上から見下ろした画面は、一点だけ——ブレス・ラッド・ディーン・ダヤールほか九点
鳥瞰や全景という語は、視点の高さを意味しない。九点で数えると、実際に見下ろしているのは一点だけだった。残る八点は水平に近い位置から広い範囲を写す。三メートルの水彩と、二枚組の写真が並ぶ。高さを得るには、塔か山か気球が要る。

高い場所から、世界の全部が見える
一枚の板絵に、途方もなく広い眺めがある。
額なしで30.5×42.3センチ。
横長だが、大きくはない。
画面の下の左寄りに、人の群れがある。
十数人が、斜面に集まっている。
衣は赤、青、白、金で、装飾が多い。
その中央に、指を上げた人物が立つ。
館の記録の題によれば、洗礼者の場面である。
人々の向こうは、急に開ける。
低い岸が伸び、湾が広がる。
湾には、大きな帆船が数艘いる。
その先に、崖の連なる岬がある。
崖は青灰色で、上へ細く尖る。
さらに奥には、町がある。
塔と屋根が、細かく描き込まれている。
いちばん奥は、白い霞である。
山の輪郭が、そこへ溶けていく。
つまり、手前の数メートルから、地平線までが一枚に入っている。
館の記述によれば、この形式は世界風景と呼ばれる。
手前に物語の場面を置き、その後ろに広大な眺めを描く。
十六世紀を通じて流行した形式だという。
館はさらに、港町の眺めが純粋に想像であるとも書く。
そして、奥を霞ませて距離を作る方法にも触れている。
館の記録によれば、署名は絵のなかにある。
右下の岩の上に、梟が座っている。
その梟が、画家の署名である。

高い場所から見下ろすと、広い範囲が一度に見える。
だが、細部は小さくなる。
その二つは、いつも引き換えである。
九点を並べて、その引き換えを数えたい。
一望の絵は、横に長い
集めかたは、館の記録の題によっている。
鳥瞰、俯瞰、一望、全図にあたる語が入るものを拾った。
英語の題では、鳥の目の眺めや、全景を意味する語である。
九点のうち、広い範囲を一度に見せる画面は八点だった。
まず、判型を数えたい。
横長が七点。
縦長が一点。
そして、極端に横長なものが三点ある。
いちばん極端なのは、二枚組の水彩である。
全体で45.7×300.7センチ。
幅が高さの六.六倍ある。
三メートルの紙に、港の全景が描かれている。
画面には、水面が左から右へ続く。
その向こうに、町並みが低く伸びる。
建物は小さく、輪郭だけである。
水面には、帆船と汽船が点々と浮かぶ。
数えると、二十隻以上ある。
空は淡い青で、雲が薄い。
つまり、この画面には奥行きがほとんどない。
あるのは、左右の広がりだけである。

一望は、二枚に分けて作る
横に長い画面を作る方法は、二つある。
一枚の長い紙に描くか、複数枚をつなぐかである。
九点のうち、複数枚のものが三点あった。
一点は、いま見た二枚組の水彩である。
もう一点は、写真である。
台紙まで含めて19×50.5センチ。
二枚の印画を、並べて貼ってある。
画面の中央に、川が横たわる。
水は明るく、静かである。
左には、岩の岸と、建物が密集する。
右にも、低い岸と塔がある。
奥は霞んでいる。
館の記述によれば、左の島には寺院がある。
そして右の岸にも、別の祠があるという。
つまり、二枚に分けたのは両岸を入れるためである。
一枚では、川の幅が収まらない。
館の記録によれば、左の印画の縁に数字が書かれている。
陰画の番号だろう。

三点目は、日本の版画である。
紙は26.1×37.8センチ。
画面の手前に、女性が三人と子どもが一人いる。
いずれも大きな模様の衣を着る。
その背後に、緑の木立と岩がある。
上のほうには、滝と、仏像らしい形が見える。
館の記述によれば、これは三枚続きの右の一枚である。
そして、全体では八人の女性と子どもが橋を渡る場面だという。
その背後に、聖地の全景が広がっていた。
つまり、いま見えているのは全景の三分の一である。
残る二枚は、館にない。
前にも、組物が欠けている例を何度か見た。

素描帖の、横に長い一葉
素描帖の三点を見たい。
いずれも、横長の紙に細い線で描かれている。
一点目は、13.3×21センチ。
画面には、枠が引かれている。
その内側に、丘の稜線が数本走る。
稜線は重なり、奥へ続く。
左下に、小さな建物の集まりがある。
四角い形が、いくつか並ぶ。
線は細く、薄い。
右下に、書き込みがある。
館の記録の題によれば、ある土地の一望である。
この画家の素描は、回廊を扱った回でも取り上げた。
同じ帖の別の葉である。

二点目は、18.4×22.9センチ。
画面の左に、木の塊がある。
葉は丸い線の連なりで示される。
右のほうに、家並みが薄く描かれる。
屋根と壁の輪郭だけである。
その奥に、丘の稜線が走る。
線の数は、全部で数十本しかない。
紙の下のほうは、白いままである。
館の記録によれば、制作年は1834年と1838年である。
二つの年が並んでいる。
同じ帖を、四年空けて使ったのだろう。
そして、この一葉は裏面である。