暮らしと名画

帯は、細長い閉じた形である——春章・ミンヌ・郭敏ほか九点

文字の帯を、天使が持つ

時祷書から切り取られた一葉である。

17.7×12.5センチ。

縦長である。

頁の大半は、文字である。

黒い書体が、密に並ぶ。

行の頭に、赤や青の小さな飾り文字がある。

左上に、大きな飾り文字がある。

青と金で塗られる。

そのまわりに、赤と青の細い線が広がる。

線は、渦を巻き、細かく反復する。

余白のほとんどを、それが埋める。

縁の中に、小さな区画がいくつかある。

区画ごとに、模様が詰まる。

そして、区画の一つに人物がいる。

小さな天使である。

その手に、細長い帯がある。

帯は、うねる。

そこに、字が書かれる。

時祷書から切り取られた一葉 飾り縁のなかの帯を持つ天使(三位一体への祈り)
聖アグネス修道院の工房《時祷書から切り取られた一葉 飾り縁のなかの帯を持つ天使》1475年ごろ。館の記録では、インク・テンペラ・金・犢皮紙。一葉は17.7×12.5センチ。番号は1999.133。クリーヴランド美術館蔵。時祷書から切り取られた一葉 飾り縁のなかの帯を持つ天使(三位一体への祈り)》クリーヴランド美術館蔵

館の説明は、この飾りの産地を書いている。

この地の写本は、ペン書きの飾りで名高かった。

余白を埋める赤と青の飾りは、ある一群に属する。

縁が、いくつもの幾何学的な区画でできている。

区画ごとに、対比する色のペン書きが詰まる。

この形の装飾は、この町で作られた時祷書と聖務日課書に特有らしい。

だから、産地がはっきりわかる。

そして、もう一つの特徴がある。

帯の形の縁飾りが使われることである。

ここで帯は、文字を載せるものである。

うねる細長い紙を描き、その上に言葉を書く。

人物の口から出る言葉を示すのに、この形が使われた。

前の回で見た、口から出る剣と同じ発想である。

見えないものを、物として描く。

言葉の帯は、いちばん静かなやり方である。

そして、帯がうねるほど、文字は読みにくくなる。

読みにくさと引き換えに、話していることが伝わる。

この一葉では、天使の帯はごく小さい。

頁の主役は、あくまで本文である。

連帯という、題

大理石の像である。

高さ69.9センチ。

幅63.6センチ。

男が二人、立っている。

裸である。

一人は、前にいる。

もう一人は、その後ろに立つ。

後ろの一人が、前の一人の肩に手を置く。

顔を、その肩越しに出す。

二人とも、痩せている。

肋骨が、浮く。

腕は、細長い。

足は、大きい。

足元は、平らではない。

板の上に立っている。

舟である。

舟は、傾いている。

二人は、体を傾けて釣り合いを取る。

連帯
ジョルジュ・ミンヌ《連帯》1898年。館の記録では、大理石。全体で高さ69.9センチ。番号は1968.191。クリーヴランド美術館蔵。ジョルジュ・ミンヌ《連帯》クリーヴランド美術館蔵

館の説明は、この像の経緯を書いている。

一八九八年、ある労働政党が記念像を注文した。

社会主義の運動の指導者を記念するためである。

しかし作者は、ふつうの肖像を作らなかった。

競争より協働を重んじるという理想を、そのまま形にした。

兄弟愛の寓意である。

嵐の中の舟の上で、裸の男二人が釣り合いを保とうとする。

政党は、この案を気に入らず、注文を取り消した。

作者は怒り、三メートル近い石膏の原型を壊した。

しかし友人や批評家は、その力を認めた。

小さな習作が残り、のちに大理石になった。

さて、なぜこれが帯の九点に入るのか。

日本語の題のためである。

連帯と訳されている。

帯の字が、そこに入っている。

もとの語に、帯の意味はない。

しかし日本語では、連なって帯になることが結びつきを指す。

九点の最後に、これを置いた理由である。

訳語の中に、体に巻くものの字が残っている。

二人が舟の上で支え合う姿に、帯はない。

しかし、肩に置かれた手が帯の代わりをしている。

つないでいるものを、帯と呼んでいる。

数えてみると

九点を数え直す。

人が身につける帯が、四点である。

花魁の帯、皇帝の金の帯、刀を吊る帯革、牧童の解いた帯。

装飾の帯が、四点。

杯の帯、建築の帯状装飾、湯呑の花帯、写本の文字帯。

そして、訳語の帯が一点。

身につける四点を、働きで分ける。

衣を留めるのが、一点。

物を差すのが、一点。

物を吊るすのが、一点。

解かれているのが、一点。

四点のうち三点で、帯は何かを保持している。

装飾の四点は、すべて細長い区画である。

上と下に線を引き、そのあいだを飾る。

四点とも、同じ作りである。

材料は、陶、紙、磁器、羊皮紙と違う。

しかし、帯にするという解決は共通している。

言えることと、言えないこと

言えるのは、帯が細長い閉じた形だということである。

体に巻けば、留める。

器に巡らせば、画面になる。

壁に回せば、装飾になる。

紙に描けば、言葉を載せる。

どれも、細長く、途切れない。

そして、細長い場所には、繰り返しが向く。

踊る子供、食む鹿、並ぶ花。

九点のうち三点で、同じ形が反復されていた。

帯は、反復を要求する形である。

言えないことも、いくつかある。

まず、日本語の帯は守備範囲が広すぎる。

衣の帯も、装飾の帯も、革の帯も、同じ字である。

英語では、それぞれ別の語になる。

だから、日本語で探せばこの九点が集まり、英語では集まらない。

前の回の指や口と、同じ事情である。

次に、最後の一点は訳語だけの縁である。

もとの語に、帯はない。

それでも、連帯という訳が定着している。

連なることを、帯という形で言い表している。

そこにも、細長く途切れない形の感覚がある。

最後に、身につける帯の四点のうち、三点は東洋の作品だった。

幅の広い帯は、この地域の衣の特徴である。

西洋の革帯は、細い。

細ければ、留めるだけになる。

広ければ、差すことも、包むこともできる。

幅が、用途を決めている。

そして、帯は結ばなければ帯にならない。

結び目が、輪を閉じる。

閉じなければ、ただの細長い布である。

九点のうち、結ぶ途中を描いたのは一点だけだった。

結び終わった帯と、まだ結んでいない帯。

そのあいだの一瞬だけが、絵になっている。

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