる。

その輪郭が、跪きの印である。

第十九回で、布は動きを描く道具だと書いた。

布の話で扱ったのは、動く布だった。

ここでの布は、動かない。

床に広がって、体の下半分を隠す。

隠しながら、姿勢を伝える。

うずくまる二点でも、同じことが起きている。

白い布と、淡い色の衣が、大きく床へ広がる。

その広がりが、体の低さを示している。

記録に書かれていないこと

館の記録は、姿勢を題に書く。

九点のうち八点で、題に跪くかかがむの語が入る。

これは、前の回よりも高い割合である。

姿勢そのものが、その作品を指す名前になっている。

だが、なぜ跪いているかは書かれない。

祈りなのか、頼みなのか、服従なのか。

物語のある四点では、記録が場面を説明する。

残る五点では、説明がない。

そして、跪いた人がどれくらいそうしていたかも書かれない。

彫刻の三点は、六百年、二百年と跪き続けている。

素描の一点は、数十分だっただろう。

第十一回でも、同じことを書いた。

立つ話で触れたとおり、姿勢の続いた時間は記録に残らない。

次の回は、横たわる姿勢を見る。

眠ることと、身を横たえることの違いを数えたい。

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