美術史・技法

手のひらに、顔を持ち歩く——アメリカの肖像細密画

画家を描いた画家

七点目は、少し性格が違う。

ギルバート・スチュアート
サラ・グッドリッジ《ギルバート・スチュアート》1825年ごろ。象牙に水彩。縦9.3センチ、横7センチ。メトロポリタン美術館蔵。サラ・グッドリッジ《ギルバート・スチュアート》メトロポリタン美術館蔵

九点の中では大きいほうである。縦9.3センチ。

年配の男性が、こちらを向いて座っている。

白髪が耳の上で膨らみ、額が広い。

黒い上着を着て、白い襟が見える。

顔には皺が刻まれ、目が落ち窪んでいる。

背景は暗い緑がかった色である。

そして、金色の額に収められている。

題にある人物は、当時のアメリカを代表する肖像画家である。

当サイトでも
写された顔で扱った。

女性の細密画家

作者について書いておきたい。

サラ・グッドリッジは、1788年に生まれ、1853年に没した。

細密画を専門とし、多数の注文を受けたと伝えられる。

当時、女性が職業として絵を描くのは難しかった。

大きな油彩の分野では、なおさらである。

一方、細密画は自宅でも制作でき、参入の余地があった。

そうした事情もあり、この分野には女性の作者が複数いる。

当サイトでも
絵を描いた女性たちで、
同じ時期の状況に触れている。

記録された一点

八点目については、事実だけを書く。

明かされた美
サラ・グッドリッジ《明かされた美》1828年。象牙に水彩。縦6.7センチ、横8センチ。メトロポリタン美術館蔵。サラ・グッドリッジ《明かされた美》メトロポリタン美術館蔵

横長の画面である。縦6.7センチ、横8センチ。

白い布に囲まれた中央に、女性の胸部が描かれている。

顔も、腕も、他の部分も描かれていない。

胸から上下は、白い布で覆われている。

赤い革の枠に収められている。

所蔵館の記録によれば、作者自身を描いたものとされる。

そして、ある政治家に贈られたと記録されている。

何を、どう書くか

この一点について、当方の立場を書いておきたい。

この品は、所蔵館が正規に収蔵し、記録を公開している作品である。

制作の事情も、贈られた相手も、記録に残されている。

したがって、隠したり、避けたりする理由はない。

一方、扇情的に扱うつもりもない。

書けるのは、記録にあることと、画面に見えることだけである。

技術的に言えば、肌の描写はきわめて丁寧である。

象牙の透明感を生かし、細い筆跡を重ねている。

他の八点と、技法はまったく同じである。

私的な品として

もう一つ、この分野の性格を確認しておきたい。

細密画は、公開を前提としない。

首から下げ、懐に入れ、二人のあいだで見る。

つまり、きわめて私的な品である。

その私的な性格が、極端に表れた一例が、この作だろう。

顔ではなく、別の部分を描く。

目だけを描いた五点目とも、発想は通じている。

顔全体でなくても、その人を示すことはできる。

そして、示す相手は限られている。

最後の二点

九点目と十点目を見る。

ハンフリー・ハウランド
ナサニエル・ロジャース《ハンフリー・ハウランド》1822年ごろ。象牙に水彩。縦7.3センチ、横5.7センチ。メトロポリタン美術館蔵。ハンフリー・ハウランド》メトロポリタン美術館蔵

男性の胸像である。

黒い上着に、白い襟巻き。

髪は黒く、額の上で分けられている。

顔は正面をやや外れ、目はこちらを見ている。

背景は暗く、右上がわずかに明るい。

これまでの作と、形式はほぼ同じである。

つまり、この時期には型が確立していた。

ジョン・ヘンリー・アダム
アンソン・ディキンソン《ジョン・ヘンリー・アダム》1835年。象牙に水彩。縦7.3センチ、横5.9センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョン・ヘンリー・アダム》メトロポリタン美術館蔵

若い男性の胸像である。

黒い上着に、白い襟、黒いリボンを結んでいる。

髪は黒く、短く整えられている。

そして、この一点は開いた箱に収められている。

蓋の内側に、手書きの文字が見える。

名前と、年と、亡くなった日付らしきものが読める。

記録が、付いてくる

この最後の一点が示すことは重要である。

絵だけでなく、書き込みも一緒に残っている。

誰を描いたか、いつのものか、その人がいつ亡くなったか。

その情報が、箱の中に納められている。

つまり、この品は絵であり、記録でもある。

家族の記憶を保存する装置として作られている。

美術館の記録にも、この書き込みが反映されている。

物と、それに付随する紙が、一緒に伝わった例である。

十点を通して

十点を年代順に並べる。

1789年ごろ、1794年、1795年ごろ、1801年、1802年ごろ。

そして1804年ごろ、1822年ごろ、1825年ごろ、1828年、1835年。

半世紀ほどの幅がある。

寸法は、直径1センチから縦9.3センチまで。

すべて象牙に水彩で描かれている。

主題は、肖像が八点、追悼が一点、目が一点。

写真が来て、終わる

最後に、この分野の終わりについて書きたい。

写真の技術が公表されるのは1839年である。

十点のうち最も新しいものが1835年。

つまり、この十点は、細密画の最後の時期にあたる。

その後、細密画の需要は急速に減っていく。

顔を持ち歩くことが、はるかに安く、簡単になったからである。

とはいえ、需要そのものが消えたわけではない。

離れた人の顔を手元に持ちたい。

その願いは、写真に引き継がれた。

そして、いまは携帯端末の中にある。

手のひらの中の顔

いま私たちは、何百枚もの顔を持ち歩いている。

指を動かすだけで、いつでも見られる。

二百年前の人は、たった一つの顔を、金の枠に入れて下げていた。

その一つを作るのに、数週間から数か月かかった。

象牙を削り、細い筆で点を重ね、枠を仕立てる。

数の差は、途方もない。

しかし、やっていることは同じである。

手のひらに、顔を持つ。

その願いだけは、二百年変わっていない。

数が減ると、重くなる

最後に、一つ考えたことを書いておきたい。

顔の画像が一つしかない時代と、無数にある時代。

同じ「顔を持ち歩く」でも、意味はまったく違う。

一つしかなければ、その一つが絶対になる。

失えば、顔の記憶は薄れていく。

だから枠に入れ、ガラスで覆い、大切に扱う。

いま私たちの端末には、何千枚もの顔がある。

一枚を失っても、痛手はない。

そのぶん、一枚ずつは軽くなっている。

十点の細密画が持っている重さは、
数の少なさから来ているところが大きい。

小さいものを、近くで見る

美術館では、細密画はガラスの中に並ぶ。

小さいので、身を屈めて覗き込むことになる。

その姿勢は、本来の見られ方に近い。

手に持ち、目を近づけて見る品だからである。

大きな絵は、離れて見る。

小さな品は、近づいて見る。

その差が、絵と見る人の関係を変える。

離れて見る絵は、公のものになる。

近づいて見る品は、私のものになる。

十点はすべて、後者である。

そう思って見ると、一つずつの表情が違って見えてくる。

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