三枚続の、左の一枚——写楽、歌麿、清長ほか九点
大判の一枚は、切れて見える
歌麿の《宴に寛ぐ絵師北尾政演》を、もう一度見たい。
右端に、身を乗り出した人物が半分だけ写っている。
顔の半分、腕の一部。
そこで紙が終わっている。
こういう切れ方は、一枚の版画としては不自然である。
版画は、紙のなかで構図を閉じるのが普通だからである。
端に人物を置くとしても、全身を入れるか、輪郭だけを残す。
顔を縦に割ることはしない。
だから、右にもう一枚あったと分かる。
同じことが、清長の一枚にも、勝川春潮の一枚にも言える。
桜の枝が両端で切れている。
建物の柱が、端で断たれている。
一枚の紙のなかで完結していない。
この「切れている」という状態は、目で確かめられる。
技法の欄を読まなくても、絵を見れば分かる。
そして、欄を読めば裏づけが取れる。
見ることと読むことが、ここで一致する。
そろえ直すことは、できるか
離れた三枚を、記録の上でつなぐことはできる。
同じ興行、同じ画家、同じ判型、同じ地色。
これらを手がかりに、別の館の所蔵品と照合する。
実際、そうした照合は進められている。
館の記録が細かいのは、その照合を可能にするためでもある。
ただし、物として一つに戻すことはできない。
三枚は、三か所にある。
戻すには、二枚を動かさなければならない。
記録の上でだけ、三枚は再びそろう。
これは、ここまで何度も出てきた形である。
散逸した写本の一葉。周亮工のための画帖の一葉。十王図の五幅。
いずれも、記録の上でしか組に戻らない。
そして、記録の上で戻るためには、名前と欄が要る。
「三枚続の左の一枚」という一行は、そのための糸である。
一枚だけを額に入れる
十九世紀の終わりから、日本の版画は海外で集められるようになった。
そのとき、多くが一枚ずつ額に入れられた。
壁に掛けるためである。
三枚続は、三枚ぶんの壁が要る。
一枚なら、狭い場所にも掛けられる。
だから、三枚をばらして一枚ずつ売る、ということが起きた。
九点のうち何点がそうかは、記録からは分からない。
出所の行にも、そこまでは書かれていない。
分かるのは、いま一枚ずつになっているという結果だけである。
そして、館はその結果に対して、もとの形を書き添えた。
「三枚続の左の一枚」。
いま額に入っている一枚が、もとは三枚のうちの一枚だったこと。
その一行があるだけで、見え方は変わる。
一枚が、一件になる
数え方の話をしておきたい。
三枚そろっていれば、一件である。
一枚しかなければ、その一枚が一件になる。
つまり、同じ形式でも、残り方によって単位が変わる。
九点は、いずれも一枚か二枚で一件である。
三枚そろっていたら、一件のなかに三枚が入っていた。
欠けたことで、単位が小さくなっている。
これは、逆から見ると妙なことである。
失われたぶんだけ、件数が増える可能性がある。
三枚続がばらけて三か所に散れば、三件になる。
そろっていれば、一件である。
同じものが、散らばると数が増える。
目録の件数は、作品の数ではない。
いま手元にある物の数である。
二枚残るということ
鳥文斎栄之の一件は、二枚が残っている。
九点のなかで、これだけが二枚である。
そして、この二枚には継ぎ目が一本ある。
三枚続なら、継ぎ目は二本のはずである。
一本しかないということは、二枚だということである。
画像を見れば、それが分かる。
数えるべきものは、継ぎ目の本数である。
三枚なら二本、二枚なら一本、一枚なら零本。
この単純な関係が、写真から組の残り具合を教えてくれる。
前の回に見た三枚続の九点では、いずれも継ぎ目が二本あった。
今回の九点では、一本が一点、あとはすべて零本である。
継ぎ目の本数を数えるだけで、そろっているかどうかが分かる。
もっとも、写真の写り方によっては見えにくいこともある。
背景が暗い絵では、継ぎ目が沈む。
そのときは、技法の欄を読むしかない。
背景の色が、組を示すことがある
細判の役者絵には、地色を一色で塗ったものが多い。
九点のうち、二点が黄色い地である。
写楽の《二代目中山富三郎》と、勝川春章の《初代中村富十郎の無頼漢》。
黄色い地は、当時よく使われた。
三枚続なら、三枚とも同じ地色にする。
並べたとき、地が一続きに見えるからである。
だから、地色は組を見分ける手がかりになる。
同じ興行の、同じ地色の細判が三枚見つかれば、組の可能性が高い。
もっとも、同じ地色の版画は他にもたくさんある。
地色だけでは決められない。
役者の名、役の名、年、判型、そして地色。
複数の条件が重なって、はじめて組だと言える。
館の記録は、その判断の結果を一行で書いている。
判断の過程は書かれていない。
書かれていないぶん、読む側は結果を受け取るだけになる。
それでも、絵を見て切れ目を確かめることはできる。
記録と絵を突き合わせる作業は、こちらの手元でもできる。
役者の名が、題になっている
九点のうち六点の題に、役者の名が入っている。
二代目中山富三郎。二代目瀬川富三郎。二代目山下金作。
初代中村富十郎。
そして、役の名も添えられている。
大伴家の侍女若草、実は惟仁親王。
貞任の妻岩手。
役者絵の題は、こういう形になる。
誰が、何の役を演じたか。
これは、その版画が特定の興行に結びついていることを示している。
いつの、どの芝居か。
だから、同じ興行を描いた他の版画と組み合わせられる。
三枚続の一枚だと分かるのも、そういう照合の結果だろう。
残り二枚がどこかにあれば、いつか結び付けられる。
館の記録は、その手がかりを保存している。
役者の名。役の名。年。判型。
これらがそろっていれば、離れた紙どうしが出会える。
隣を、想像する
最後に、見え方の話をしたい。
一枚だけの三枚続を見るとき、目は自然に隣を探す。
画面の端で切れた衣の続きを、探してしまう。
見えないものを、目が補おうとする。
その動きが、この形式の見え方を作っている。
完結した一枚の絵とは、見え方が違う。
そして、その違いを教えてくれるのは技法の欄である。
「三枚続の左の一枚」。
この一行を読んでから絵を見ると、右の余白が違って見える。
そこに、無いものがある。
記録の一行が、見え方を変える。
作品の記録を読むというのは、そういうことでもある。










