モネはなぜ、同じ麦の山を二十五回描いたのか——連作という発明
大聖堂という難物
麦の山とロンドンのあいだに、もう一つ重い連作がある。ルーアンの大聖堂である。
1892年から翌年にかけて、モネはルーアンに滞在し、大聖堂の正面を繰り返し描いた。数え方によるが、三十点前後になる。
畑と違って、大聖堂は動かないどころか巨大である。しかも彫刻で埋め尽くされ、細部が無数にある。
彼は向かいの建物の二階に部屋を借り、窓から描いた。同じ位置から、朝、昼、夕、曇り、晴れ。
このときの手紙には、疲弊した調子のものが残っている。石の表情が刻々と変わり、追いつけないという訴えである。
考えてみれば無理もない。麦の山なら形は単純だが、大聖堂は形そのものが複雑で、光が当たる面が数え切れないほどある。
それでも彼は、細部を描き分ける方向へは進まなかった。むしろ石の彫りを絵具の凹凸に置き換え、光の層として塗り重ねている。
対象が複雑になるほど、彼の絵は対象から離れていく。この時期を境に、画面はいっそう「表面そのもの」に近づいていく。
連作は、商売としても新しかった
連作を美意識の話だけで説明すると、半分を見落とすことになる。これは売り方の発明でもあった。
一枚の傑作を売るのと、同じ主題の二十点を売るのとでは、市場での働きが違う。
まず、まとめて展示できる。会場が一つの主題で統一され、展覧会そのものが作品として成立する。
次に、比較が購買の動機になる。二十点を見た客は、そのうちの一枚を選びたくなる。どれが自分の好みかを考えはじめる。
そして値段が保たれる。同じ画家の似た絵が市場に散らばるより、まとまった評価を受けたほうが単価は上がる。
実際、麦の山の展覧会は成功し、以後のモネは経済的にかなり安定した。ジヴェルニーの土地を買い、庭を造り、水を引く工事まで行っている。
その庭が、次の主題になった。睡蓮の池である。
主題が消えていく

晩年の睡蓮では、対象がさらに単純になる。麦の山にはまだ「もの」としての塊があったが、ここにあるのは水面である。
しかも視点が下を向いているため、地平線が画面から消えている。上下の方向を示すものが、ほとんど残っていない。
映り込みは、水の上の出来事なのか、空の出来事なのか。見ている側は判断できない。
この絵の大きさは縦130センチ、横202センチ。壁のように大きい。近づけば筆の跡だけになり、離れれば水面に戻る。
彼が自分の庭を造ったのは、この主題を手元に置くためだった。動かない対象を、いつでも、どんな光でも描けるようにする。
麦の山では、農家の都合で山がなくなってしまう。大聖堂では、宿を借りて通うしかない。自分の池なら、その制約がない。
連作という方法を突き詰めた結果、彼は主題そのものを自分で作ることになった。ここまで来ると、実験室に近い。
連作が変えた、絵の見方
この方法は、モネ個人の癖では終わらなかった。あとの美術に、いくつかの前提を残している。
第一に、一枚では完結しない作品という考え方である。作品の単位が、絵から群へ移った。
第二に、差分そのものを見せるという構えである。同じ形を並べ、違いを読ませる。
第三に、主題の軽視である。何を描くかより、どう変わるかが問題になる。抽象への道は、ここから遠くない。
同じ頃、写真の側でも似たことが起きている。同じ被写体を連続して撮り、動きを分解して並べる試みである。
やがてそれは映画になる。一秒間に何十枚も並べて、差を動きとして見せる技術である。
モネの連作は、その途中に置かれた仕事とも読める。差を時間として見せる、という点では同じ発想だからだ。
もちろん彼が映画を意識していたわけではない。ただ、同じ時代の空気の中で、同じ問題が別の分野からも解かれていた。
「繰り返し」との違い
同じ主題を何度も描いた画家として、ゴッホの例を別のコラムで扱った。彼は《寝室》を三度描いている。
だが二人のやっていることは、まるで違う。
ゴッホの繰り返しは、同じ絵をもう一枚作ることだった。傷んだ一枚目を写し、家族に贈るためにもう一枚を作る。目的は複製に近い。
モネの連作は、違いを作ることが目的である。同じであってはいけない。差が見えなければ、描く意味がない。
言い換えれば、ゴッホは作品を複数の場所へ届けるために繰り返し、モネは条件を比較するために繰り返した。
そしてもうひとつ。ゴッホの三枚は、いま三つの都市に分かれている。モネの連作も、二十五点が世界中に散っている。
どちらも、作者が想定した見え方は失われている。ゴッホは並べることを想定していなかったが、モネは並べることを前提にしていた。
つまりモネの連作は、いま本来の形では見られない。展覧会で一時的に集められるときだけ、当初の姿に戻る。
池のほとりの日本
睡蓮の池について、ひとつ付け加えておきたい。あの庭には、日本の要素が入っている。
モネは日本の版画を熱心に集めた画家のひとりだった。ジヴェルニーの家の壁は、いまも版画で埋まっている。
池には太鼓橋を架けた。緑に塗られた反りのある橋で、日本の庭を意識したものとされる。
浮世絵が西洋の画家に何を渡したのかは別のコラムで書いた。構図の切り方、影の省略、高い視点。
睡蓮の画面を思い出すと、そのすべてが働いている。岸を切り落とし、影を持たない水面を、上から見下ろす。
もっとも、彼が日本の庭を正確に再現したわけではない。植えたのは睡蓮であり、これは日本の伝統的な池の主役ではない。
版画から組み立てた「日本」を、自分の敷地に作った。ゴッホがアルルを日本になぞらえたのと、構造はよく似ている。
そしてその庭を、彼は三十年近く描き続けた。輸入された様式が、最終的に主題そのものになった例である。
二枚あれば、連作は始まる
とはいえ、悲観する必要もない。二枚あれば、比較は成立する。
当サイトには、シカゴ美術館から来た麦の山が二点、ウォータールー橋が二点ある。それぞれ並べて見ることができる。
同じ縮尺で、同じ画面に、続けて表示できる。展示室では難しいことが、こちらでは簡単にできてしまう。
試しに、麦の山の二枚を交互に見てほしい。曇りと日没。灰色と橙。同じ形が、まったく違う温度で立っている。
そのうえで、それぞれを単独で眺めてみる。比較を外すと、今度は一枚の絵としての具合が見えてくる。
連作は、その両方の見方に耐えるように作られている。並べれば実験の記録になり、離せば一枚の風景画になる。

最後に、時刻の話に戻りたい。ロランは絵に《日の出》と名づけ、時刻を主題にした画家だった。
モネはそこから二百五十年後に、時刻を分割し、番号を振って並べたことになる。同じ道の、ずいぶん先の地点である。
そして私たちがいま、画面の上で二枚を行き来しながら差を探しているのも、その道の続きなのだと思う。








