美術史・技法

手のひらに、顔を持ち歩く——アメリカの肖像細密画

縦5.2センチの象牙に、顔が一つ。金の枠に輪が付いているのは、首から下げるためである。写真が来る直前まで、離れた人の顔を持ち歩く手立てはこれしかなかった。十点の細密画を見る。数が少ないほど、一つの顔は重くなる。

ジョージ・ワシントン
ジョン・レイミッジ《ジョージ・ワシントン》メトロポリタン美術館蔵

手のひらに、顔を持つ

一つの品から始めたい。

ジョージ・ワシントン
ジョン・ラメージ《ジョージ・ワシントン》1789年ごろ。象牙に水彩。縦5.2センチ、横3.5センチ。メトロポリタン美術館蔵。ジョン・レイミッジ《ジョージ・ワシントン》メトロポリタン美術館蔵

まず、寸法を確かめてほしい。

縦5.2センチ、横3.5センチ。

親指の先から第二関節までを、少し超える程度である。

その中に、一人の男性の胸像が描かれている。

白髪を後ろで束ね、正面をやや外れて座る。

濃い青の上着に、黄土色の折り返しが見える。

胸元には白い襟が幾重にも重なる。

背景は淡い青灰色で、上が明るい。

そして、この絵は金の枠に収められている。

上部に、吊るすための輪が付いている。

首から下げるための絵

輪が付いているということは、下げて使うということである。

鎖を通し、首から掛ける。あるいは懐に入れる。

つまりこれは、絵であると同時に装身具である。

置いて眺めるものではなく、身に着けるものだ。

そう考えると、寸法の理由も分かる。

大きければ、重くて下げられない。

顔が判別できる最小限まで、小さくしてある。

細密画という分野

こうした小さな肖像を、細密画と呼ぶ。

象牙の薄板に、水彩で描くのが標準的な方法である。

十六世紀のヨーロッパで始まり、各地に広まった。

十八世紀から十九世紀の前半に、最も盛んになった。

そして、写真の普及とともに衰えていく。

つまり、およそ三百年続いた分野である。

今回は、アメリカで制作された九点を見ていく。

作者は、五人か六人にわたる。

いずれも、この分野を専門とした人々である。

大きな油彩の肖像も手がけた画家がいる一方、
細密画だけで生計を立てた人もいた。

分野として独立していた、ということである。

必要な道具も、技術も、油彩とはかなり違う。

誰が注文したのか

買い手についても考えておきたい。

細密画は、油彩の肖像より安かったとされる。

とはいえ、誰にでも買えるものではない。

象牙も、金の枠も、材料費がかかる。

そのうえ、制作に手間がかかる。

つまり、ある程度の余裕のある層が買い手だった。

商人、専門職、地主。

その層が、旅立ちや結婚や死に際して注文する。

節目のたびに、一つずつ作られていく。

九点の主題が、肖像と追悼に集中しているのは、そのためである。

持ち歩かれた痕跡

物としての細密画には、使用の跡が残ることがある。

枠の摩耗、ガラスの傷、留め具の緩み。

長く身に着けられれば、必ず傷む。

いま美術館にあるものは、比較的状態のよいものが多い。

傷みが激しいものは、修理されるか、捨てられる。

つまり、残っているのは選ばれたものである。

日常的に使われた品ほど、残りにくい。

その偏りも、頭に入れておきたい。

なぜ、これが必要だったか

理由は単純である。

離れた人の顔を、手元に持つ手立てが他になかった。

親が子を思う。恋人が相手を思う。

遺族が故人を思う。

そのとき、顔の記憶は年々薄れていく。

写真がない時代、それを補えるのは絵だけだった。

しかも、持ち歩けるものでなければ意味がない。

だから、小さく、丈夫に、枠に収めて作られた。

旅立ちの前に

具体的な場面を想像してみたい。

十八世紀の終わり、若い男性が遠方へ発つとする。

海を渡る商用かもしれない。軍務かもしれない。

戻れるかどうかは、分からない。

その前に、家族が細密画を注文する。

数週間かけて仕上がり、枠に収められる。

一つは本人が持ち、一つは家に残る。

対で作られる例が知られているのも、そのためだろう。

離れる二人が、互いの顔を持ち合う。

これが、この分野のいちばん基本的な使い方である。

象牙という支持体

材料についても書いておきたい。

象牙は、薄く削ぐと半透明になる。

白く、なめらかで、わずかに光を通す。

その性質が、肌の描写に向いている。

下から光が透けることで、肌が生きて見える。

一方、絵具は乗りにくい。

表面が滑らかなので、水彩が弾かれる。

そのため、細い筆で点や線を置いていく。

面を塗るのではなく、点を集めて面にする。

拡大すると、無数の細かい筆跡が見えるはずである。

枠と、ガラス

枠についても書いておきたい。

細密画は、たいてい金属の枠に収められる。

金、金めっきの銅、銀。素材はさまざまである。

その内側にガラスを入れ、絵を保護する。

裏側には、蓋や仕切りが付くこともある。

そこに、髪の毛や小さな紙を納める例が知られている。

つまり、枠は容器でもある。

絵と、遺品と、記録が一つに収まる。

美術館の記録でも、枠は作品の一部として扱われる。

いま私たちが額を「後付けのもの」と考えるのとは違う。

水彩という選択

なぜ、油彩ではないのか。

理由の一つは、乾きの速さである。

油彩は乾くのに時間がかかる。

小さな画面で層を重ねるには、不都合が多い。

もう一つは、厚みの問題である。

油彩の層は厚くなりがちで、象牙の透明感を殺す。

水彩は薄く、下地が透ける。

象牙の白を生かすには、水彩が適している。

材料と技法が、互いに要求し合っている。

一点にかかる時間

制作にどれくらいかかったのか。

細い筆で点を重ねる作業である。

一日で終わるものではない。

依頼主が座る時間も、何度か必要になる。

そのうえで、細部を仕上げる時間がかかる。

数週間から、場合によっては数か月。

そう考えると、値段も安くはなかったはずである。

小さいから安い、というわけではない。

手間の量は、寸法とは比例しない。