作品を知る

満月は、円い空白である——広重・北斎・欧米の夜景ほか九点

月光の絵に、火が灯る

この一点では、光源が火である。

月の光は、全体の暗さとして表れている。

そして、火の光だけが局所的に明るい。

二つの光源が、性質を分けている。

月は全体を照らし、火は一点を照らす。

第八回で読んだ絵にも、夜の炉があった。

火と月を一枚に収めるのは、この画家の得意な仕事だと書いた。

同じ組み合わせが、ここにも現れている。

そして、火の赤と、まわりの青緑。

補色に近い対比が、暗い画面のなかで際立つ。

月夜の吉原の家の宴
喜多川歌麿《月夜の吉原の家の宴》1789年。館の記録では、木版画、紙本着色。23.2×37.1センチ。番号はJP966。日本、江戸時代。メトロポリタン美術館蔵。喜多川歌麿《月夜の吉原の家の宴》メトロポリタン美術館蔵

九点のなかで、これだけが明るい。

昼のように見える。

画面の右に、家の内部が斜めに描かれる。

屋根の瓦が細かく並ぶ。

障子が開かれ、中に人が数人。

女性たちが座り、談笑している。

赤や黒の衣が見える。

その手前に、縁側と、木の欄干。

左に、松の枝が広がる。

さらに左に、板の塀と、細い道。

奥に、淡い桃色の帯。

川か、土手だろう。

月は、描かれていない。

そして、暗くもない。

題だけが、夜だと言う

この一点は、題に月夜とある。

しかし、画面のどこにも夜の要素がない。

空は白く、影もない。

これは、版画の約束による。

第五回でも書いたが、版画で暗い色を広く刷るのは難しい。

そして、夜の場面でも、人物や衣の文様を見せたい。

暗くすると、それが見えなくなる。

だから、明るいまま描く。

見る人は、題を読んで夜だと理解する。

第十六回で、画面のなかの文字について扱った。

ここでは、題が画面の外から情報を補っている。

第四回で読んだ二点も、道が題にだけあった。

同じ構造である。

夜の空の色

九点の夜空の色を並べたい。

青灰色から桃色へ移るものが一点。

暗い青緑が二点。

灰色の下地に暗い色を重ねたものが一点。

厚い雲の灰色が二点。

暗い褐色が一点。

そして、白いままが二点。

版画の一点と、墨の一点である。

つまり、夜空は必ずしも黒くない。

黒く塗るのは、九点のなかに一つもない。

これには理由がある。

完全な黒にすると、何も見えなくなる。

そして、実際の夜空も、完全な黒ではない。

月が出ていれば、空は青みを帯びる。

雲があれば、その雲が光を返す。

だから、夜の絵では中間の暗さが選ばれる。

濃い青、暗い緑、暗い褐色。

いずれも、黒ではない。

そして、その色の選択が、絵の温度を決める。

青系なら冷たく、褐色系なら暖かく見える。

同じ月の光でも、印象が変わる。

九点を、月の見え方で分ける

九点を、月の見え方で分けたい。

月がはっきり見えるものが四点。

広重の版画、陶器の花生、水彩の港、そして墨の円。

かすかに見えるものが一点。

アルピニーの月の出。

見えないが、光の効果があるものが三点。

ホーマー、クローム、カトリン。

そして、題にだけあるものが一点。

歌麿の版画である。

つまり、九点のうち四点で、月は描かれていない。

半分近い。

月は、光源として働く

最後に、月が絵のなかで何をするかをまとめたい。

月は、円として画面に置かれる。

その円は、いちばん明るい点になる。

そして、目を引く。

しかし、それだけではない。

月は、光源でもある。

どこから光が来ているかを決める。

そして、光の方向が決まると、影の方向も決まる。

水面の光の筋、雲の縁の明るさ、波の白。

いずれも、月の位置から導かれる。

だから、月を描かなくても、光の方向が一貫していれば月があると分かる。

九点の四点が、その方法を選んでいる。

そして、月を描いた四点では、円が主役になる。

どちらを選ぶかで、絵の性格が変わる。

円を見せるか、光を見せるか。

次の回では、夕暮れを見たい。

夕暮れは、空の色が短い時間で変わる。

その変化を、一枚にどう収めるか。

夜に、人は何をしているか

九点のうち、人がいるものは五点である。

広重の版画では、道を歩き、駕籠を担ぐ。

歌麿の版画では、座って宴を開く。

墨の一点では、座って経を読む。

カトリンの一点では、舟の上で漁をする。

水彩の港では、船を動かしている。

つまり、夜でも人は働いている。

そして、夜の仕事は、火を必要とする。

カトリンの一点では、舟の上に火がある。

歌麿の版画でも、室内には明かりがあるはずである。

描かれていないが、障子が明るい。

一方、風景だけの四点には人がいない。

ホーマー、クローム、アルピニー、そして陶器の海。

いずれも、夜の自然だけを描いている。

人がいないことで、静けさが強まる。

第一回で、人が大きさの目盛りになると書いた。

夜の絵では、人がいなくても成立する。

暗さそのものが主題だからである。

そして、人のいない夜の絵は、たいてい水を含んでいる。

水面が光を返すからである。

暗い画面に、明るい部分を作れる。

技法の欄の長さ

九点の技法の欄を、長さで並べたい。

いちばん長いのが、水彩の港である。

下地の記述に加え、材料が四つと技法が一つ。

次が、掛軸の二点。

形式と、素地と、材料が書かれる。

そして、いちばん短いのが陶器の花生である。

陶器、の一語だけ。

油彩の三点も、布に油彩、板に油彩とあるだけである。

つまり、記録の詳しさは分野によって違う。

第十八回で、同じことを何度も書いた。

素描や水彩の部門は、材料を細かく書く。

紙の色、下地の有無、使った画材の種類。

一方、絵画の部門は、支持体と絵具の種類だけである。

理由は、扱いの違いだろう。

紙の作品は、光や湿気に弱い。

だから、何が使われているかを正確に記録する必要がある。

油彩は、比較的安定している。

そして、材料の種類も限られる。

記録の詳しさは、保存の必要から来ている。

陶器の一語も、同じ理屈で説明できる。

焼き物は、材料が変質しにくい。

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